【第206話:影界の縫い目、揺らぐ気配】
夜の森は、妙に静かだった。
風は吹いているのに、葉はほとんど音を立てない。
虫の声も、獣の気配も、どこか遠い。
クロナは土を踏みしめながら、低く息を吐いた。
「……気持ち悪い」
空気が“薄い”。
塔でも、川底でも感じなかった種類の違和感だ。
影が、ずれている。
地面に落ちる木々の影が、形と合っていない。
幹の影が、一本多い。
枝の影が、ありえない方向に伸びている。
背後から控えめな足音。
「クロナ様……」
ティナだった。声は低く、慎重だ。
「影が……縫われた跡がございます」
「縫われた?」
「はい。二つの“境目”を無理矢理つなぎ合わせたような……不自然な縫い目です」
クロナは目を細め、前を見た。
森の奥。
空気が“歪んで”見える場所がある。
黒い線のようなものが、地面から空まで走っていた。
……あれが、縫い目か。
「イエガン、どうだ?」
「はい、クロナ様」
一歩後ろに控えていたイエガンが頷く。
「肌にまとわりつく気配……間違いございません。ここはすでに“影界の縁”にございます」
敵の本体へ、つながる道。
クロナは口角を上げた。
胸の奥で、黒い核が熱を持つ。
喰界王の力が、じわじわと騒ぎ出していた。
「……来てるな」
言葉と同時に、地面が“裂けた”。
ズズズ……と土が盛り上がり、黒い腕が三本、地面から飛び出す。
続いて、上半身。
骨のように細い体。
顔のない頭。
影の獣――だが、前に戦ったものとは明らかに違う。
速い。
地面を蹴り、いきなりクロナに飛びかかってきた。
「!? クロナ様!」
ティナの声と同時に、クロナは前に踏み込んだ。
「遅ぇんだよ!」
黒翼を一気に広げ、空気を裂く。
――ゴンッ!!
正面から拳を叩き込む。
だが、その瞬間。
スカ……と手応えが抜けた。
「チッ!」
獣の体が“ほどける”ように溶け、クロナの背後に回り込む。
背中が焼けるように熱い。
「ぐっ……!」
だが、かわさない。
「……だから面白ぇんだ」
黒翼が逆方向に跳ね、刃のようにしなる。
背後の影獣をまとめて切り裂いた。
ビリビリと空気が鳴る。
獣は地面に落ち、なおも形を保とうと震える。
クロナはその喉元――いや、“核”の気配がある場所に足を乗せた。
「お前……ただの手先だな?」
踏み込むと、影の体がひしゃげる。
「答えはいい」
黒い力を足に集中させる。
「……喰う」
ズン――と音がして、影の獣は核ごと砕け散った。
だが。
消えない。
霧のような黒が地面を這い、例の“縫い目”に吸い込まれていく。
ティナが息を飲んだ。
「クロナ様……あの裂け目……さらに広がっております」
イエガンも低く唸る。
「……手先を倒すほど、向こうが開く仕組みのようです」
クロナは舌打ちし、それから笑った。
「最高じゃねぇか」
黒翼を肩で鳴らすように広げる。
「なら、ぶっ潰しながら――辿り着くだけだ」
縫い目の向こうから、確かな“視線”を感じた。
何かが、こちらを見ている。
本体は、近い。
クロナは前に踏み出した。
影界の裂け目へと――真っ直ぐに。




