【第207話:裂け目の奥、息づく骸】
縫い目の内側は、夜よりも暗かった。
森の音は完全に途切れ、足音すら吸い込まれていく。
空気は冷えているはずなのに、肌にまとわりつくような熱気があった。
クロナは黒翼をたたみ、ゆっくりと歩を進める。
地面は土ではない。
黒く乾いた“何か”だ。踏むたびに、かすかに脈打つ。
「……生きてやがるな、ここ」
背後から小さな気配。
「はい……クロナ様」
ティナは周囲を警戒しながら、声を落とす。
「影界そのものが“器官”のように……呼吸しております」
「呼吸、か」
イエガンも頷く。
「まるで巨大な生き物の体内……そう思えば辻褄が合います、クロナ様」
クロナは軽く舌打ちした。
「腹ん中に入り込んだ訳かよ……」
だが、足は止めない。
むしろ心臓が速く打ちはじめているのがわかる。
黒核が、はっきりと熱を帯びていた。
――来い。
そう言っているようだった。
ズ……と、横の“壁”が盛り上がる。
ぬるり、と裂けるように割れて、何かが這い出して来た。
人の形に近い……が、顔が剥がれている。
目の部分は空洞。
口の代わりに、縫い目のような裂け口が走っている。
「……新手か」
次の瞬間、その骸が四肢を地面に叩きつけた。
バンッ!!
衝撃が空間を震わせ、クロナの足元が崩れる。
「クロナ様!」
呟くような声と同時に、クロナは跳躍した。
黒翼が一気に開く。
「遅ぇ!」
右腕を振り抜き、影の骸の側頭部を殴り飛ばす。
……が、砕けたはずの頭が、黒い糸のようなもので引き戻される。
「チッ……!」
骸は地面に手を叩きつける。
腐った水のような波紋が広がり、影が伸びた。
ティナが叫ぶ。
「クロナ様! 足元……掴まれております!」
影が足首に絡みついていた。
ぐ、と力を込める。
だが――ちぎれない。
強い。
「……力押しは無理か」
クロナは、小さく笑った。
「なら……」
黒翼の根元が脈打つ。
喰界の力が、身体の奥から溢れ出す。
「――力を喰って、強く叩く」
影に触れた瞬間、熱が走った。
影の性質。
動き。
つなぎ方。
「……見えた」
クロナは足を引くのをやめ、あえて影に踏み込んだ。
一瞬、身体が沈みかける。
だが――止めた。
「俺は沈まねぇ!」
黒翼を地面に叩きつける。
ズガンッ!!
衝撃と同時に、影が一気に千切れた。
骸がバランスを崩す。
クロナはその隙を逃さない。
一歩踏み込み、腹部へ拳を叩き込む。
「だぁぁぁっ!!」
砕ける音。
内部から黒い霧が吹き出した。
骸は崩れ落ち、床と一体化していく。
……だが。
空間の奥が、ゆっくりと“開いて”いった。
小さな穴。
その向こうに、何か大きな脈動が見えた。
ドクン……ドクン……と。
生きている。
「クロナ様……」
ティナの声が、わずかに震える。
「見えます……“本体”の鼓動……」
イエガンも息を飲む。
「……近い、です。相当」
クロナは拳を握り直した。
黒核が、はっきりと共鳴している。
「逃げ場はねぇな」
ニヤリと歯を見せる。
「……行くぞ」
裂け目の奥へと、歩みを進めた。
次はもう――中心だ。




