【第239話:牙を研ぐ者たち、角の影】
評議殿の重い扉が閉じられても、鬼族連山の空気は緩まなかった。
むしろ逆だ。
王たちが「備える」と結論づけたことで、血の気の濃い者たちの心に、別の火が点いた。
それは抑制ではなく、焦りに近い熱だった。
連山の北、溶岩の流れが固まってできた地下洞。
公式の場では使われぬ、古い戦場跡。
そこに五つの影が集まっていた。
全員が、評議に名を連ねる資格を持ちながら、あえて表には出なかった者たちだ。
「……長老どもは、鈍った」
最初に口を開いたのは、四本角の大鬼だった。
肩には無数の傷跡。かつて最前線で“山を割った”と噂された猛者である。
「喰影王?
名を与え、力を恐れ、見て見ぬふりをするだけだ」
別の鬼が鼻を鳴らす。
「喰う王だ。
喰うことでしか前に進まぬ存在を、どうして待てる?」
洞の中央には、粗く刻まれた地図が広げられていた。
グリムファング。
黒翼の王が治める、影と牙の国。
その位置に、鋭い爪痕が何本も刻まれている。
「喰界王は、成長を止めぬ」
細身の鬼が低く言った。
「影の王の力も、いずれ完全に馴染む。
今はまだ“抑えている”だけだ」
「ならば、抑えている今を逃すな」
四本角の鬼が、地図を踏みつけた。
「王になる前に潰す。
群れが整う前に削る。
それが鬼族のやり方だったはずだ」
洞内に、同意の唸りが広がる。
彼らは王の決定を覆す気はなかった。
だが――王が動かぬなら、自分たちが動く。
それだけの話だった。
「正面から攻める必要はない」
別の鬼が言う。
「外側の世界には、まだ“影”が多い。
喰影王の力が及ばぬ場所もある」
「……試すか」
四本角の鬼の口元が歪む。
「影の王を継いだと言うなら、
その影がどこまで届くかをな」
彼らの視線は、地図のさらに外側へ向けられた。
グリムファングの国境ではない。
その先――人族、魔族、異界との境界線。
「喰影王の名を、意図的に揺らす」
「噂を流し、敵を引き寄せる」
「王が守ると言った“群れ”を、試す」
言葉は静かだったが、その内容は明確な挑発だった。
「これは戦ではない」
四本角の鬼が、金棒を肩に担ぐ。
「“選別”だ」
「王にふさわしいかどうかを、
我らが先に確かめる」
洞の奥で、岩がきしむ音がした。
誰かが笑ったのか、
それとも連山そのものが、その決意を歓迎したのか。
いずれにせよ――
鬼族の強硬派は、すでに動き始めていた。
その刃はまだ、鞘の中にある。
だが向けられている先は、ただ一つ。
喰影王クロナと、その国グリムファング。
静かな夜の裏側で、
新たな火種が、確かに息をしていた。




