【第1話:目覚め、泥と光】
——冷たい。
何かが、頬にまとわりついている。
湿って、重たく、鼻につくような腐臭を伴っていた。
ゆっくりとまぶたを開けると、視界はぼやけていた。
光の粒が揺れ、木々の隙間から差し込んでいる。
その光に目が慣れるまで、しばらくかかった。
「……ここは、どこだ……?」
言葉が思ったように出てこない。
舌が重く、口の中が妙に乾いている。
喉の奥から出た声は、まるで潰れた獣のようだった。
体を動かそうとすると、全身が痛んだ。
手……のようなものを見て、圭は眉をひそめる。
(……何だ、この手……?)
指が短く、太く、肌は緑がかっていた。
泥と血のようなもので汚れていて、皮膚の感覚が鈍い。
あわてて身体を起こすが、すぐにふらついた。
体が小さい。視点が地面に近い。
身長が……いや、そもそも骨格からして変だ。
呼吸が浅くなった。
頭が混乱する。
(夢か? 事故の後、病院か? いや、これは……)
ふと、胃の奥が締めつけられるような空腹感が襲ってきた。
それはただの「空腹」ではなかった。
まるで本能が「何かを食え」と怒鳴っているような感覚だった。
——そのとき、視界の端に動く影が見えた。
小さな虫だった。
黒く光る甲殻。森の土に潜っていくように消えていく。
それを見た瞬間、信じられないことに、圭は涎を垂らしていた。
虫を見て、腹が鳴る。
「……なんだよ、これ……っ」
思わず口元を拭うが、手の感触は明らかに“自分”のものではない。
震えが止まらない。心臓の鼓動がうるさいほど耳に響く。
そしてそのとき、ふと頭の中に声が響いた。
【個体識別を確認……種族:ゴブリン・幼体】
【特性:飢餓/本能優位/初期適応能力 高】
「ゴブリン……?」
口の中で呟いたその言葉が、森の静寂に吸い込まれていった。
——これは夢じゃない。
俺は人間じゃない。
俺は……ゴブリンに、なったのか……?
まだ信じ切れないまま、圭はゆっくりと森の中を這い進んだ。
何かを探すように、何かに導かれるように。
腹を満たすものを、そして“自分”を確かめるものを。
それが、彼の新たな“人生”の、最初の一歩だった。