【第159話:廃都への影踏み】
夜明け前、森の濃い靄を割って、静かな一行が進発した。
クロナの命を受け、ティナを筆頭に目部隊と牙部隊から選りすぐられた精鋭が「廃都」偵察のために組織されていた。
森を抜ける彼らの足取りは、緊張に満ちている。
「……廃都か。まさか実際に行くことになるとは」
小声で呟いた若い兵に、ティナが冷ややかに返す。
「怖いなら帰ってもいい。だが、影は待ってはくれない」
その一言で、兵たちは互いに視線を交わし、無言で頷いた。
廃都への道は荒野を越える。枯れた草原の先、遠くに黒ずんだ廃墟の輪郭が見え始めたとき、全員の喉がひとつ鳴った。
かつて王国の栄華を誇った都。その残骸は、まるで大地に突き刺さる墓標の群れのように並び立ち、空を裂く塔の残骸は、未だ死を拒むように朽ち果てきらずにいた。
「……息が重い」
一人が呟く。確かに、近づくにつれて空気は濃く淀み、ただ歩くだけで胸が圧迫されるようだった。
ティナは立ち止まり、杖を地に打ち込む。
「探知――発動」
淡い光が波紋のように広がり、空気を震わせる。しかし返ってきたのは、複数の“気配”だった。
「……いる。無数の目が、この廃墟に潜んでいる」
彼女の言葉に兵たちは剣を構える。
そのとき、遠くから笑うような声が風に混じって聞こえた。
「……来たか。光を戴いた王の使いども」
誰も姿を捉えられなかった。ただ空気が震え、影が揺れる。
ティナは目を細める。
「幻聴……いや、これは“試し”だ。影の王の影響が、すでにここまで及んでいる」
兵たちの背筋に冷たいものが走る。
それでも撤退するわけにはいかない。ここで確かめねばならないのだ――仮面を戴く者たちが本当にこの地に拠っているのかを。
やがて廃墟の大門に辿り着いた一行は、巨大な影に覆われた。崩れ落ちた石造りの門は、人を拒むように黒々と口を開いている。
「これ以上は深入りできません。だが……確かに“影の巣”の臭いがする」
ティナがそう言ったとき、突如として兵の一人が叫んだ。
「仮面だ! 仮面の者が――!」
見上げれば、崩れた塔の上に、確かに人影が立っていた。
月明かりに浮かび上がる、無表情の白い仮面。その存在感は、声を発さずとも全員の心を圧迫する。
「退け」
ティナはすぐに手を掲げ、全員を後退させた。
「今は証を掴むだけで十分。……見たな。これで報告できる」
仮面の者は何もせず、ただ黙って見下ろしていた。
その無言の視線が、鋭い刃よりも鋭く兵たちの心を裂く。
一行は荒野を戻りながら、誰一人として口を開かなかった。
ただ一つ確かなのは――廃都には「影の王」の影が確かに棲んでいるという事実だけだった。




