【第219話:影の深界、揺れ残る鼓動】
幻層の奥地を進むにつれ、影の濃さはさらに増していった。
ただ暗いだけではない。
影そのものが蠢き、存在の境目を曖昧にするような“深さ”を持ち始めている。
クロナは足を止め、周囲の気配を探った。
森の奥から、一定のリズムで“脈動”が伝わってくる。
黒核にも似た、その重たい鼓動。
ティナは杖を胸元に寄せ、息を静かに整える。
「……クロナ様。あの脈動……どうやら“核の残滓”ではありません」
イエガンが眉を寄せる。
「では……何だと言うのです?」
ティナは慎重に言葉を選んだ。
「影界……いえ、幻層が本来持っていた“中心の影”……その名残です。
喰界王の力に反応し、今……呼び覚まされつつあるのだと思います」
クロナは短く息を吐いた。
「中心……ねぇ。
なら、そいつが俺を呼んでんだろ」
ティナとイエガンが同時にクロナを見る。
だがクロナの表情は変わらない。
影が体の奥で静かに回り、まるで新たな獲物を前にした獣のように、わずかに期待の色さえ帯びていた。
そのとき、空気が震えた。
森の影が一斉に波打ち、一本の道が奥へ向かって裂けるように開いた。
幻層そのものが、クロナたちを導くように道を作り替えていく。
イエガンが息を呑む。
「……クロナ様の影に……幻層が屈している……?
まさか……これほどとは……」
ティナは冷静に観察しながら、かすかに微笑んだ。
「屈しているというより……“認識している”のだと思います。
クロナ様の影を、この層の一部として……」
クロナは肩を鳴らし、進路に足を向けた。
「どっちでもいい。
奥が開いたなら、行くだけだ」
道は細く、そして深い。
踏み込んだ瞬間、視界の奥で何かが動いたように見えた。
それは、影の形をした“人”だった。
輪郭があいまいで、顔もない。
ただ、人間と同じ高さの影が、道の先でふらりと漂っていた。
ティナが小さく息を呑む。
「……あれは……幻層の“写し身”……?
本来は、ここまで形を成すことはないはずですが……」
イエガンは剣の柄に手を置く。
「危険と見れば、私が前に出ましょう!」
だがクロナは止めなかった。
ただ、静かに影をまとわせながら、その存在へ歩み寄っていく。
影の人影は、クロナたちを見るとゆっくりと首を傾けた。
声はない。
だが、確かに“見ている”。
クロナは一歩前に出る。
その瞬間——
影の人影は、音もなく崩れた。
霧のように散り、周囲の影に溶けて消える。
ティナは目を伏せた。
「……この層の“記憶”が、形を成しているのかもしれません。
影界の奥に眠る歴史……未だ語られぬ古い影たちの残滓です」
クロナは崩れた影の残りを見下ろしながら呟いた。
「……残滓でも、道を示すってわけか」
彼の影がふっと揺れ、周囲の闇を巻き込む。
奥からまた、脈動が響いた。
今度は先ほどよりも近い。
森が揺れ、幻層全体の影がざわつく。
イエガンが姿勢を正した。
「クロナ様……この先……何かが待っています」
ティナも深く頷く。
「恐らく、この幻層の“核そのもの”……」
クロナは黒翼をわずかに広げ、唇の端を上げた。
「行こう。
全部まとめて喰ってやるよ」
幻層はさらに深く震え、三人の行く手を照らすように影の道が伸びていく。
クロナたちは歩み続けた。
中心へ。
この外側の世界が抱える、最も古い影へ。
決戦の舞台は、確実に近づいていた。




