【第242話:鬼の牙、王の影】
国境線は、完全に戦場と化していた。
鬼族の数はまだ多い。だが動きは荒く、互いの位置も把握していない。勢いだけで突っ込み、弾かれ、転び、それでもなお吠えながら立ち上がる。
「ちっ、数だけは無駄にいるな!」
イエガンは吐き捨てるように言い、盾で正面の鬼族を殴り飛ばした。骨に当たる鈍い感触。相手が地面を転がるのを確認すると、すぐ次へ向く。
「おらっ、そっちは通さねぇ!」
横合いから伸びた腕を、体ごと押し返す。
守るのは背後の警備兵。その一点だけだ。
ティナは少し後方で状況を見極めていた。
「右から来ます、イエガン!」
声と同時に、地面に伸びた影が一瞬だけ形を変える。絡め取るほどではない。ただ、足を取られた鬼族が前のめりに崩れる。
「助かる!」
イエガンが即座に盾を叩き込み、鬼族を地面に伏せさせた。
鬼族側にも焦りが広がっていた。
「くそっ、こいつら思ったよりやるぞ!」
「数で押せ!」
無秩序な突撃。
だがそれは、逆に被害を増やすだけだった。
ティナは歯を食いしばる。
「……このままでは、追い詰めすぎます」
イエガンも察していた。
「ああ。ろくなこと考えねぇ顔だ」
次の瞬間だった。
後方で警備兵の悲鳴が上がる。
「――っ!」
振り向いた時には、すでに遅かった。
鬼族の一人が警備兵の背後から飛びつき、首元に腕を回している。
「動くな!」
鬼族が叫ぶ。
「一歩でも来たら、この首を引き裂く!」
空気が、張りつめた。
イエガンが足を止める。
ティナも、思わず息を詰めた。
「……卑怯です」
ティナの声は震えていたが、逃げてはいない。
「うるせぇ! 生きたいなら言うこと聞け!」
鬼族は警備兵を盾にしながら、じりじりと後退する。
その光景を、遠くの高台でクロナは見ていた。
動かない。
翼も広げない。
だが、視線だけが鋭くなる。
(……そこだ)
鬼族の足元。
影が、わずかに濃くなった。
次の瞬間、見えない蹴りが鬼族を打ち抜く。
ドンッ、と鈍い衝撃。
鬼族の身体が吹き飛び、警備兵は影に押されるように地面へ転がった。
「な――!?」
続けざまに、別の鬼族が何かに殴られたように倒れる。
誰も触れていない。だが確実に叩き伏せられていく。
イエガンは確信した。
「……王の手を煩わせてしまったか」
ティナは、静かに息を吐く。
「……クロナ様……」
鬼族たちは完全に混乱していた。
姿のない力に蹴散らされ、叫びながら地面を転がる。
クロナは、最後まで動かない。
王が前に出ずとも、
王の力は、確かに国境に届いていた。
戦いは、まだ終わらない。
だが――流れは、決定的に変わった。




