【第272話】牙は折れず、夜に吼える
魔族の奇襲は、波のように押し寄せてきた。
一斉侵攻。
合図も前兆もなく、複数の転移孔がほぼ同時に開き、魔族兵が吐き出される。
「想定の範囲内だ、慌てるな!」
イエガンの怒声が戦場を貫く。
「牙部隊、前へ! 隊列を崩すな、押し返せ!」
正面防衛線では、牙部隊が楔のように踏み留まり、魔族の突進を真正面から受け止めていた。
盾と盾がぶつかり、刃と爪が火花を散らす。
魔族は数を頼みに押してくるが、連携が粗い。
そこを逃さず、グリムファングの兵たちが確実に削っていく。
「爪部隊、第二補給線を維持! 負傷者は即時後送!」
後方では、整然とした動きで物資と兵が回され、戦線が痩せ細ることはない。
決起集会で整えた配置が、今まさに意味を持っていた。
一方、右翼。
鬼族の部隊が、荒々しく魔族兵を叩き伏せていた。
「遅いな、魔族!」
重い一撃が地を割り、数体まとめて吹き飛ばされる。
しかし、そこに混じる異質な気配に、鬼族の将が眉をひそめた。
「……来るぞ、強いのが」
その直感は、正しかった。
転移孔の奥から、ひときわ濃い魔力が溢れ出す。
周囲の魔族兵が自然と道を空けた。
――魔将。
その姿が見えた瞬間、戦場の空気が一段、冷える。
だが、クロナは動かない。
「……まだだ」
彼は全体を見ていた。
奇襲は確かに苛烈だが、致命的な一手はまだ切られていない。
影が、足元で静かに待機する。
「目部隊、敵の動きを逐次共有しろ。突出した敵は包囲して叩け」
指示が飛び、戦場が再び動き出す。
小規模な突破は即座に塞がれ、魔族側の攻めは徐々に鈍っていく。
その中で。
防衛線の一角、かつてイエガンが深手を負った地点に、
あの魔力が、はっきりと姿を現した。
「……来やがったか」
イエガンが、ゆっくりと前に出る。
向かい合う魔将は、口元を歪めた。
「生きていたか、牙の長」
挑発とも確認ともつかない声。
周囲の兵たちが、自然と距離を取る。
この場に割って入れる者はいないと、本能が理解していた。
イエガンは剣を構え、歯を剥く。
「次は、相打ちじゃ終わらねぇ」
魔将の魔力が、さらに濃く膨れ上がる。
その瞬間、戦場の別の音が遠のいた。
夜の中で、
牙と魔将の再戦が、静かに火蓋を切ろうとしていた。




