【第26話:森を出る日】
朝靄が森にかかり、すべてを柔らかく包み込んでいた。
冷たい空気がクロナの頬を撫でるたびに、昨日の戦いの余韻がまだそこにあることを思い知らされる。
ミナの姿はもうない。
けれど、クロナの中には確かに彼女がいる。
自然の鼓動が、自分と重なる――それが、彼女が遺した“力”の証だった。
(……ミナ。俺は、行くよ)
静かに歩を進める。
森を出るために、そして“次の場所”へ向かうために。
だが、その途中で空気が変わった。
気配。複数。
近づいてくるのは、懐かしくも警戒心を感じる視線。
「……おい、あれ……誰だ?」
「……近づくな、妙な気配がする」
木々の間から姿を現したのは、かつての仲間――ゴブリンたちだった。
その中心には、年長で少し口うるさかったドゴルの姿がある。
「おい……お前……もしかして、クロか?」
目を細め、顔をしかめながらそう尋ねてくる。
その声に、クロナは少し間を置いてから口を開いた。
「昔はそう呼ばれてた。……けど今は、“クロナ”だ」
その瞬間、どよめきが走った。
「姿も、気配も別物じゃねぇか……」
「角みたいな髪に、黄金の目……本当にお前なのか……?」
「……本当に、クロ……ナ、なのか……?」
疑念と畏怖が混じった視線が注がれる。
無理もない。クロナの身体はすでに人の形に近く、肌には微かな光の紋様が浮かんでいる。
ゴブリンの面影は、ほとんど残っていない。
それでも、クロナは一歩、彼らに近づいた。
「戦ってきた。……強い敵と。死にかけた」
「だが、今もこうして立ってる。それだけが……俺の答えだ」
言葉を失ったように黙りこむゴブリンたち。
その沈黙を破ったのは、小柄な若いゴブリン――ギオだった。
「俺……覚えてるよ。お前が最初に獲物を倒した時、どれだけ震えてたか」
「……でも今のあんたは、俺たちには見えない何かを背負ってる」
ギオは震えながらも前へ出て、そして膝をつく。
「クロナ様。俺は、あんたに従う」
「ギオ、お前……!」
ざわつく周囲。だが、その波紋はやがて伝播していく。
ゴブリンたちは次々に目を伏せ、やがてドゴルさえもが、静かに頭を垂れた。
「化け物だと思った……だが、あんたは、俺たちの“希望”だ。そう信じるしかねぇ」
静かな風が吹いた。
木々がざわめき、空が明るくなる。
クロナはゆっくりと頷いた。
「……わかった。だったら俺が、お前たちを導く。今度は――群れごと、生き延びるために」
その言葉に、誰も逆らわなかった。
森に、新たな“主”が誕生した瞬間だった。




