プロローグ:料理神との出会い
ブラック企業の厨房で、斉藤圭吾は最後の力を振り絞って働いていた。
「おい、斉藤!この刺身の盛り付け方がなってないんだよ!」
店主の怒号が厨房に響き渡る。その手には盛り付けたばかりの皿が握られていた。圭吾の目の前で、それは無造作にゴミ箱へと投げ捨てられる。
「申し訳ありません……すぐにやり直します!」
圭吾は頭を下げ、包丁を握り直す。背中には冷や汗が滲み、胃がキリキリと痛む。
「本当に使えねぇな!いつまでも新人みてぇに!何年働いてるつもりだ!」
怒号と罵声が飛び交う厨房。それでも圭吾は一切手を止めない。集中力を切らさず、冷蔵庫から魚を取り出して慎重に捌き始めた。
この仕事が好きだった。どんなに辛くても、料理を作る喜びだけは、彼の心を支え続けていた。
その日、閉店作業を終えて深夜の街に出た圭吾は、足を引きずるように歩いていた。
「……いつまでこんな生活が続くんだろうな」
ふと漏れた呟きに、自分でも驚くほど虚しさがこみ上げた。
そんな時、突如目の前にトラックのヘッドライトが飛び込んできた。反射的に目を瞑った次の瞬間、意識は遠のいた――。
目を覚ますと、そこは奇妙な空間だった。宙に浮いているような感覚。周囲は暗闇に包まれていたが、遠くに柔らかな光が浮かんでいる。その光がだんだん近づき、やがて金髪の女性の姿に変わった。
彼女は長い髪をゆるやかに揺らし、にっこりと微笑みながら言葉を紡いだ。
「やぁやぁ!よくぞ来たわね、迷える料理人さん!」
「えっ……?」
圭吾は思わず声を漏らす。その女性はどこか親しみやすい雰囲気を持ちながらも、どことなく神々しい威厳を感じさせた。
「私は『料理神グラティア』!この世界でおいしい料理を司る神様ってとこかしら」
明るい声で軽やかに自己紹介をするグラティアに、圭吾は困惑した表情を浮かべる。
「料理……神?俺、死んだんですよね?」
「あら、その通りよ!あなた、もうオーバーワークでクタクタだったもの。ちょっと早めにリタイアしちゃったわね!」
グラティアは悪びれることもなく、軽く肩をすくめてみせた。その様子に圭吾は呆れるよりも、なんだか力が抜けてしまう。
「……なんか、神様ってもっと厳かで威厳のある感じかと思ってましたけど」
「そんなの疲れるじゃない。私は楽しく、明るく、料理を楽しむ神様なの!さて、あなたにとっての“次の舞台”を用意してあげるわね!」
そう言って、グラティアは小さな光の球体を手のひらに浮かび上がらせた。
「この『料理神の加護』をあなたに授けるわ。この力があれば、どんな未知の食材も最適に調理できるし、最高の味を引き出せるの」
「俺にそんなすごい力を……?」
「もちろんよ!あなたの料理への情熱は本物だもの。さぁ、異世界でその力を存分に使って、一人前の料理人になりなさい!」
グラティアが差し出した光を受け取ると、圭吾の胸に温かさが広がり、彼の目には自然と涙が浮かんでいた。
「……ありがとうございます。次こそ、一人前になってみせます」
グラティアはその言葉を聞いて満足そうに頷いた。
「いい返事ね!さぁ、新しい人生を、思いっきり楽しんできなさい!」
眩しい光が広がり、圭吾――いや、これからのルークの意識はまた遠のいていった――。