【第292話:降臨】
轟音。
イエガンの剣が魔将の装甲を叩き、火花が散る。
「はぁ……はぁ……!」
ティナの結界が、限界寸前で保たれている。
各戦線、拮抗。
誰も引かない。
だが誰も決定打を出せない。
その、瞬間だった。
――静寂。
音が、消えた。
爆音も、怒号も、魔力の炸裂音も。
すべてが、途切れた。
「……なんだ?」
イエガンが眉をひそめる。
ティナの瞳が、わずかに見開く。
「空間の……層が、変わりました」
重い。
空気が、重い。
肺に入る魔力が、異質だ。
魔族たちが、同時に跪く。
倒れていた魔将ですら、震える膝を無理やり地につけた。
天が、裂ける。
黒でも、紫でもない。
“色が意味を失った闇”。
そこから、ゆっくりと一歩。
降り立った。
外套が、風もないのに揺れる。
姿は、人型に近い異形。
だが、その存在は――生物の枠に収まっていない。
誰も名を告げていない。
だが、全員が理解した。
あれが。
あれこそが。
――魔王。
魔王が、戦場に立つ。
イエガンの腕が、止まっている。
自分の意志ではない。
剣が、震えている。
「……おい、嘘だろ」
声が、かすれる。
ティナの足が、自然に止まる。
「これが……」
今までにない感覚。
理屈が、追いつかない。
遠方。
鬼王が、初めて無言になる。
クロナの瞳が、静かに細まる。
魔王は、何もしていない。
ただ、立っているだけ。
それだけで、戦場の支配権が塗り替えられた。
「よくここまで持ち堪えた」
声は小さい。
だが、全員の耳元で囁かれたかのように響く。
「余の将を、よく削ったものだ」
視線が、ゆっくりと動く。
イエガンを通り過ぎ。
ティナを捉え。
鬼王を測り。
最後に――クロナで止まる。
ほんの僅か。
空気が、軋む。
「面白い」
その一言で。
戦場の温度が、数段落ちた。
イエガンは、歯を食いしばる。
恐怖だ。
だが、膝はつかない。
「……ティナ」
「はい」
「今の、どう見る」
ティナは、震える指先を抑えながら答える。
「……クロナ様でも、あれは…」
だが、目は逸らさない。
「しかし」
クロナが一歩、前へ出る。
鬼王も並ぶ。
魔王が、わずかに口角を上げた。
「良い」
魔力が、静かに拡張する。
世界が、押し潰される。
「余が、直々に見るとしよう」
その瞬間。
戦場は“戦闘”から“審判”へと変わった。
誰も、まだ動けない。
だが――
次の一手で、
すべてが決まる。




