【第234話:王名の波紋、三つの外界】
喰影王――その名は、風に乗って境界を越えた。
声そのものが届いたわけではない。だが、世界のあちこちで“影の重さ”が変わったことで、多くの者が気づいた。
何かが、生まれた、と。
◆
人族領南端、石壁に囲まれた小国の城塞。
見張り台の兵士が、夜明け直後に異変を訴えた。
「……影が、逆向きに伸びています」
城壁の影は、太陽の位置に逆らうように、わずかに森の方へ傾いていた。錯覚にしては、揃いすぎている。
報告を受けた老将は、無言で地図を見下ろした。
夜森、ゴブリンの群れ、そして最近急に静かになった境界地帯。
「……喰界王の噂は、誇張ではなかったか」
誰にともなく呟き、老将は深く息を吐く。
「いや……違うな。
“王”が、増えたのだ」
人族は、すぐに動かない。
だが同時に、決して忘れない。
◆
魔族領、黒曜の塔。
深層で儀式を行っていた上位魔族が、同時に動きを止めた。
「……影界が、静まりすぎている」
魔力の流れを読む者ほど、違和感は大きい。
暴れもしない、拒みもしない影が、どこか一点を中心に整っている。
「影の王……いや」
別の魔族が、舌打ちした。
「影“だけ”ではない。
喰らう性質も混じっている」
沈黙が落ちる。
魔族にとって、“喰う”という概念は力であり、危険でもある。
「面倒な王だな」
そう言いながら、笑みを浮かべる者もいた。
「だが……試さずにはいられん」
魔族は、人族よりも早く動く。
それが礼儀だと、彼らは思っている。
◆
異界との境界――名も持たぬ歪みの狭間。
形を持たぬ存在たちが、ざわめいていた。
『……影が……閉じた……』
『……境界に、意志がある……』
異界の者にとって、最も忌むべきものは“領域を持つ王”だ。
自由に滲めない。侵食できない。
『……喰らう……王……』
『……避けるべき……だが……』
影は、もう甘くない。
試しに触れた存在が、二度と戻らなかったことが、ざわめきに混じっている。
◆
そして――グリムファングの夜森。
クロナは、まだ知らない。
だが影は、すでに知っていた。
外で起きた反応を、影は歪みとして拾い上げ、静かにクロナの足元へと返している。
「……来るな」
クロナは、短く呟いた。
根拠はない。ただ、確信があった。
イエガンが一歩下がった位置で、静かに頭を下げる。
「……国外、騒がしくなりましょうな。
ですが……」
一瞬、言葉を切り、続ける。
「それは、クロナ様が王として認められた証でもあります」
クロナは、影の揺れを踏みしめる。
「……ああ。
だったら、迎えるだけだ」
戦でも、交渉でも、試しでもいい。
喰影王は、もう隠れない。
国外は、確かに動き始めた。
それはまだ牙ではない。
だが――
牙が向けられる日は、そう遠くなかった。




