第三話 お金も力もなくても子供には見栄を張る。それが大人
@郊外の薄暗い建物
あの後、アークニンさんの後ろにいた二人の男に付き添われてやって来たのは町外れからさらに裏路地入って抜けた先にあるボロボロの建物。
扉を開けた瞬間に中からカビ臭い匂いと埃っぽい空気が流れてきて少しむせてしまう。全然掃除してないなこれ。
中の様子を伺うとまともな明かりは開いた扉から差し込む光だけで、窓には穴の空いたボロ布をカーテンのように引いており昼間だというのに相当薄暗い。
これでは中に湿気が籠もるばかりで掃除した所ですぐにまたカビが生えてくる事になってしまう。何のための布か知らないが、明るい時は外して中の空気を新鮮な空気に入れ替えた方がいいと思う。
「この建物に入ってまっすぐ進め」
「は、はい……。分かりました……」
男に促されるまま中に入る。
入った瞬間にツンと鼻をつく嫌な匂い。
手入れなどされていない床は泥で汚れ放題だしそうでない所も埃と土まみれ。
薄暗い部屋の中には顔色も人相も悪い男達があちこちに居て、こちらを好奇な視線で見ていた。
男たちの視線に晒されながら恐る恐る足を進めていくと扉の前に立った二人の屈強な男に出会った。
一人はボサボサの髪に顔中毛だらけの無精髭の男ともう一人は毛の一本もない禿頭に顔面入れ墨だらけの男だった。
二人ともそれぞれ体に使い古した傷だらけの鎧を着込み、その腰には剣をぶら下げていた。
「ギャハハ、こりゃすげぇ〜! とんでもねぇ上玉じゃねぇですか! こんな牛みてぇにデケェモン初めてみたぜ! ブハッ! 嬢ちゃんのそれ、もしかして牛よりもデケェんじゃねぇか!」
「黙ってろクソ坊主。アンタはこの部屋に入ってくれ。迎えの馬車が来たら呼びにくる。それまでこの部屋で他の女達と大人しく待ってな」
ヒゲ男はハゲ男をギロリと睨みつけながら部屋の扉を開ける。
対するハゲ男はそんな事全く気にする様子もなくイヤらしい顔で私の胸に釘付けになっている。
視線を遮るように腕で胸を隠しつつ、ヒゲ男の言う通りに部屋の中に入った。
部屋の中には先に一人の女の子が入っていた。
金髪で顔立ちは12歳くらいでとても整っている。身に着けた服は所々土で汚れてはいるが品の良さそうな質のいい服を着ていた。
「いやー、いいねぇ嬢ちゃん。ガキとは全然肉付きが違いやがる。 こんなにいい体してんのに拝むだけなんてもったいねぇよなぁ」
ハゲ男に耳元で囁かれて慌てて飛び退いた。
一体いつの間に近づかれたのか、子供に気を取られていて全く気づかなかった。
それを見たハゲ男は顔一杯に下品な笑みを浮かべて、ゆっくりとこちらに近づいてくる。
「もったいねぇ、もったいねぇよなぁ。目の前にこんなにいい女がいるのに何もしねぇなんてよぉ。嬢ちゃんもそう思うよなぁ? オレのこと可哀想だと思うよなぁ?」
近づいてくるハゲ男の下卑た笑みにジリジリと後退りながら後退する。
ハゲ男は私の胸に顔を近づけるとクンクンと鼻を鳴らして匂いを嗅いだ。
「あぁ〜堪らねぇ。うまそうな女のニオイだなぁ〜。もう何日も女なんか抱いてねぇからよぉ。目の前でこんなニオイしてたらよぉ、我慢できなくてもしょうがねぇって思うよなぁ……。なぁ嬢ちゃん?」
胸に向かって語りかけるハゲ男の顔に全身に怖気が走「なぁっ!!」ひぃぃ! 急に大声あげないで!
