【第12話:夜明けの影】
夜の帳が森を包み込み、木々のざわめきも次第に静まっていく。
焚き火の炎が小さく揺れている。その明かりに照らされ、クロは少女の横顔を見つめていた。
彼女は、今日もいつもと変わらない調子で話している。
けれど、クロにはわかっていた。
あの昼間、“何もなかった”と告げた彼女の言葉が、嘘だったことを。
少女は今も、何かを隠している。
それが何なのか、クロにはまだわからない。
けれど、確かに胸の奥で警鐘が鳴っていた。
「……ねえ、クロくん」
「ん?」
「その名前…本名じゃないでしょ?」
ドキッとした。
──なぜこの不思議な少女にはそれがわかるのだろう。
クロは少し目を丸くし、それから焚き火の火を見つめ直す。
「いや……まぁでも正直本当の名前はもう憶えていないんだ。、今は、もう……クロだから。」
「ふふ、そっか」
少女は微笑む。その笑顔はあたたかく、けれどどこか遠い。
まるで、何かを諦めるような、そんな顔にも見えた。
クロは言いかけて、言葉を飲み込む。
けれど、今夜は思い切って訊ねてみた。
「……そういや、お前の名前は?」
「え?」
「俺のことは“クロくん”って呼ぶけど……お前は、なんて呼ばれたいんだ?」
少女は少し驚いたような顔をして、それからほんの少しだけ目を伏せる。
「……昔は、ミナって呼ばれてた」
「ミナ、か……」
クロはその名を繰り返した。
どこか優しくて、静かな響きの名前だった。彼女に、よく似合っている。
「ありがとな。教えてくれて」
「なんか、変な感じ……名前の話なんて、したの久しぶり」
夜風が吹き、焚き火の火が小さく揺れた。
そのたびに、クロの中の不安も、少しずつ揺れ動いていく。
その夜、クロはなかなか眠れなかった。
焚き火の炎が消えた後も、森の奥から微かに何かの気配を感じていた。
(……また、何か来る)
眠れぬまま、空が白み始める。
クロはそっと立ち上がった。
少し離れた場所で眠っている少女の方を見て、ぽつりとつぶやく。
「……今度は、俺が守る」
その言葉は、小さく、しかし確かに夜明けの空へと溶けていった。




