【第290話:引き裂かれる戦線】
ルーニーの禁忌が発動した、その余波は――
戦場全体に、遅れて届いた。
空気が歪み、魔力の流れが乱れる。
それまで均衡を保っていた前線が、音を立てて軋み始めた。
「……来やがったな」
イエガンは、血の混じる息を吐きながら地面を踏みしめる。
傷は、まだ塞がっていない。
脇腹の感覚は鈍く、左肩も思うように上がらない。
それでも――退くという選択肢はない。
「おい魔族ィ!」
前方に立つ魔将へ、牙を剥くように笑う。
「今の揺れ、感じただろ。戦場がひっくり返り始めてるぞ」
魔将は答えない。
代わりに、空気が一段重くなった。
魔力が、圧のように降りかかる。
「……ちっ」
イエガンは舌打ちし、剣を構え直す。
(向こうも、ギアを上げてきやがったな)
次の瞬間、正面衝突。
剣と爪が噛み合い、衝撃が地面を割る。
腕に走る痺れを無視し、イエガンは力任せに押し返した。
「どうした! さっきより重ぇぞ!」
笑いながら吐き捨てるが、内心では理解している。
――これは、長引けば不利だ。
その少し後方。
「……戦況が変わってきています」
ティナは冷静に、しかし早口で報告を続けていた。
視線は常に前線。
魔将の動き、魔力の流れ、周囲の地形。
一つも見逃さない。
「この力はルーニーの…恐らく――」
言い切る前に、衝撃。
空間を裂くような一撃が、結界を叩いた。
「っ……!」
結界が、きしむ。
ティナは即座に術式を組み替え、耐性を変える。
だが、それでも完全には防ぎきれない。
(想定以上……)
敵は、力任せではない。
こちらの対応を見て、攻め方を変えてきている。
「分析通りですね」
ティナは静かに息を吐く。
「この戦場は、もう局地戦ではありません」
次の瞬間、魔将が距離を詰めてくる。
「――っ!」
ティナは一歩退き、間合いを管理する。
無駄な動きはしない。
「ここで、私が崩れるわけにはいきません」
魔力を収束。
鋭く、最小限に。
放たれた一撃は、派手さはない。
だが確実に、魔将の動きを止めた。
「……!」
魔将が一瞬、足を止める。
その隙を、ティナは逃さない。
「今です、イエガン!」
「言われなくてもなァ!」
イエガンが踏み込み、剣を振るう。
傷ついた身体から、限界に近い力を引きずり出す。
斬撃が、魔将を捉え――
だが、決定打にはならない。
魔将は後退し、体勢を立て直す。
戦線は、押し返した。
しかし、それだけだ。
「……くそ」
イエガンは肩で息をしながら、剣を支えに立つ。
「終わらねぇな、こりゃ」
「はい」
ティナもまた、額に汗を滲ませながら答える。
「ですが――終わらせる段階ではありません」
二人の前に、再び魔将が立つ。
魔力は、さらに濃い。
周囲の戦場でも、同様の光景が広がっていた。
押す。
押し返される。
それでも、誰も退かない。
これは決戦ではない。
だが――決戦へ至る前の、最も危険な局面だった。
イエガンは、剣を握り直す。
「……まだだ」
ティナも、静かに魔力を整える。
「ええ。まだ――ここからです」
戦いは、
さらに激しさを増しながら――続いていく。