「そこまでだ、クソ坊主。その嬢ちゃんはテメェが手出していいほどの安モンじゃねぇ。素直に金を受け取りたきゃ、とっととその嬢ちゃんから離れな」
ヒゲ男が重苦しい口調でハゲ男を睨みつけると、ハゲ男は青筋を立てて睨み返した。
「ケッ! 邪魔するんじゃねぇよヒゲ面! テメェは黙って外見てりゃいいんだよ!」
「頭の毛と一緒に脳みそも抜け落ちたのか、クソ坊主。聞こえねぇならもう一回言ってやる。素直に金が欲しいならその嬢ちゃんから離れな。生きてるうちにな」
「ケッー! 偉そうに言うんじゃねぇよ! ナイト気取りの童貞野郎がよ! テメェの女がやられるところを指でもしゃぶって眺めてな! ケェー!」
ハゲ男が奇声を上げながら腕を伸ばして胸を目掛けて襲い掛かってくる。
突然の事にハゲ男の腕から逃れようと後ろに飛びのいたが足がもつれてしまい、そのまま尻もちをつくように倒れこんでしまった。
ハゲ男の腕は狙いをそれて空を切るがこの態勢では2回目は避けられない。
自分の身を守るように両腕を胸の前で組んで体を縮こまらせて固く身構えた。
おぞましい笑顔のハゲ男が私の胸に手を伸ばそうとする。
その一瞬、ハゲ男の頭がヒゲ男の手によって地面に叩きつけられた。
いつの間に移動していたのか、背後を取ったヒゲ男は倒れたハゲ男を起き上がれないように背中を膝と押さえつけた。
「グッ!」
「いい加減にしろよ、クソ坊主」
ヒゲ男はもう片方の手で剣を引き抜いて、押し倒したハゲ男の首にその剣を突き付ける。
「ひっ! テ、テメェ! このオレになにを……!」
「一度しか言わねぇからよく聞けよ」
踏みつけた頭をグリグリと地面におしつけながらヒゲ男は忌々しそうに言った。
「オレはテメェの友達でも仲間でもねぇ。オレはただ頼まれた荷物を届けるって仕事を受けただけだ。テメェがどんな女に何しようが興味ねぇよ、好きにしな。ただよぉ、売物に手だそうってんならオレは金貰う為にやらなくてもいい、つまらねぇ仕事しなきゃならなくなる。どんな仕事か分かるか? 分かるよな。それで、どうする?」
「分かった! もうやらねぇ! もうやらねぇから助けてくれ!」
「物分りのいい坊主で助かるよ。おら、とっとと部屋からでな」
ヒゲ男は頭から手を離して立ち上がり、最後にその後頭部を小突くように蹴り飛ばした。
ハゲ男は大慌てで立ち上がると逃げるようにして部屋から出ていった。
ヒゲ男は面倒くさそうに後ろ頭をポリポリとかいた後、剣を鞘に納めてこちらに向いて話しかけてくる。
「あぁ、嬢ちゃん。アンタの生活にゃあ今まで縁がなかっただろうが、ここは女と見たら見境なくなるようなゴブリン野郎だらけでな。そこのガキともども、また襲われた時はさっき見てぇなデケェ悲鳴上げてくれや。アンタが商品の内はゴブリンどもに手出しさせねぇからよ。よろしくな」
ヒゲ男はそれだけ言うとさっさと部屋を出ていきバタンと扉を閉めた。
その後ろ姿を呆然とただ見送った後、ハッと我に返る。
やばいやばいやばいやばい。まじやばい。
もしかして私とんでもないことに巻き込まれちゃったんじゃないですか?
え? なにこれ? 私アークニンさんの娘さんの代わりにちょっと働くだけしか聞いてないんだけど!
なんでこんな急に殺伐とした世界に連れてこられてるの!?
え? なにこれ? なんで目の前で人刺されたの! 私のせいなの!?
え? え? えー!? なにこれ、なんでこんなことになってるの!?
借金ってちょっとしただけでこんな地獄みたいな所に送られるの!? 借金怖い!
っていうか商品って何!? 私は荷物じゃなくて人間なんですけど!
床に残ったハゲ男の生々しい血の痕をながめる。
仲間でも何でもないとか言ってたけど容赦なさすぎない!?
ヒィィ! どうして私の人生こんな怖い事ばっかり起きるようになったの!?
この二ヶ月の間で私にだけ試練の数がハンパないよ女神様! もう少し手加減してよ!
「……あ、あの、あな、あなたっ! だ、大丈夫ですか?」
金髪の女の子がオドオドしながら話しかけてくる。
ハッ! いけないいけない! 子供の前で何を取り乱してるんだ私は!
こんな環境に置かれて自分より小さい子供が怯えているのに私が弱気でいたらダメだよ!
立ち上がり、尻もちをついたお尻をパンパンと手で払った後、一呼吸置いて落ち着いて返事をする。
「ありがとう。私はホルス=タイン、今は冒険者なんですけど、前は聖王教会で神官を務めていたものです。えっと、あなたのお名前は?」
笑顔、は今の心境では難しいので可能な限り優しい口調で子供達に話しかける。
弱気なところなんて見せたらダメだよね!
