【第265話:王の格、退く魔影と折れぬ牙】
城内に満ちた瘴気が、わずかに揺らいだ。
魔将の動きが止まった、その一瞬を、クロナは見逃さなかった。
「……分かったか」
クロナが一歩、前に出る。
ただそれだけで、床を這っていた影が一斉に立ち上がった。
意思を持つように、魔将の逃げ道を塞ぎ、空間そのものを囲い込む。
「これ以上、踏み込むなら――」
影が、重なった。
壁となり、刃となり、圧そのものとなって魔将へと叩きつけられる。
ドン、と鈍い衝撃。
魔将の身体が数歩分、押し戻された。
「……っ」
初めて、明確な動揺がその表情に浮かぶ。
「力を測りに来たんだろ」
クロナは淡々と言った。
「なら、もう十分だ。
ここから先は――“死ぬ側”になる」
影が、さらに濃くなる。
王座の間に満ちるそれは、もはや単なる能力ではない。
領域。
支配。
魔将は舌打ちし、距離を取った。
「……なるほど。
確かに、喰影王だ」
瘴気が収束し、身体が霧のように揺らぐ。
「今回は退こう。
目的は果たした」
影が裂け、魔将の姿は闇の奥へと引き込まれていった。
静寂が、戻る。
だが――
クロナの視線は、すでに城外へ向いていた。
嫌な予感が、胸を刺す。
次の瞬間。
外から、重く響く衝撃音が届いた。
◇
城外。
地面は抉れ、血と土が混じり合っていた。
イエガンは片膝をつき、荒く息を吐いている。
目の前には、もう一体の魔将。
こちらもまた、深く傷を負っていた。
互いに、満身創痍。
「……チッ……」
イエガンは口の端から血を吐き捨て、斧を握り直す。
魔将が嗤った。
「見事だ、牙の将。
だが――」
次の瞬間、両者が同時に踏み込んだ。
刃と魔力が激突する。
轟音。
そして――
イエガンの身体が、後方へ吹き飛ばされた。
地面を転がり、壁に叩きつけられる。
「……が……っ」
胸元には、深く抉られた傷。
出血は激しく、立ち上がることも難しい。
一方、魔将もまた膝をついていた。
腹部を貫く裂傷。
致命には至らないが、追撃は不可能。
「……相打ち、か」
魔将は低く呟き、後退する。
「貴様の王に伝えろ。
次は、戦争になる」
瘴気が霧散し、その姿も消えた。
残されたのは、倒れたイエガンだけだった。
◇
駆けつけたクロナは、即座に状況を理解した。
「イエガン」
その声に、イエガンはかすかに笑う。
「……申し訳……ありません……クロナ様……
取り逃がし……ました……」
「いい」
クロナは短く言い、膝をつく。
影が静かに広がり、止血と固定に回る。
「役目は果たした。
生きてる。それで十分だ」
イエガンは目を閉じ、安堵したように息を吐いた。
クロナは立ち上がり、空を見上げる。
魔族は、もう一歩踏み込んできた。
そして――
王として、それを受け止める段階に入ったのだと、クロナははっきりと理解していた。
戦いは、確実に次の局面へ進んでいた。




