【第267話:王の歩み、鬼国へ】
出立は、朝だった。
夜明けを待つ必要はなかった。城門が開かれ、光が石畳に差し込む中、クロナは静かに歩き出す。外套は羽織らず、翼も隠さない。威圧のためではない。ただ、今の自分をそのまま見せるためだった。
見送りに立つのは、限られた者だけだ。
ティナは一歩下がった位置で頭を下げる。
「どうか、お気をつけて。クロナ様。
……鬼王との会談、実りあるものになると信じております」
「なるさ」
クロナは短く答えた。
それは希望でも楽観でもない。状況を見据えた、王としての判断だった。鬼王はすでに力を示し、そして退いた。軍事提携という言葉が向こうから出た以上、これは敵意の場ではない。
城壁の上から、兵たちの視線を感じる。
イエガンの姿はない。深手を負った身体で無理に出てくるような男ではないが、だからこそ、クロナは胸の奥で歯を噛み締めた。
――守りきれなかった。
その事実だけは、まだ消えていない。
◇
鬼国への道は、相変わらず荒々しい。
だが以前と違い、クロナの歩みを阻むものはなかった。魔物は距離を保ち、鬼族の哨戒も、遠巻きに存在を示すだけだ。敵ではなく、来客として迎えられている。
巨大な岩山を削り出した鬼国の城塞が見えてくる。
無骨で、実用一点張りの造り。だが、そこには確かな秩序があった。強さを基準に据えた、鬼族なりの国の形だ。
門の前で待っていたのは、鬼王直属の使者だった。
「グリムファングの王、クロナ殿。
鬼王陛下より、謁見の許しが出ております」
言葉に探る色はない。
ただ、当然のように告げられた事実だけがそこにあった。
クロナは頷き、城内へと足を踏み入れる。
通路を進むにつれ、鬼族たちの視線が集まる。恐れでも敵意でもない。純粋な興味――そして評価だ。
王として、力ある者として。
玉座の間に近づくにつれ、クロナは余計な思考を手放していった。
ここで必要なのは警戒ではない。
虚勢でもない。
「国を背負う者として、何を選ぶか」
それだけだ。
やがて、重厚な扉が開かれる。
その先で待つのは、すでに一度、拳を交えた相手。
敵でもなく、まだ味方と呼ぶには早く――可能性としての“王”。
クロナは歩みを止めず、まっすぐに前を見据えた。
軍事提携は、鬼王から差し出された選択肢だ。
だが、それをどう受け取るかは、グリムファングの王次第。
「……さて」
クロナは心の中で呟く。
「今度は殴り合いじゃねぇ。
王同士の話をしようじゃねぇか」
その足取りは、迷いなく、堂々としていた。