こんな環境で絶対子供の方が怖いはずなんだから! 大人の私がしっかりしないと!
私はあなたの味方だよー。怖くないよー。
金髪の女の子は胸の前でギュッと小さな手を握りしめて自らを奮い立たせて、口を開いた。
「わ、私の名前はアイサです。父の名前はカテッサ=レテール、聖王様より叙勲を頂いた聖騎士、でした。あの、神官様でしたら父の事をご存知ありませんか?」
「まぁ、聖騎士様の娘さんなんですね! ど、どうりで気品のある可愛らしいお姿だと思いました。でも、その……、すみません……。私は神官といってもほぼ見習いみたいなものだったので聖騎士様にはあまりお会いしたことありませんので……」
「そう……、ですか……」
聖騎士は国家を守る騎士や貴族達の中でもその武功を優秀である称えられた人物に与えられる位である。
毎年、教会の大聖堂に大勢の神官達が集められて聖騎士に選ばれた数人が聖王様からその証として紋章を賜る式典が行われていて、それには私も孤児院の子供たちと一緒に毎年参加している。
のだが、実は式典が終わると町で祝祭が開かれるので、当日はそれを楽しみに参加している子供の面倒でほぼかかりきりになるので式典の方はそういう行事があるな位しか思い出がない。
アイサと名乗った少女は肩を落として表情を暗くした。
偉いお父さんと同じ職場の人だったら期待しちゃうよね。ごめんね、イベント毎に疎い大人で……。
「その……、それでアイサさんはどうしてこんな所に?」
いい身分のところのお嬢さんなのだから余計に不思議である。
実は親がギャンブル好きでそれで借金のカタに娘をなんてことあったりするのかな……。
「……、一月前ほどに父は騎士団の任務で魔物討伐に遠征に向かい……、先日、戦いの最中で……、せ……、せ……、戦死、したと……」
言葉と共にアイサちゃんの目から大粒の涙がボロボロと流れ出す。
見た瞬間にもう大慌てで駆け寄ってアイサちゃんの体を抱きしめた。
「ごめん! 本当にごめんね! 辛い事聞いて! もう話さなくて大丈夫だから! ごめん、嫌な事思い出させたね! もう大丈夫だよ! 私何でもあなたの力になるから!」
やってしまったー! 私なんて事をしてしまったんだー!
事前の予想を大きく裏切ってきた! アイサちゃんのお父さんごめん! 全然ギャンブルも借金も関係なかったです! そりゃそうだよね! 私じゃないんだから!
ごめん、ごめんよアイサちゃん! こんなにボロボロ涙を流すくらい大好きなお父さんだったんだよね! それが急に亡くなっただなんてとっても辛かったよね……。そんな辛いこと思い出させるなんて……、私はこの子になんて罪深い事をしてしまったんだ!
女神様! どうかこの子の残りの人生にあらん限りの幸福をあげてください! 今すぐに!
「……ちがう。そんなはず……、そんなはずないの!」
抱きしめた胸の間から顔を上げたアイサちゃんが大きな声で訴えかけてくる。
泣き腫らして赤くなった目には胸が締め付けられる思いだ。
「お父さんはすっごく強くて、騎士団の中でも指折りに数えられるくらい強いって、団長にそう褒められたって言ってたの! だから、だから死んだなんて絶対うそ! 何かの間違いなの! お父さんは絶対、私のことを置いて死んだりしないって! そう約束したんだから!」
ただ黙って出来るだけ優しく背中を擦ってあげる。
アイサちゃんの目からまた涙か溢れ出すと再びその顔を胸の中にうずめた。
ヨシヨシ、いくらでも泣きなさいな。
私なんかでは心までは慰めてあげられないけど涙と鼻水を拭ってあげるくらいはできるから。
アイサちゃんは小さな嗚咽を漏らしながら鼻をすするのを少しの間繰り返した後、再び顔を上げた。
「あ、あの……、ありがとうございました……。すみません、取り乱してしまって……」
「ううん、大丈夫だよ。大変だったよね。辛い時はいつでも私に言っていいからね。これでも前は一応は神官だし、お祈りくらいならしてあげられるからね」
「は、はい……。ありがとうございます……」
アイサちゃんはゆっくり離れると自分の手で目元をぬぐった。
少しは落ち着いてくれたみたいで私も安心です。
女神様、あんまりにも可哀そうすぎるよ。
大好きなお父さんを亡くしたばっかりなのにこんな怖い所に連れてこられて大変だったよね。
いくらなんでも試練与えすぎだよ、女神様! 子供には優しくしてあげてよ!
