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【第229話:夜森を越えて、影の帰属】

夜森を抜ける風は冷たく、戦いの熱を奪うようにクロナの頬を撫でていった。

 外側の世界へと続く獣道は、以前と変わらぬはずなのに、どこか様子が違って見える。木々の影は静かで、騒がしかった夜のざわめきが嘘のように遠のいていた。


 クロナは歩きながら、自身の足元へと意識を落とした。

 影は確かにそこにある。だが、かつてのようにただ光を遮るだけの存在ではない。わずかな動きに応じて密度が変わり、地面と呼応するように形を保っている。


 ――従っている。


 そう理解した瞬間、胸の奥に微かな違和感が残った。

 力を得た実感よりも先に、自分が“主”として認識されている感覚。それは喰らうことで得た力とは、明らかに性質が違っていた。


 「……影の王、か」


 声に出してみても、実感は薄い。

 クロナ自身、その力を完全に把握しているわけではなかった。ただ、影の番人を取り込んだあの瞬間、影が“拒まなかった”という事実だけが、強く記憶に残っている。


 後方では、イエガンが一定の距離を保ちながら歩いていた。

 周囲への警戒を怠らず、森の気配を読むその姿は、牙部隊長として変わらぬものだ。


 「……クロナ様」


 イエガンの声は低く、慎重だった。


 「何だ」


 「先ほどから、森の影が……妙に静かでございます」


 クロナは歩みを止めず、わずかに首を傾ける。


 「敵意は?」


 「感じられません。ただ……避けられているような感覚がございます」


 その言葉に、クロナは足を止めた。

 振り返り、周囲の木立を見渡す。確かに、影の揺らぎが少ない。風は吹いているのに、影だけが必要以上に動かない。


 「……そうか」


 短く呟き、クロナは再び前を向いた。


 影の番人を影の兵士として取り込んだ影響が、すでに外側の世界へも及び始めている。直接支配しているわけではない。だが、影そのものが“誰のものか”を理解し、距離を取っている。


 その事実に、クロナは小さく息を吐いた。


 「思ったより……影響が早いな」


 イエガンは、その背中を見つめながら一歩だけ距離を詰める。


 「……差し出がましいかもしれませんが」


 「言え」


 「クロナ様の影……以前より、はっきりと“主を持つもの”に見えます」


 率直な言葉だった。

 だが、そこに恐れはない。事実を見て、受け止めた上での進言だ。


 クロナは一瞬、影を踏みしめるように足へ力を込めた。

 影は逃げず、歪まず、ただそこに留まる。


 「……俺も、そう感じてる」


 完全に制御できているとは言えない。

 だが、暴走する気配もない。影の王の力は、今のところ“静かすぎる”ほど静かだった。


 外側の世界の空が、わずかに開ける。

 夜森の境界が見え始め、遠くには群れの拠点へ続く道が伸びていた。


 クロナは歩きながら、意識の奥で影に問いかける。

 命令ではない。確認に近いものだ。


 ――守れるか。


 影は答えない。

 だが、足元で確かに重みを増し、揺るぎなく大地に張り付いた。


 「……上出来だ」


 誰にともなく呟き、クロナは歩を進める。


 影の王の力は、まだ片鱗に過ぎない。

 だがその片鱗は、すでに群れの帰路を静かに照らしていた。


 夜は、まだ深い。

 しかしその闇は、もはやクロナに牙を剥くものではなかった。

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