【第250話:解放、王威の激突】
空気が、再び軋んだ。
先ほどまでとは違う。張り詰めていた均衡が、意図的に崩された音だった。クロナと鬼王、互いが「もう一段、踏み込む」と決めたことで、場そのものが耐えきれず悲鳴を上げている。
鬼王が、ゆっくりと背筋を伸ばした。
その身体から、熱が立ち上る。赤黒い気配が肌の表面に滲み、筋肉の輪郭が一回り大きく見えた。角の根元に刻まれた紋様が淡く光り、王として抑えてきた力が、少しずつ外へ漏れ出す。
「ここからは、様子見では済まんぞ」
「望むところだ」
クロナは短く答え、翼を大きく広げた。
黒翼の影が地面を覆い、まるで夜が一歩前へ出たかのように空間が暗くなる。だが、呑み込むほどではない。あくまで“抑えた解放”だ。喰界王として培った制御が、無駄な暴発を許さない。
次の瞬間。
二人は同時に踏み込んだ。
ドン、という音は一拍遅れて響いた。実際には、それより遥かに速く、重い衝突が起きている。拳と拳がぶつかり、衝撃が圧縮され、弾ける。
地面が裂け、岩が宙を舞う。
鬼王は真正面から打ち合い、クロナは半歩ずらしながら返す。避けるだけではない。受け流し、削り、確実にダメージを通していく動きだ。
「……いいな」
鬼王が笑う。
「その動き。力に溺れていない」
「溺れるほど、軽くねぇんだよ」
クロナの拳が、鬼王の腹部に突き刺さる。直撃ではない。だが、内側に響く一撃だった。鬼王は息を吐き、肘を落として応じる。クロナは翼で受け、衝撃を後方へ逃がす。
その瞬間、影がわずかに揺れた。
攻撃を補助するでも、縛るでもない。ただ、力の“芯”を外さないよう支えている。クロナ自身も、その感触に気づいた。
「……勝手に、仕事しやがる」
思わず漏れた呟きに、鬼王は聞き逃さなかった。
「それが王の力だ」
鬼王の足が地面を踏み砕く。踏み込みと同時に、体当たりに近い一撃が放たれた。空気の壁ごと叩きつける、純然たる暴力。
クロナは後退せず、正面から受けた。
ズン、と腹の奥に響く衝撃。
一瞬、視界が揺れた。それでも、足は止まらない。影が地に食い込み、身体を支える。
「……っ」
クロナは歯を食いしばり、拳を振り抜いた。
今度は、確かに効いた。
鬼王の身体がわずかに浮き、着地と同時に地面が抉れる。鬼王は舌打ちし、肩を回した。
「解放が浅いな。だが——」
鬼王の気配が、さらに一段濃くなる。
「その浅さで、ここまで来るのか」
クロナは息を整えながら、静かに笑った。
「全部出すつもりはねぇよ」
影が、ゆっくりとクロナの足元で蠢く。
喰界王と、影の王。その二つが、まだ完全に重なり切ってはいない。だが、確実に“同じ方向”を向き始めている。
次の激突は、今までよりも重く、速く、激しいものになる。
互いに、それを理解した上で、再び距離を詰めた。
王威と王威が、真正面からぶつかり合う。
戦いは、ここから本当の熱を帯び始めた。




