【第244話:謝意の仮面、静かな火種】
グリムファング王城に、鬼族からの使者が到着したのは、朝霧がまだ中庭に残る刻だった。
重厚な門をくぐった使者は、鬼族特有の威圧感をまといながらも、振る舞いは驚くほど慎重だった。武装は最低限、視線は低く、礼法も人族に近い形式を選んでいる。その一点だけでも、今回の来訪が“ただの謝罪”ではないことを物語っていた。
玉座の間にて、クロナは王座に腰掛けたまま、その報告を静かに聞いていた。
「鬼族の王より、書状が届いております」
目部隊の者が差し出した封書には、重い封蝋が押されている。文様は鬼族王家の紋。偽りようのない正規の印だった。
クロナはそれを受け取り、ゆっくりと開封する。視線が文面をなぞるにつれ、表情は変わらないまま、空気だけがわずかに張り詰めていった。
「……謝罪、ね」
低く漏れた声に、イエガンが一歩前へ出る。
「クロナ様。向こうが頭を下げてくるってのは珍しい話だ。だが、素直に信じろって方が無理がありますね」
荒っぽい口調ではあるが、そこにあるのは王への不敬ではなく、純粋な警戒だ。
ティナも頷き、静かに言葉を添える。
「文面自体は丁寧です。越境行為への非を全面的に認め、責任は自国にあると明言しています。ただ……」
視線を伏せ、一瞬だけ言葉を選ぶ。
「“直接言葉を交わしたい”という一文が、やはり気になります」
クロナは書状を閉じ、肘掛けに指を添えた。
「謝罪だけなら、使者を立てれば済む話だ。王自ら出向く必要はない」
その声には、感情よりも分析が滲んでいた。
「それでも来るというなら、理由は一つ。俺を見に来る」
玉座の間に、短い沈黙が落ちる。
イエガンは口角をわずかに吊り上げた。
「喰影王様の値踏み、ってわけですか。面白くはないですが……避けられない道かもしれません」
「ええ」
ティナは静かに続ける。
「ここで拒めば、鬼族側は“対話を拒まれた”という大義名分を得ます。受け入れれば、主導権をどう保つかが問われる」
クロナは背もたれに身を預け、天井を見上げた。
影は動かない。だが、確かに王城全体が、彼の意思を待っている。
「受ける」
即答だった。
「謝罪の席として、正式に迎え入れる。ただし――」
視線が、イエガンとティナへ向けられる。
「場は俺が決める。人数、武装、立ち位置……全部だ。王同士の対面だ。曖昧な余地は残さない」
「御意」
ティナは即座に頭を下げる。
「警備と配置はこちらで詰めます。過剰にならぬよう、しかし隙も見せません」
イエガンは大剣の柄に手を置き、低く笑った。
「腹の探り合いなら、望むところだ。向こうが一歩踏み外せば、国境線の意味をもう一度教えてやるだけです」
クロナは立ち上がり、玉座の前へと歩み出た。
「鬼王が何を考えているかは知らない。だが、謝罪の仮面を被って来る以上、何かを量るつもりだろう」
その瞳に、影がわずかに揺れる。
「なら、こちらも見せるだけだ。“王として、ここに立っている”という事実をな」
こうして、謝罪という名目の対面は受け入れられた。
それは和解の始まりか、衝突への序章か――。
まだ誰にも分からない。ただ一つ確かなのは、王と王が向き合うその瞬間、グリムファングの行く先を左右する“静かな火種”が、確かに灯されたということだった。




