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【第237話:王の沈黙、国の選択】

 報告が終わってからも、広場の空気は張りつめたままだった。


 クロナは玉座代わりの岩座に腰を下ろし、片肘をついて沈黙している。背後に落ちる影は、主の呼吸に合わせるように静かに揺れ、まるで国そのものの鼓動を映しているかのようだった。


 その沈黙を破ったのは、国境を見張る兵の緊張した声だった。


 「クロナ様。

  国境外縁より、使者が一名……鬼族です」


 一瞬、空気が変わる。


 ざわめきは起きなかった。

 その代わり、誰もが息を詰めた。


 鬼族――それは、これまでグリムファングに正式な使者を立てたことのない種族だった。交易も同盟もなく、ただ「距離を保つ強者」として知られる存在。


 クロナは視線を上げた。


 「単独か?」


 「はい。

  武装は最小限。巨大な金棒を背負っていますが、戦意は感じられません」


 鬼族にしては、あまりにも慎重な態度だった。



 イエガンが一歩前に出る。


 「……鬼族が、礼を尽くして来るとは。

  喰影王という称号が、想像以上に届いているようです」


 ティナも頷く。


 「人族や巡礼騎士団とは違います。

  鬼族は、力を“言葉よりも先に”見る種族です。

  使者を立てた時点で、こちらを王として認め始めている」


 爪部隊の部隊員が、低く言った。


 「ですが、鬼族は一度踏み込めば退きません。

  判断を誤れば、敵にもなり得ます」


 全員の意見は、重く、そして正しかった。


 クロナは目を閉じた。


 力で押し伏せるのは簡単だ。

 だが、それは「王」ではなく「脅威」の振る舞いになる。



 クロナは、ゆっくりと立ち上がった。


 「……会おう」


 短い言葉だったが、迷いはなかった。


 「だが、条件付きだ」


 視線が集まる。


 「国境の外だ。

  ここには入れさせない」


 イエガンがすぐに応じる。


 「内情を見せぬ、という判断ですね」


 「ああ。

  だが、対等に扱う」


 クロナは影を踏みしめ、一歩前に出た。


 「俺が出る。

  鬼族は、王の顔を見なきゃ納得しねぇだろ」



 国境外の岩場で、鬼族の使者は待っていた。


 人の倍はある巨躯。

 角は一本、折れている。赤黒い皮膚に刻まれた無数の傷は、戦歴そのものだった。背負った金棒は、明らかに本物の武器だが、地面に突き立て、両手を離している。


 クロナが姿を現すと、鬼族の男は片膝をついた。


 「喰影王クロナ。

  鬼族連山を束ねる長より、言葉を預かって来た」


 低く、重い声だった。


 クロナは距離を保ったまま答える。


 「用件を言え」


 「貴殿が、喰界王と影の王の力を併せ持つ“王”であるか。

  そして――その力を、国としてどう使うつもりか」


 回りくどさはない。

 鬼族らしい、直球の問いだった。



 クロナは、すぐには答えなかった。


 影が足元で、静かに蠢く。

 見せれば、理解させることもできる。

 だがそれは、試合ではなく支配になる。


 クロナは、言葉で応えた。


 「侵さなければ、侵さない」


 鬼族の使者が、僅かに目を細める。


 「だが、踏み込むなら――」


 クロナの声が低くなる。


 「王として迎える。

  敵でも、同盟でもな」



 鬼族の男は、数秒、黙ってクロナを見つめた。


 やがて、深く頷く。


 「……十分だ」


 男は立ち上がり、金棒を背負い直した。


 「我らは、王なき力を信用しない。

  だが、力ある王は見極める」


 踵を返す直前、鬼族の使者は言った。


 「今日、我らは見た。

  喰影王は、沈黙で逃げず、選択をしたとな」



 その背が岩陰に消えるまで、クロナは動かなかった。


 戻る途中、イエガンが静かに口を開く。


 「……これで、鬼族も無視できなくなりましたね」


 クロナは短く息を吐いた。


 「ああ。

  だが、それでいい」


 影が、王の足元で確かに脈打つ。


 それは戦いの力ではなく、

 国を背負う覚悟の重さだった。


 グリムファングはこの日、

 人族ではなく――鬼族を通して、世界に“王の判断”を示した。

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