第三話 前途多難 2
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「はい、どうぞ」
「ん…、ありがとう」
宿舎のリビングで笑顔のオリファが焼き立てのワッフルが乗っているお皿をテーブルに置く、ダボダボのスウェット上下へ着替えた少女が目の前に出されたワッフルに目を輝かせるとたどたどしいしくお礼の言葉を告げながら静かにオリファに頭を下げた。椅子に座る少女の横にビアンコが腕組して立っているが、その表情はかなり不満げだ。工房で出くわしてから、少女がビアンコから離れたがらなかったからである。故に二人一組で見張り始めてから、ずっと交代できずにいた。オリファが少女の様子を見ていったんキッチンへ戻るが、それも意に返さず少女は黙々とワッフルを食べている。ビアンコがそれをまじまじと見ていると、不意に音量大き目でお腹が鳴った。朝食を少女に取られたことを思い出して気まずそうに眼が泳ぐ。
「…はい」
その音が聞こえたのか、少女がまだ手を付けていないワッフルを手でちぎるとビアンコに差し出した。
「…ありがと」
一瞬躊躇ったもののビアンコがしゃがんで少女と目線の高さを合わせ、ちぎられたワッフルを受け取りそれを食べた。シロップがかかっていない部位だったので、ほんのりとした甘さが口に広がる。空腹の体に染み渡る気がした。
「おいしい」
「よかった」
ビアンコが思わずワッフルの感想が漏らしてしまうと、少女がニコリと笑った。それをみたビアンコが一瞬固まるも、仕切り直しの咳払いをする。
「俺の名前はビアンコ、君の名前は?」
「アイシャ」
「アイシャ、ね…」
少女ことアイシャの名前をぶつぶつ呟くビアンコ。ふと視線を感じてそちらを向くと、オリファがニコニコしながらエプロンで手を拭きながらキッチンから出てきていた。ビアンコが立ち上がりながら不満そうな顔になって睨み返すのを「まぁまぁ」となだめる。そして再び食べはじめたアイシャのの食べっぷりを見てゆっくり歩み寄っていく。
「おいしそうに食べてるね~。僕はオリファ、―君の名前は…、アイシャだっけ?」
「―うん」
口をもごもごさせながらアイシャが答える。オリファがニコリと微笑みを向けるが、ビアンコは不服そうに眼を細めている。
「アイシャ、君はどこから来たの?」
「わからない、白い綺麗な部屋」
「ふーん、部屋の中には何があった?」
「ベットだけ」
「それだけ?」
「うん」
「どうやってここに?」
「念じた」
「ふーん…」
アイシャとやり取りしたオリファが顎に手を当てる。
「やっぱり特殊能力はあるっぽいね」
「分かるのか?」
「まぁ、なんとも。魔力は感じるから何かあるとは思うよ。大佐が何か知ってればいいけど」
不思議そうに問いかけるビアンコに、簡潔に答えるオリファ。そしてちらり、隣の部屋がある壁に目をやった。そこはイリーナの部屋で、アイシャが来た後、キースと今後の対応を協議するためにしばらく前からリーチと二人でこもっていた。
「おかわり」
二人が会話してる間にアイシャがワッフルを食べきり、おかわり要求してきた。二人がアイシャを見た後、オリファが申し訳なそうな顔になった。
「えっと…、ごめん。もう材料がなくてさ…」
「むー!
それを聞いたアイシャが頬を膨らませる。「参ったなぁ…」とオリファが呟くと同じタイミングでリーチがイリーナの部屋からできてた。掌を上に向け右手の人差し指を二回ほど内側に曲げる。
「ビアンコ、オリファ、来い」
「えっ、…了解です」
少し驚き眉を上げるビアンコ、オリファも首を傾けた。
「アイシャはどうするの?」
「私が見るさ、やりとりできるように準備した」
二人のやりとりをしり目にリーチと入れ違いにイリーナの部屋に入ろうとした時、グッと何かに引っ張られた。見ると椅子から降りたアイシャが頬を膨らませズボンを掴んでいる。
「…やだ」
「え…」
困惑した表情で助けを求めるようにリーチとオリファを交互にみるビアンコ。二人はお互いに目くばせすると、リーチは腕組し、オリファは「無理」と一言だけ告げた。二人の態度に少しムッとしたビアンコだったが、何とかそれを引っ込めてため息をつき再びしゃがみ込んでアイシャと向き合う。
「…悪い、ちょっと少佐から大事な話があるんだ。行かないと。すぐに戻ってくるから、頼む」
不慣れなせいかいつもり言葉が浮かばずゆっくり喋る、するとアイシャが不満そうな顔のまま渋々ズボンを掴んでいる手を離した。
「約束だよ?」
「ああ、約束する。静かに待っててな」
そう言って立ち上がると、ビアンコが漸くその場を離れることができた。横を通り過ぎるときにオリファがウィンクする。背中越しに「さて、オレンジでもいかがかな?」というリーチの声を聞きつつ二人がイリーナの部屋に入る。
「…失礼します」
「お待たせしました」
