【第226話:深層の門、沈む呼び声】
影道の先にそびえ立つ“黒門”は、ただの通路ではなかった。
形を持ちながら形を失い続けるような、輪郭が常に揺らぎ、見ているだけで思考を削られる異質の門──まさに深層への境界そのものだ。
クロナは立ち止まり、目の前のそれをじっと見据えた。
皮膚の下を冷たい何かが流れ、心臓の鼓動が一拍だけ遅れたように感じる。
「……ここからが本番か」
ティナが横で小さく頷く。
「深層に踏み込むと、影は実体と記憶を混濁させます。クロナ様の魂に負荷がかかりますので……くれぐれも無茶はなさらないように」
「無茶しないで倒せる相手ならいいんだけどな」
冗談めかした声。
しかし、それが本気の冗談ではないことを、ティナは理解していた。
だからこそ、横顔を向ける視線はどこか不安げだった。
「クロナ様。もし、影の王の力が再び暴走の兆候を見せた場合は──」
「そのときは俺が押さえ込む。ティナが心配することじゃない」
言葉が少しだけ強くなる。
ティナは口を閉ざし、静かに頭を下げた。
「……承知しました」
影の番人が門の前に進み出る。
その動きは先ほどまでの戦闘からは想像もできないほど従順で、静かだった。
「王よ。深層の門を開きます。御身の影をお預かりいたします」
番人が両手を広げ、黒門に触れた瞬間──
空間が低く軋み、門全体が“呼吸”を始めた。
クロナは思わず眉を寄せる。
「……なんだこれ。生きてるのか?」
「門そのものが、影の意志に近い存在です。深層に入る者の魂を試す……というより、喰らおうとする構造ですね」
「喰らうのが出迎えってのも、随分な世界だな」
黒門がゆっくりと開き、内部から重たい“呼び声”が溢れ出した。
それは音ではなく、圧力。
心臓に直接触れてくるような、深淵からの招待状だ。
クロナの影が足元でざわりと揺れる。
まるで応えるように、ほんの少し隆起した。
「……また勝手に動いたな」
「クロナ様の影……強まっています。深層に近付くほど反応しやすくなるのでしょう」
「片鱗のくせに自己主張が強いな……いいから従ってくれればそれでいいんだが」
そう呟きながらも、クロナは一歩前へ踏み出した。
黒門の内側は、光も音も意味を持たない空白だった。
ただ、重さだけが存在している。
ティナが隣に立ち、同時に進み入る。
「影の番人、ついて来い」
「御意」
三つの影が門をくぐった瞬間──
後ろで門が閉じる音がしないのに、空間が断ち切られたような感覚がした。
振り返れば、そこには道も門もなく、ただ“深層”という曖昧な空間が広がるばかり。
「……やっぱり、ここは変な場所だな」
クロナの言葉に、ティナが静かに答える。
「ここから先は、世界の“外側”の中でも最も不安定な地帯です。影の思考、残留意識、廃棄された記憶……それらが混じり合い、形を取り続けています」
影の番人が周囲を見渡し、膝をついた。
「王よ……気を付けて進みましょう。ここには“王亡き後の影”が彷徨っています。敵意は弱いですが、飢えています」
「飢えてる、か。じゃあ──喰らう前に、俺が喰らう」
クロナの瞳に、わずかに黒い光が灯った。
深層の闇がざわりと揺れ、
“歓迎”とも“警告”ともつかない波動が周囲を満たしていく。
次の敵は──
番人よりも強い。
影に囚われ、力も意志も変質した存在だ。
そしてクロナの影は、まるでそれを“知っている”かのように沈み、待ち構えていた。
「行こう、ティナ」
「はい、クロナ様」
二人と一体の番人は、深層の闇へと歩を進める。




