【プロローグ:終わりの日】
かつて、俺は人間だった。
名前は黒川圭。
ごく普通の、どこにでもいるような会社員。
けれど、気づけば“どこにもいない存在”になっていた。
目が覚めた場所は、薄暗い森。
体は小さく、緑色。
声は濁り、手足は鈍く、言葉さえままならない。
俺は、ゴブリンとして生まれ変わった。
最弱と侮られ、狩られ、蹂躙される側の存在。
だが、この世界には一つだけ、確かな掟がある。
——喰らえば、強くなる。
虫を、肉を、時には仲間さえも。
喰らい、生き残ることで、俺は“進化”していく。
もはや誰かに使われることも、踏みつけられることもない。
必要なのは、飢えと、本能と、ほんの少しの知恵だけだ。
これは、かつての弱き男が、
最も原始的な生存競争の中で、
“生き直す”物語。
ゴブリンから始まる、成り上がりの一歩を、
どうか見届けてほしい。
眠るように、死ねたらよかった。
——けれど、現実はそんなに優しくない。
黒川 圭、28歳。
都内の中小IT企業で、日々、ひたすらコードを書いていた。
納期、クレーム、修正、深夜帰宅、冷えたコンビニ飯。
夢を語って入った業界だったが、気づけば心も体もすり減らすだけの毎日だった。
「……あと三日分の工数って、また俺だけ……?」
デスクに置かれたタスク表を見て、思わず苦笑が漏れる。
隣の同僚は、定時で帰る準備をしていた。
口では「頑張ってますね」と言うが、誰も助けようとはしない。
圭は知っていた。
自分が「便利だから」仕事を押しつけられているだけだということを。
その夜も、午前2時を回っていた。
静まり返ったオフィスで、モニターの光だけが彼の顔を照らしている。
「……もう、いいかな……」
ふと、そんな考えがよぎった。
帰り道。
雨が降っていた。
傘を持っていなかったが、引き返す気力もなかった。
横断歩道の赤信号を見つめながら、圭は思った。
——もし、次に生まれ変われるなら。
今度は、誰にも利用されない、強い存在になりたい。
食うか食われるか、そんなシンプルな世界でもいい。
何かを背負わず、ただ、自分の力だけで生きられるなら——。
「……あ」
視界の端で、ライトが走った。
耳が割れるようなクラクションと、鈍い衝突音。
空が、反転した。
そして——暗転。
次回、第1話:
「森の底、目を覚ましたのは……」
——泥と草の匂い、短い手足、腹を満たす衝動。
転生した先は、最弱の魔物・ゴブリンだった。




