【第117話:終焉を喰らう牙】
喰界王の咆哮は大地を裂き、空を震わせた。
その巨躯を包む黒の奔流は、世界そのものを呑み込まんとする“飢え”の化身。
だがクロナは、怯まずにその中心へと歩を進めていた。
群れの仲間の眼差しを背に受け、精霊の力と己の異形の牙を研ぎ澄ませながら。
両者の間に走る衝撃波は、ぶつかり合う前から戦場を壊していく。喰界王の腕が振り下ろされるたび、大地が砕け、空気が悲鳴を上げる。だがクロナはすべてを見切り、肉体をしならせて避け、時に真正面から牙をぶつけて打ち砕いた。
――牙と牙。喰らう者同士の最終のぶつかり合い。
喰界王の巨腕が唸りを上げ、空間ごと削り取る一撃を繰り出す。クロナは左肩を抉られながらも踏み込み、喉奥から解き放った咆哮と共に顎を振り抜いた。
牙が閃き、漆黒の肉を裂く。
初めて、喰界王の血が飛び散った。
巨体が仰け反り、怨嗟の声が大地を揺らす。次の瞬間、全身から解き放たれる黒い奔流は、濁流のようにクロナを飲み込もうとした。
だがその中心にあって、クロナの瞳は決して揺らがない。
「……全部、喰らう」
低く吐き出した声と同時に、クロナの身体が膨張する。精霊の光と異形の影が混ざり合い、牙は鋼を越え、咆哮は天地を震わす。
喰界王の闇が押し寄せても、それを飲み込むのはクロナの牙だ。力と力がぶつかり合い、黒と白の奔流が戦場を塗りつぶす。
腕を失い、肉を削がれ、血に塗れながらもクロナは一歩も退かない。
喰界王の顎が迫る。口腔の奥は虚無の穴、すべてを飲み尽くす破滅の象徴。
だがクロナは恐れぬまま、自らの顎を開いた。
互いの咢が噛み合う瞬間、空間が悲鳴を上げた。
牙と牙が擦れ合い、世界を割るような轟音を響かせる。
クロナの肉体は軋み、裂け、血が噴き出す。だがその奥底に宿る「飢え」は喰界王を上回っていた。
群れを守りたいという願い、過去を喰らい続けてきた孤独、そのすべてが一点に収束していた。
――裂ける。
音もなく、喰界王の牙が砕け散った。
クロナの顎が深々と食い込み、漆黒の巨躯を真っ二つに裂き喰らい尽くす。
轟音が消えた。
荒れ果てた大地のただ中で、クロナの咆哮だけが天へ突き抜けた。
その背を照らす光は、黒を押し返すように澄み渡り、仲間たちの胸に確かな勝利の証を刻みつけていた。
喰界王は――もはや存在しない。
残ったのはただ、血に塗れながらも立ち続けるクロナの姿のみであった。




