【第227話:外界の呼び声、揺れぬ誓い】
歪んだ空間の裂け目を抜けた先は、沈黙の海だった。
灰と黒が混ざり合った地平がどこまでも続き、空は色を失ったように薄く濁っている。音も、風も、匂いもない。まるで世界そのものが“息をすること”を忘れたかのようだった。
クロナは一歩前に出ると、靴裏で地を確かめた。
硬い岩とも違う、影とも違う、不定形の“世界の皮”のような質感が足を受け止める。
「……外側の世界ってのは、ほんとに気味が悪ぃ場所だな」
呟いた声は空気に溶けず、ただその場で震えただけだった。
ティナが隣に立ち、静かに頷く。
「ええ……ですが、この奥に“影の道の核心”があるのは確かです。影の番人を取り込んだ影響で、道そのものが少しだけ開き始めています」
クロナの影が微かに揺れた。
その揺らぎの内部で、影の番人の“残響”が低く蠢いている。完全に支配下にあるとはいえ、その存在は異質で、生きた刃のようだ。
「役に立つなら使わせてもらう。……今はそういう段階だ」
クロナは目を細めた。
その瞳の奥で、黒い光がかすかに瞬く。影の王の力が、また静かに波を打っている。
ティナはクロナの腕に視線を落とす。
「その力……先ほどより安定していますね。喰界王の力と干渉して暴走していた部分が、少し落ち着いたようにみえます」
「……俺にもよく分からん。ただ、力の輪郭が前より“掴める”」
クロナは手を開き、握った。
ただそれだけで、周囲の影がわずかに沈む。
ティナが息を呑む。
「……クロナ様、あまり無理はなさらずに」
「無理はしねぇよ。ここで暴走したら、お前もろとも飲んじまうからな」
軽口のように聞こえたが、その声には確かな慎重さがあった。
先へ進むほど、空間の密度が増していく。影の王が息をしていた頃の名残――この外界全体が、その痕跡で作られているかのようだ。
クロナは歩みを止めず言った。
「……ティナ。イエガンたちは大丈夫か?」
「はい。牙部隊はすでに防衛陣を固めています。イエガンは……“クロナ様が戻るまで入口を死守する”と」
「……そうか」
仲間の名を聞いた瞬間、クロナの影がわずかに揺れた。
炎ではない。だが確かな熱が、胸の奥に灯る。
世界の底を歩くようなこの場所でも、消えない火だ。
その時だった。
――ゴウッ、と音もない衝撃が襲う。
クロナとティナの視界の先、灰色の地平が裂け、巨大な影の柱が立ち上った。
ティナが即座に構える。
「……来ます。影の番人と同質……いえ、それ以上の“深層の守護”です!」
クロナは一歩前へ出た。
「いい……そろそろ、片をつける」
影がクロナの足元から広がり、外界の地面を黒く染めていく。
まるでこの世界そのものが、クロナの影に呼応して形を変えようとしているかのようだった。
ティナが息を呑む。
「……クロナ様……影の王の力が……」
クロナは低く応えた。
「分かってる。片鱗だ。まだ“本気じゃない”」
影の柱が轟音もなく迫りくる。
クロナは前へ出た。
拳を握る音すら、この世界では響かない。
ただ――影だけが、雄叫びを上げていた。




