【第217話:影踏みの静寂、牙の誓い】
空間の揺れがようやく収まり、クロナは深く息を吐いた。
足元には“地面らしきもの”が広がっているが、その表面は黒い霧の膜が薄く張りついたように脈動しており、生物の皮膚に近い。
少し離れた場所で、ティナとイエガンも体勢を立て直していた。
三人の周囲には木のようにそびえ立つ構造物が無数に伸びているが、幹らしき部分には節ではなく影の筋が走り、風が吹くたびに形を変える。見た目は森でも、自然の森とは似ても似つかない。
クロナはその一本に手を触れた。
ぬるり、と影が応じ、形を変えて波紋を広げる。
「……やっぱり、生きてやがるな」
不快を顔に出すでもなく、むしろ興味深げに呟いた。
ティナがそっと背後に寄り、周囲を見回す。
「ここは……影界でも、通常世界でもありません。外側の世界の、もっと深い層……“幻層”に近い性質です」
イエガンも頷き、歯を噛みしめた。
「……ここは、核の破片が散ったことで構造が乱れ……影が、森のような形を取ったのかもしれません。油断は禁物です、クロナ様」
クロナは前方へ視線を向ける。
森にも似た幻層の奥——薄い光のひずみが、揺れていた。まるで向こう側の空間が呼吸をしているかのように、吸い込み、吐き出す。
そのたび、木の形をした影がざわめき、地面の膜が波打つ。
幻層全体が、ひとつの巨大な生命体の“呼気”のようだった。
「……あっちだな」
クロナは歩き出す。
足音はあるが、響き方が普通ではない。音が少し遅れて返ってきて、距離感も不確かに揺らぐ。
ティナが後ろに続いた。
「先の揺らぎ……大きな核の残滓が、まだこの層に残っています。放置すれば、幻層そのものがこちら側へ侵食を始める危険も……」
「なら壊すだけだろ」
クロナは迷いなく言った。
黒翼が軽く揺れ、周囲の影に応じるように微細な震えが走る。
イエガンは小さく息をのみ、しかしすぐに頭を下げた。
「……御意。クロナ様のご判断に従います」
三人は幻層の森の奥へと進む。
影でできた“木々”が道を開くように揺れ、また閉じる。
ゆらりと霧が流れると、地面の膜が淡く光り、その呼吸がさらに深くなった。
——この森は、待っている。
クロナたちを誘うように。
そして、その奥底から響く気配は確かに、体を震わせるほど濃かった。
クロナはわずかに笑みを浮かべた。
「……行くぞ。まだ終わりじゃねぇ」
黒翼が広がり、外側の世界・幻層の深部へと影が伸びていく。
その奥で、何かが脈動し、彼らの到達を待っていた。