もう例え何があっても、ここで何があっても私がアイサちゃんを守ってあげないと!
天国のアイサちゃんのお父さん、どうか見守っていてください! アイサちゃんは私が必ず無事に平和で元気に暮らしていける場所に送り届けて見せますから!
「それで、その後……、家に……お父さんの……愛人だっていう人が……来て……」
「え?」
アイサちゃんが顔を曇らせてポツポツと呟くように言葉を口にする。
ん?
あれ?
話が変わってきたぞ?
「お父さんが遠征先でそういうことをしていたと……、それでその人からお金も借りてて……契約書も残ってるって……、それで借金の代わりに家をもらうからって……、私……家から……追い出されて……ここに連れてこられて……」
アイサちゃんのお父さん、あなたはやっぱり見守らなくていいです。
この子は私一人で守っていきます。
衝撃的な急展開すぎるよ! アイサちゃんの愛してるお父さんはどこいっちゃんだよ!
アイサちゃんのお父さんのバカヤロー! 悪い女に引っかかって騙されてるんじゃないよ! 娘のこと愛してたんじゃないのかよ!
「あ、あの……、アイサちゃん……。お母さんは……?」
「お母さんは何年も前に病気で亡くなりました……。家は私とメイドさんの二人だけでした……」
女神様ー! 大至急! 大至急この子に幸せを届けてあげてー!
あまりにも酷すぎる……! もうこの子に比べたら私の試練なんて甘えにもほどがありました! だって私の試練は悪いの私の行いだけだもん!
私の試練の量を2倍でも3倍でもしてもいいのでその分の幸福を全部この子にあげてください! 大至急でお願いします!
再び目にうっする涙をためたアイサちゃんは、小さな手をぎゅっと握りしめてその肩を小刻みに震わせていた。
こんなひどい環境でひどい状態でもアイサちゃんは必死に頑張ってるんだ。
そんなの見せられたら私だって弱気なんかじゃいられないよ!
大人として私がアイサちゃんを守らなくちゃ!
「だ、大丈夫だからね! アイサちゃん! 私がなんとかするから! あんな奴らにアイサちゃんを手出しさせたりしないから! 私こう見えても冒険者だから! 絶対アイサちゃんのこと守ってみせるからね!」
「は、はい……。それでホルスさんはどうしてここに……?」
「え」
眉根を寄せて険しい目つきをしたその一瞬で頭をフル回転させた後、ゆっくりと口を開く。
「その……、実は……、冒険者の秘密の依頼中でね。いつもは色んな人とパーティーを組んで迷宮で魔物を倒したりしてて、それでちょっと私の噂を聞きつけた街の人から特別な依頼を頼まれたて、詳しい内容は話せないんだけど! 今はその秘密の依頼中なの」
「え、えっと……、ホルスさんは有名な冒険者さんなんですか?」
「え? あ、うん! ギルドではそこそこ名前が通ってるかな! 結構な人が私の事しってると思う!」
一つも嘘は言ってない、はず! ちょっと事実を省き過ぎてるだけで嘘は言ってない!
アイサちゃんが少しだけ表情を明るくして口元を緩めた。
「よかった……。ちょっとだけ安心しました……」
「……うん! 安心してね! 私が必ずアイサちゃんのこと守るから!」
女神様、私今とんでもなく罪深い事をしてしまったでしょうか?
でも違うんです。アイサちゃんに落ち込んでほしくないなって。元気出してほしいなって思ってつい言ってしまっただけなんです。
決して、アイサちゃんがめちゃくちゃ辛い目にあって今ここにいるのに対して、私ギャンブルで借金したからって言うの恥ずかしくない? とかそういうことを思ったわけではないんです。たぶん。
理由なんてどうでもいいじゃないですか。
アイサちゃんの事を守りたいと思った私の気持ちは本当ですから!
「おい、お二人さん。馬車が到着したから外出てきな」
扉の外からヒゲ男の野太い声が聞こえてくる。
私はアイサちゃんの顔を見ながらその手をしっかりと握った。
「大丈夫だよ。たとえ何があってもアイサちゃんの事だけは守るからね」