【第216話:外側の胎動、歪んだ空の下】
裂け目は、静かに揺れていた。
空間が終わりを迎えつつある中で、そこだけが異質な“出口”として形を保っている。黒く歪んだ縁取りは脈打ち、内側からはぬるい風のような気配が漏れ出していた。
クロナは、その前に立っていた。
黒翼はすでに畳まれている。だが、影は足元から離れていない。皮膚の下を流れる感覚のように、常に力が巡っていた。
背後で、空間が小さく崩れ落ちる音がした。
イエガンが、ようやく体勢を立て直していた。肩で息をしながらも、その視線は裂け目へと向けられている。
「……外……ですね……クロナ様……」
短い言葉にも、警戒が滲んでいた。
ティナはすでに歩み寄ってきていた。
影を引きずるようにではなく、影と並ぶように歩く。その足取りは静かで、無駄がなかった。
「……気配が……変わっています……内側とは……違う……重さです……」
クロナは裂け目に手を伸ばした。
触れた指先が、歪んだ空間にすり抜ける。水に触れたときのように、波紋が走り、空気が大きく揺れた。
次の瞬間、視界が反転した。
落ちるという感覚ではない。引き剥がされるような感覚でもなかった。ただ、景色そのものが裏返る。
クロナたちは“外”に出ていた。
空は、夜ではなかった。
だが、昼とも言えない。灰色の雲が幾重にも折り重なり、その隙間から淀んだ光が地上に落ちている。空そのものが、歪みに耐えきれず、引きつったように波打っていた。
足元は、乾いた大地だった。
だがひび割れた地面の奥底には、赤黒い脈が走っている。それはまるで、この世界そのものの血管のように蠢いていた。
クロナは、ゆっくりと息を吐いた。
胸の奥に残っていた圧迫感が、少しだけ薄れる。それでも違和感は消えなかった。この場所は“正常”ではない。
「……くせぇ空気だな」
低く呟いた。
イエガンは周囲を素早く見渡しながら、クロナの少し後ろに立つ。
「……戦場の……臭いです……クロナ様……」
ティナは、しゃがみ込み、地面に指先を触れた。
「……流れています……かなり……深いところで……」
風が、吹いた。
乾いた音を立てながら、黒い砂のようなものが舞い上がる。それはただの砂ではなく、砕けた“影”の破片のように見えた。
そして、遠くの大地が、盛り上がった。
最初は錯覚のようだった。だが次の瞬間、はっきりと“何か”が持ち上がっているのが見えた。
地面が割れ、黒い骨のようなものが突き出す。
それは一本ではなかった。
何本も、何本も。
まるで大地の内側から、巨大な肋骨が押し上げられているようだった。
クロナは、それを見て笑った。
「……なるほどな」
声には、わずかな高揚が混じっていた。
「……静かな世界ってのは……やっぱ嘘だったか」
大地の割れ目の奥。
そこから、何かが動き始めている。
外側の世界は、すでに目覚めていた。




