【第249話:王圧、影が示す距離】
風が、止んだ。
正確には、二人の間だけ空気が張り詰め、周囲の流れを拒んでいた。踏みしめた大地は沈黙し、砕けた岩片すら宙で揺れたまま、落ちるのを忘れている。
クロナは一歩、前へ出た。
歩みは静かだ。だがその足運びに合わせて、地面に落ちた影が濃くなる。広がるでも、伸びるでもない。ただ“重く”そこに在る影だ。
鬼王は、その変化を正確に捉えていた。
「……圧が増しているな」
声は低く、だが余裕を失ってはいない。鬼王は肩を回し、背骨を鳴らすように身体を整えた。鬼族の王として、数え切れぬ戦場を踏み越えてきた者の動きだ。
「力を誇示しているわけではあるまい」
「さあな」
クロナは短く答え、構えを変えた。腰を落とし、翼をわずかに畳む。獣が獲物との距離を測るときの姿勢だった。
次の瞬間、二人は同時に動いた。
鬼王の拳が唸りを上げ、正面から叩き込まれる。避けるには近すぎ、受けるには重すぎる一撃。クロナは影を踏み込みの支点にし、身体を半歩ずらした。
拳は肩をかすめ、衝撃が背中を抜ける。
クロナはそのまま、肘を返した。
鈍い音。
鬼王は腕で受けたが、後方へ数歩、押し流される。踏ん張った足元が抉れ、岩が跳ねた。
「……今のは」
鬼王の目が細まる。
クロナは自分の肘を見下ろした。確かな手応えが残っている。力が通った感覚はあるが、純粋な腕力だけではない。影が、攻撃の“届き方”を支えていた。
制御しているわけではない。
だが、拒んでもいない。
クロナはゆっくりと息を吐いた。
「……勝手に、馴染んでくるもんだな」
鬼王は、はっきりと笑った。
「なるほど。喰らい、積み上げ、そして混ざるか」
鬼王は地面を踏み鳴らし、構えを取り直す。
「それは力だ。未熟であろうと、王の力だ」
言葉と同時に、鬼王が距離を詰めた。今度は一直線ではない。左右に揺さぶりをかけ、死角を作りながら迫る動き。単純な剛力だけではない、戦い慣れた王の技だ。
クロナは迎え撃つ。
翼を大きく広げ、影を引き連れるように踏み込む。拳と拳、肘と膝が交錯し、衝撃が連続して空を裂いた。
数合。
十合。
どちらも決定打を出さない。否、出せない。互いの力量を、まだ測っている。
鬼王が一瞬、距離を取った。
「……これ以上やれば、土地が持たん」
「だろうな」
クロナも足を止めた。胸の奥が、わずかに熱い。喰界王としての力が、影と混ざり合い、形を探している。
まだ、名乗るほどではない。
だが——。
鬼王は、クロナを真正面から見据えた。
「貴様は、まだ先がある」
断言だった。
「その影は、武器にもなるし、王冠にもなる。使い方次第だ」
「……忠告か?」
「興味だ」
鬼王は、そう言って口角を上げた。
王同士の距離は、まだ測り切れていない。だが互いに、理解し始めている。
この戦いは、勝ち負けだけで終わらない。
クロナは影を足元に収め、静かに構え直した。
次の一合で、さらに踏み込む。
そう、確信していた。




