【第256話:魔の爪痕、動き出す深層】
異界に近い大地は、常に薄暗い。
空は曇っているわけでもないのに光を拒み、地平線の向こうでは黒い靄がゆっくりと渦を巻いていた。
そこに、かつては存在しなかった“塔”が立っている。
岩と骨を無理矢理組み合わせたような不格好な構造物。
だが、その表面を走る紋様は生き物の血管のように脈動し、確かに意思を持って呼吸していた。
塔の根元、影よりも濃い闇の中で、数体の魔族が跪いていた。
「……グリムファング……喰影王……」
囁くような声が、空間を這う。
それは一体の口から出たものではない。魔族たちの背後、塔そのものから滲み出る声だった。
「影と喰らいを束ねる王……予想以上に、早く形を成したな」
跪く魔族の一体が、頭をさらに低く下げる。
「報告いたします。鬼族が接触。限定的交流を開始した模様。軍事的連携も視野に入れているかと」
沈黙が落ちた。
塔の脈動が、一拍、強くなる。
「……鬼王め……老獪な」
その声には、苛立ちと同時に、わずかな愉悦が混じっていた。
「だが、好都合だ。まとめて叩く理由ができた」
別の魔族が進み出る。
「先遣の準備は整っております。外側の世界、境界付近に“種”はすでに配置済み。あとは刺激を与えれば――」
「焦るな」
声が、ぴたりと制した。
「喰影王は、力を試される段階だ。小手調べ程度で終わらせては意味がない」
塔の上部、裂け目のような開口部がゆっくりと開く。
その奥に、赤黒く燃える“視線”が浮かび上がった。
「鬼族。グリムファング。巡礼騎士団……」
名を呼ぶたび、空間がわずかに歪む。
「全てを同時に揺さぶれ。恐怖と混乱を撒け。王とは、守れぬものが増えた時に、真価が問われる」
魔族たちは、一斉に頭を垂れた。
「御意」
次の瞬間、塔の周囲に複数の黒い裂け目が走る。
それぞれが異なる方向へと口を開き、瘴気と共に魔の気配が流れ込んでいった。
――境界。
――交易路。
――人族と魔族の緩衝地帯。
そのすべてが、同時に“侵食”を始める。
一方、グリムファング。
城の高台から、クロナは夜の空を見上げていた。
風に乗って、微かな違和感が流れてくる。
説明できない。
だが、確かに“嫌な気配”だった。
「……嫌な気配だ」
誰に言うでもなく、クロナは呟く。
喰界王として培った感覚。
影の王の力がもたらす、世界の歪みへの反応。
それらが、同時に胸の奥でざわついていた。
まだ、戦端は開かれていない。
だが、確実に――魔族は盤上に駒を置き始めている。
クロナは、ゆっくりと拳を握った。
「さて……どう動くか」
王として。
喰影王として。
次に動くのは、こちらか、それとも――。
夜は静かに広がりながら、確実に戦の匂いを孕み始めていた。




