【第260話:魔将来訪、崩れゆく布陣】
異変は、夜と共に訪れた。
西の森に張り付いていた牙部隊から、ほぼ同時に三つの報が入った。
魔獣の暴走。瘴気の急激な濃化。そして――指揮されたかのような、統制の取れた動き。
「……来たな」
城の高台で報告を受けたクロナは、短く呟いた。
予想はしていた。
だが、それでも早い。
「西側前線、第二配置が突破されました!」
伝令の声は切迫していた。
「敵は単独行動ではありません。魔族が、前に出ています……!」
その瞬間、クロナの背後で空気が重く沈む。
イエガンが歯を食いしばった。
「雑兵じゃねぇ……“来やがった”な」
森の奥。
黒く焼けた大地の中央に、ひとつの影が立っていた。
人の形に近いが、明らかに違う。
背中から伸びる角、赤黒い皮膚、そして周囲の瘴気を引き連れるような圧。
魔族の幹部――魔将の一角。
「……なるほど」
低く、くぐもった声が森に響く。
「これが、喰影王の国か。思ったより……よく整っている」
その一歩ごとに、地面が腐る。
木々が黒ずみ、空気が濁っていく。
牙部隊の兵たちは踏みとどまり、必死に迎撃していた。
だが、攻撃は通らない。
刃が届く前に、瘴気が壁のように立ち塞がる。
「……っ、効かねぇ!」
「下がるな! 隊列を保て!」
叫びは虚しく、前線はじわじわと押し下げられていった。
そこへ、魔将が片手を上げる。
それだけで、空間が歪んだ。
黒い衝撃が走り、兵たちがまとめて吹き飛ばされる。
「弱い、とは言わん」
魔将は淡々と言った。
「だが、王が出てこぬ戦場など……所詮はこの程度か」
グリムファング側の布陣は、確実に崩されつつあった。
城内。
地図を見つめるティナの指が、わずかに震える。
「……西が、持ちません。このままでは、防衛線が裂けます」
「牙部隊を引かせろ」
クロナは即断した。
「無駄に削らせるな。あれは……幹部級だ」
初めての相手。
初めての、本格的な“魔族の牙”。
イエガンが低く唸る。
「……強いですね。今までの連中とは、格が違う」
クロナは、ゆっくりと目を細めた。
胸の奥で、喰界王の力が静かにうずく。
影の王の力も、反応している。
だが――まだだ。
「……いいだろ」
クロナは、静かに言った。
「まずは、相手の出方を見る」
王が動かない。
その判断は、国にとって重い意味を持つ。
魔将は、前線の奥から城の方角を見据えた。
「聞こえているぞ、喰影王」
瘴気越しに、その声が届く。
「その牙と影……どこまで耐えられるか、試させてもらおう」
夜は、さらに深く沈んでいった。
グリムファングは、初めて明確に“押されている”。
そしてそれは、魔族が本気で牙を剥き始めた証でもあった。
戦は――ここから、厳しさを増していく。




