【第210話:本体顕現、黒牙の衝突】
空間が、軋んだ。
天井も、壁も、床も。
生き物の内側のように脈打ち、赤黒い光をにじませながら、ゆっくりと“本体”を押し出してくる。
それは巨人のようでもあり、獣のようでもあった。
腕は三本。
脚は歪に折れ曲がり、胴体には無数の“核”のような膨らみ。
そして——
胸の中央に、さきほどまで浮かんでいたあの“黒核”が、埋め込まれていた。
『……我は、喰われる前の“夜”……』
声が、空間そのものを震わせる。
『……名はない……ただ、生まれ続けてきた影……』
黒い靄が、床を滑り、天井へと巻き上がる。
イエガンが一歩、前に出かけて、すぐ止まった。
「……クロナ様……」
振り向かずとも、彼の背中が何を言いたいかは分かる。
——危険すぎる、と。
だがクロナは、笑った。
「下がってろ。これは……俺の“獲物”だ」
ティナの声は、震えていたが……揺れてはいなかった。
「……どうか……御無事で……クロナ様」
クロナは一度だけ、軽く頷く。
次の瞬間、
黒い巨体の腕が、大地を叩き潰す。
ドガァンッ!!!
衝撃波が爆ぜ、床がえぐれ、空間がひしゃげた。
「……っは!」
クロナは跳ねた。
地面を蹴り、空中へ。
黒翼を大きく広げ、そのまま一直線に突っ込む。
「でかいだけなら……何百回も見てきたんだよ!」
拳に影が集まる。
“喰界王”の力が、腕の奥で目を覚ます。
ドンッ!!
叩き込まれた一撃が、腕を砕いた。
影の肉片が、霧のように散る。
だが、すぐに再生し、別の腕が伸びてくる。
『……喰う……喰う……喰われるがために……生まれ続ける……』
「うるせぇよ」
クロナは空中で身をひねり、足で顔面を蹴り抜いた。
バキィッ!!
ひび割れた“顔”が歪む。
だが同時に、胸の黒核が強く光った。
ズン……!
重力が、反転する。
クロナの身体が、一気に地面へと引きずり下ろされた。
ドサァッ!!
地面に叩きつけられる衝撃。
内臓が揺れ、視界が一瞬白く弾けた。
——それでも。
「……痛ぇな」
クロナは、立った。
地面に手を突き、ゆっくりと立ち上がる。
血が口から垂れたが、舌で拭った。
「でも……悪くねぇ」
影が、彼の足元でざわめく。
黒翼が、さらに大きく広がる。
まるで、夜そのものが背中に宿ったように。
「……お前さ」
クロナは、ゆっくりと笑った。
「喰われる覚悟、できてんのか?」
空間が震え、黒い巨体が唸る。
『……来い……喰う牙……』
核が、一段と強く脈打つ。
クロナは、地面を蹴った。
風が裂ける。
影が吠える。
ぶつかる直前。
クロナの瞳が、紅く光った。
「——ここからだ」
黒翼が空を裂き、
黒核が咆哮をあげる。
決戦は、ついに本当の入り口へと踏み込んだ。




