【第261話:牙の咆哮、魔将と相対す】
西方前線は、もはや「持ちこたえている」と言える状態ではなかった。
瘴気は濃く、空気は重い。
防衛線は辛うじて形を保っているが、牙部隊の兵たちの疲弊は隠せない。
そこへ――
「下がれ」
低く、しかし確かな声が戦場を貫いた。
兵たちが振り返る。
そこに立っていたのは、グリムファング牙部隊長。
イエガンだった。
重装の外套を翻し、巨大な武器を肩に担いだその姿は、前線の空気そのものを変える。
「ここから先は、俺が出る」
短い言葉だったが、それで十分だった。
兵たちは一斉に後退し、隊列を立て直す。
代わって前に出たのは、イエガン一人。
魔将は、その姿を見てわずかに目を細めた。
「……ほう。ようやく、牙らしいのが来たか」
「うるせぇ」
イエガンは吐き捨てるように言った。
「てめぇが魔族の幹部ってやつか。
ここは遊び場じゃねぇぞ」
次の瞬間、地面を蹴る音が爆ぜた。
イエガンが一気に距離を詰め、武器を振るう。
風圧だけで瘴気が裂け、魔将の防御に激突した。
――重い。
確かな手応えが、腕に返ってくる。
「チッ……!」
魔将は後退こそしなかったが、初めて一歩を引いた。
「面白い。人外の力に頼らず、この圧か」
「褒め言葉はいらねぇ」
イエガンは間合いを詰めたまま、低く構える。
「王の国に、土足で踏み込んだこと――
後悔させてやる」
魔将が片手を掲げ、瘴気を凝縮する。
黒い奔流が放たれた。
だが、イエガンは逃げない。
正面から踏み込み、武器で叩き割る。
衝突音が轟き、瘴気が四散した。
「……人間離れしているな」
魔将が初めて、感情を含んだ声を漏らす。
「だが、それでも届かん」
次の瞬間、魔将の拳が放たれる。
直撃すれば致命傷――だが、
イエガンは歯を剥き、真正面から受け止めた。
衝撃で地面が陥没する。
膝を沈めながらも、イエガンは耐え切った。
「……へっ」
口の端から血を垂らしながら、笑う。
「この程度で……
王の国を荒らせると思うなよ」
その背後。
城壁の上から、クロナは静かに戦場を見ていた。
イエガンの動き。
魔将の癖。
そして、両者の力の均衡。
「……まだだ」
クロナは呟く。
この戦いは、イエガン一人に任せる価値がある。
魔将は、確実に足を止められていた。
グリムファングの牙は――
確かに、魔族の幹部に届いている。
戦場に、再び重い衝突音が響いた。
牙と魔。
本格的な激突は、ここから始まる。




