【第236話:帰国、牙の国の現在地】
夜森を抜けた先に広がる景色は、クロナの記憶よりもはっきりと変わっていた。
見張り塔が増えている。
ただの木組みではなく、牙獣の骨と硬木を組み合わせた頑丈な造りだ。塔と塔の間には索道が張られ、夜でも合図が行き交う仕組みになっている。
クロナは歩みを止め、しばしその光景を見渡した。
「……ずいぶん、整ったな」
呟きは独り言だったが、その背後でイエガンが深く頷いた。
「クロナ様が不在の間、守りを最優先に整えました。
外から見て“隙がない”と分かる形にしております」
国境を越え、グリムファングの中枢へ向かうにつれ、変化はさらに明確になる。
道がある。
以前は獣道に近かった通路が、踏み固められ、一定の幅を保った“通り”になっていた。荷を運ぶ者、見回りを行う者、訓練に向かう若い戦士たちが、自然な流れで行き交っている。
誰一人、怯えた様子はない。
クロナは、その空気を肌で感じ取っていた。
支配ではなく、定着。
王がいなくとも、国が回っている感触。
◆
中枢の広場では、部隊長たちがすでに揃っていた。
イエガンが一歩前に出て、正式に声を張る。
「――喰影王クロナ様、ご帰還です」
その瞬間、広場の空気が一段引き締まった。
だが、膝を折る動きは最小限だ。恐れではなく、信頼による礼。
クロナは軽く手を上げた。
「楽にしてくれ。今日は報告を聞きに来ただけだ」
最初に進み出たのは、爪部隊をまとめる者だった。
「物資の流れは安定しています。
夜森の外縁に小規模な採集拠点を三つ増設しました。
備蓄は以前の倍、冬越えにも余裕があります」
続いて、防衛担当が前に出る。
「見張り網を二重化しました。
影の兵が巡回する区画と、生身の戦士が巡る区画を分け、混乱を防いでいます」
クロナは、そこでわずかに眉を動かした。
「……影の兵を、もう使ってるのか」
「はい。
ただし、命令権はクロナ様の影にのみ紐付けております。
我らが勝手に使うことはありません」
その返答に、クロナは小さく息を吐いた。
慎重だが、臆してはいない。
◆
最後に前へ出たのが、ティナだった。
「交渉面ですが……周辺の小規模な群れから、接触が増えています」
彼女は記録板を開き、淡々と続ける。
「以前は恐れか敵意が主でしたが、現在は“庇護を求める”内容が中心です。
喰影王の名が、すでに周辺に広がっています」
クロナは、そこで初めてはっきりと国を見渡した。
集落、見張り、行き交う者たち。
どれもが、誰かの命令を待って動いているわけではない。
「……俺がいなくても、ちゃんと育ってやがるな」
その言葉は、満足でも自慢でもない。
確信だった。
イエガンが、少しだけ表情を緩める。
「王が不在でも回る国。
それこそが、クロナ様が築かれた基盤でございます」
クロナは、広場の中央へ一歩進み出た。
「いい報告だ」
短く、だがはっきりと言い切る。
「だったら、次は“外”だ。
人族も、魔族も、異界も――もう無関係じゃいられねぇ」
影が、彼の足元で静かに応えた。
ここは、もう群れではない。
牙を持つ国だ。
喰影王の帰還を受けて、
グリムファングは次の段階へ進み始めていた。




