【第262話:拮抗する牙と魔】
戦場は、もはや均衡そのものだった。
イエガンと魔将。
両者の間にあるのは、あと一歩踏み込めば致命に至る距離。
だが、その一歩が――踏み出せない。
「……来ねぇな」
イエガンが低く吐き捨てる。
魔将は口角をわずかに上げ、肩を鳴らした。
「同じことを思っていた。
お前を仕留めきれん理由が、分からなくなってきてな」
次の瞬間。
二人は同時に踏み込んだ。
衝突音が爆ぜる。
刃と拳、重武器と瘴気。
真正面からぶつかり合い、空気が歪む。
イエガンの一撃は重い。
魔将の迎撃は鋭い。
互いに防ぎ、弾き、流す。
一進一退。
どちらも決定的な隙を見せない。
「チッ……!」
イエガンは距離を取り、地面を蹴って体勢を立て直す。
腕が痺れているのを自覚した。
――強ぇ。
力だけじゃない。
間合い、読み、戦場での経験。
どれを取っても、魔将は一級だった。
一方の魔将も、静かに呼吸を整えていた。
(……人族でも魔族でもない)
この男の動きには、種族の型がない。
純粋な「戦士」としての完成度。
「牙部隊長……だったか」
魔将が口を開く。
「貴様一人で、一国の前線を支えている理由が分かった」
「余計なお世話だ」
イエガンは笑わない。
「俺はただ、
クロナ様の国を守ってるだけだ」
再び、両者が動く。
今度は連撃。
魔将の瘴気が鞭のようにうねり、イエガンの周囲を囲う。
だがイエガンは踏み込み、武器を振り抜いた。
瘴気を断ち切り、さらに前へ。
魔将の拳が腹を捉える。
鈍い衝撃。
イエガンの身体が吹き飛び、地面を削りながら止まる。
だが――
即座に立ち上がる。
「……効いてねぇ」
実際、効いている。
だが、それ以上に退けない理由があった。
魔将は小さく舌打ちした。
「厄介だな。
倒せぬが、退かせることもできん」
「そりゃこっちの台詞だ」
イエガンは構え直す。
呼吸は荒い。
筋肉は悲鳴を上げている。
それでも、目は死んでいない。
城壁の上。
クロナは、微動だにせず戦場を見下ろしていた。
イエガンの限界。
魔将の底。
どちらも、まだ見えない。
(互角……いや)
クロナの目が、わずかに細まる。
(イエガンは、役割を果たしている)
魔将をここに縫い止め、
グリムファングの防衛線を崩させない。
それだけで、この戦いの価値は十分だった。
再び、イエガンと魔将が踏み込む。
火花と瘴気が舞い、
牙と魔が噛み合う。
決着は、まだ遠い。
だが確かに――
魔族の幹部は、グリムファングの牙に止められていた。
戦場は、均衡のまま軋み続ける。




