【第233話:喰影王、境界へ告ぐ】
夜明け前の空は、まだ色を決めきれずにいた。
群れの拠点を囲む夜森の上で、星と闇がゆっくりと後退し、代わりに淡い灰色が広がっていく。
クロナは、見晴らしのいい岩棚に立っていた。
その背後には、グリムファングの戦士たち。牙部隊、爪部隊、目部隊――全てが揃い、誰一人として私語はない。
静かすぎるほどの空気だった。
だが、外側は違う。
森の境界、そのさらに向こう。人族、魔獣、異形、そして異界に連なる者たちへと続く“外”。
そこへ向けて、クロナは立っている。
「……集まってくれて、ありがとうな」
クロナは振り返らず、前を見たまま言った。
声は低いが、はっきりと届く。
「今日ここに立ってるのは、戦の前だからじゃねぇ。
何かを奪うためでもない」
一拍、間を置く。
足元の影が、静かにうねった。
「俺は……帰ってきた」
その言葉に、背後の空気がわずかに揺れる。
影の塔、外側の世界、影の番人。そこから戻ったことを、全員が理解している。
クロナは、ゆっくりと右手を上げた。
影が応える。
地面から、森の木々から、岩の陰から、黒が立ち上がった。だが荒れ狂うことはない。整然と、秩序を保ったまま、陣を形作る。
「影の王の力は、もう俺の中で暴れない」
クロナはそう言い切った。
確信があった。
喰らって抑え込んだのではない。
従わせたのでもない。
影として、在るべき場所に置いた。
「喰界王として、俺はこれまで数え切れない力を喰ってきた。
それは生き残るためで、群れを守るためだった」
拳を握る。
そこに集まるのは、喰界王の重たい力。
「影の王の力は違った。
これは、守る場所を決める力だ」
影が、群れの周囲を囲むように静止する。
見えない壁。だが、確かな境界。
「だから俺は、ここで名乗る」
クロナは、初めて背後を振り返った。
グリムファング全員と、視線を交わす。
「喰界王でも、影の王でも終わらねぇ」
一歩、前へ。
影が自然と道を開く。
「喰らい、影を治める者――」
その声は、森を越え、境界を越え、外へと流れ出していく。
「――俺は、喰影王だ」
宣言と同時に、影が大きく脈動した。
だがそれは威嚇ではない。
“ここから先は、俺の領域だ”
そう告げる、王の呼吸だった。
遠くで、何かがざわめいた。
国外――人の国、魔獣の縄張り、異界に近い者たち。
まだ姿は見えないが、確かに“聞いた”者がいる。
イエガンが、深く膝を折る。
「……御名、確かに。
我ら、グリムファング一同、喰影王クロナ様に従います」
ティナもまた、静かに頭を下げた。
「影も、群れも……すでに、クロナ様を王として受け入れております」
クロナは小さく息を吐いた。
背負うものが増えた重さを、はっきりと感じながら。
「……ああ。だったら」
前を向く。
「守るだけだ。
ここも、これから来る全部も」
夜が完全に明ける。
その瞬間、喰影王の影は、森全体へと静かに広がっていった。
それは侵略ではない。
宣戦布告でもない。
――王が、そこに在るという事実だった。




