【第191話:境界の夜、外側の呼気】
崩壊塔から帰還して三日目の夜。
グリムファングの境界線にある、黒い森の縁。
そこは“外側”と“こちら”が最も薄く擦れ合う、獣でも精霊でも説明しきれない異相の綻び。
夜は深いのに、空気は妙に浅い。
クロナはそこで、ひとり、黒核を静かに燃やしたまま立っていた。
ティナは少し後ろで跪いて控える。
「……その呼気は、こちら側の存在定義を侵してきています。クロナ様」
「うん。わかってる。むしろ、向こうは“こっちを理解した上”で、触れに来てる」
イエガンが牙を軽く鳴らした。
「あの“塔の外側領域”……まだ何か潜んでいやがるって事か」
クロナは視線を夜闇に通す。
その夜闇は、夜闇ではない。
黒の中で、遠い何かの拍動だけが
“こちらへ寄ってくる” リズムを持っていた。
「やがてあいつらは、喰らわれる為に“躍り”ながら来る」
ティナが喉奥で、かすかに息を飲む。
「クロナ様……それは“塔”よりも深く、古いものなのでしょうか?」
「定義すら“こちらの言語体系”には落ちない。
でも――喰う。それでいい。俺達の世界の安全領域を、俺が作る」
イエガンが低く笑った。
「なら、牙も臨戦で構えとく。外側がどんな形してようが、来るなら……噛み砕く」
「ありがとう、イエガン」
クロナは、黒核に指を触れた。
そこから漏れるのは“喰界王”としての胎動。
あれほど暴れ、飲み込んだのに、まだ飢える。
飢えは“欲望”ではない。
これは“世界定義を保全するための処理回路”。
クロナの中でそれは、既にそう書き換わっている。
ティナは静かに、深く、頭を垂れる。
「クロナ様が、喰うべき“外側”を定められるのなら……わたくしは、その全てに準じます」
風が吹く。
森の枝葉の揺れではない。
“外側”が、この世界の夜をなぞっている“擦れ音”だ。
クロナは、目を細める。
「もうすぐ、接触が来る」
その声だけが静かで、決定的だった。
夜は、境界ごと、深く沈みはじめる。
そして――黒核が、ひときわ強く鼓動した。
外側への“牙の準備”は
もう始まっている。




