【第240話:外縁の火種、試される影】
外側の世界は、相変わらず落ち着きがなかった。
空は薄く濁り、昼と夜の境が曖昧なまま流れていく。風は一定の向きを保たず、時折、何かを運ぶように渦を巻いては消える。
その空気の違和感を、最初に察知したのはクロナだった。
黒翼をたたみ、岩場の高所に立つクロナは、じっと地平を見据えていた。
影が、足元で静かに揺れている。
「……来るな」
誰に向けた言葉でもない。
喰影王としての感覚が、そう告げていた。
遠く、外縁の霧がわずかに歪む。
敵意でも殺気でもない。ただ、“意図”だけが漂っている。
ティナが半歩下がった位置から声をかけた。
「クロナ様、影の流れが……不自然です。巡回の影兵も、報告を途切れさせています」
クロナは小さく息を吐いた。
「直接来る気はねぇな。……様子見だ」
それは、戦を避ける動きではない。
戦う価値があるかどうかを、量っている目線だった。
そこへ、後方から足音が近づく。
「クロナ様」
イエガンだった。鎧には外側特有の灰が付着している。
「周辺の影に、断続的な干渉を確認しました。攻撃ではありませんが……こちらの影域をなぞるように触れてきています」
「鬼族だな」
即答だった。
イエガンの表情が引き締まる。
「……評議の決定とは異なる動き、ということでしょうか」
「だろうな。恐らく、血気盛んな奴らがいるんだろう」
クロナは地面に視線を落とし、影を一度、踏みしめた。
その瞬間、周囲の影が応えるように深く沈む。
喰界王として得た“喰らう力”。
影の王から継いだ“影を従える力”。
その二つが、今や明確に重なり始めている。
クロナ自身、それを意識していた。
「……影の使い方が、変わってきてやがる」
以前は、力として振るう感覚が強かった。
だが今は違う。
影は、武器である前に“場”だ。
守り、探り、見張り、そして選別するもの。
ティナが静かに頷いた。
「影が、クロナ様の意思を先読みして動いています。……これは、完全な支配に近い状態です」
クロナはわずかに眉を動かした。
「……自覚は、まだ半分だ」
だが否定はしない。
事実、影はもう暴れていない。
必要以上に広がることも、勝手に喰らうこともない。
王の手足として、沈黙したまま機能している。
その時、外縁の霧が一瞬、裂けた。
姿は見えない。
だが“視線”だけが、こちらをなぞった。
クロナは、翼をわずかに広げる。
「……見せてやるか」
影が、応じて動いた。
外側の世界の地面に、一本の黒い線が走る。
それは攻撃でも威嚇でもない。
ここから先は、王の領分だと告げる境界線だった。
霧の向こうで、何かが息を呑む気配がした。
数秒の沈黙の後、視線は消えた。
クロナは翼を畳み、背後を振り返る。
「イエガン。国境の影を、もう一段深く張れ」
「御意」
「ティナ。影兵の反応を整理しろ。……相手は、試してくる」
「承知しました、クロナ様」
二人の返答は迷いがなかった。
クロナは再び外縁を見据える。
鬼族強硬派。
王の意思とは別に動く牙。
「……いい度胸だ」
口元に、わずかな笑みが浮かぶ。
それは怒りではない。
恐れでもない。
王として、試されることを受け入れた者の表情だった。
外側の世界で、静かな火種が燃え続ける。
その熱はやがて、
喰影王クロナという存在を、さらに明確に世界へ刻みつけることになる。