ビアンコとオリファが挨拶してから、部屋の扉を閉める。ビアンコはイリーナの部屋に入るのはほぼ初めてだった。部屋の奥には窓を背にする形で大型のデスクが置いてあり、その上にはパソコンや書類、電気スタンド、そして部屋の真ん中に裏側を向けて立っている写真立てなどが置いてある。そのデスクから部屋の中心に向かって一対のソファとアイシャの入院着とチョーカーが乗った黒いトレーとリモートミーティング用のスピーカーマイクが置かれた低いテーブル、壁掛けの大型モニターがあった。棚の類は少ない。大型モニターにはデスクに座っているキースの顔が映し出されていて、それにソファー一式を挟んで正対するようにイリーナが立っていた。腕を組んでいて困惑を隠しきれていないのが見て取れる。
「遅いぞ、なにしてた?」
「すいません、アイシャを説得してました。離れたくないって…」
『落ち着け少佐』
開幕のイリーナのしっ責の言葉に気まずそうに答えるビアンコ、画面の向こうのキーンがそれを宥めるとイリーナは何も言わずそれに従った。
「お久しぶりです」
『フランシス少尉、思ったよりは元気そうだな』
ビアンコが姿勢を正すとまずキースに挨拶すると、キースがフッと笑みを浮かべた。「楽にしていい」と付け加えると、ビアンコとオリファが休めの姿勢になった。次にイリーナがデスクに置いてあるノートパソコンに向き直る。
「二人とも、まず話に入る前にこれを見てくれ」
イリーナがノートパソコンを操作すると大型モニターの左下に別のウィンドウが表示され、更に縦にされ二分割そこにはイービンヒルのフェンスの外側と内側を映した映像が映っていた。
「これは一時間前、イエニス少尉を含めた二人がアイシャに接触したころの監視カメラの映像だ。向かって左側が敷地の外、右側が敷地の中」
淡々と説明するイリーナが動画を再生すると、まず外側を映したカメラに人影が入ってきた。早送りなので動きが飛び飛びだがアイシャに間違いなさそうだ。フェンスの中をのぞき込んだり行ったり来たりしている。それを見たビアンコが眉を顰めた。
「一人でここまで来たんですか?」
「そうらしい。で、問題はここから」
ビアンコの質問に答えるイリーナ、ノートパソコンを操作して映像の再生速度を等倍にする。少しの間、相変わらずフェンスの中を覗き込むアイシャ、すぐにその場に直立して胸に手を当てる仕草を見せる。と次の瞬間に左側の映像から忽然とアイシャが消え、左側の映像に突然しゃがみ込むような形でアイシャが現れた。
「え…」
「あらま」
間抜けな声を漏らし敷地の奥へかけていきカメラの画角から消えるアイシャの映像をぽかんと眺めるビアンコ。一方のオリファは特段珍しくないといった反応を示す。ビアンコも驚きはなかったが困惑が勝り眉の端が下にさがる。
「これはどういうことです?」
『まぁ、瞬間移動というやつだろうな。この手の能力は初めてみるが』
「だから気づかなかったのか…」
「ん、どいうことだ?」
「いえ、その。最初に彼女と接触した時まったく気配がしなかったもので…」
「そうだったのか」
目を反らしオリファと揉めていたことは伏せ、工房での出来事を伝えるビアンコに、顎に手を当るイリーナ。
『なるほど、だとしたら彼女は凄腕のマジシャンだな』
「大佐…」
『フッ、冗談だよ』
「プッ」
オリファが大佐のジョーク?に思わず鼻で笑ってしまうも、口を開く。
「で、彼女はどうなるんです? また施設に戻すんですか?」
『普通ならそうなる、が問題あってな』
オリファの質問にキーンの目つきが少し険しくなる。そしてその発言にイリーナが食いついた。一方のビアンコは視線を床に落として押し黙る。
「問題?」
『ああ、リーチ少尉の協力ですぐに国立研究所のピューソン支局にアイシャの入院着のバーコードとチョーカーの情報を送った。相手が受け取ったのは確認したがそれ以上の反応がない。普通なら血相変えて職員が飛んでくるだろうに』
国立研究所ピューソン支局、文字通り国の研究所の支局の一つで封鎖地区で発見される転移物と転移者の研究を一挙に引き受けている。のだが近年は規模が巨大化するにつれ転移者への過剰な実験や転移物の紛失、横流しといった良くない噂が飛び交っているいわくつきの機関でもあった。キーンの言葉にイリーナが首をかしげる。
「それだけ業務がひっ迫しているのか、それとも他の事情があるのか」
『さあな、どちらにしろすぐには戻れんだろう。そこでだ、君たちに彼女の面倒を見てもらいたいんだが』
イリーナと「は?」と声を上げた。さすがに困惑の色を隠せない。そのまま思わず大型モニターに数歩歩み寄る。
「ちょ、ちょっと待ってください。流石に無茶苦茶です、私たちは何でも屋じゃないんですよ!」
反論するイリーナをしり目にオリファが退屈そうため息をついた。
『まぁ聞け、もちろん最初はこちらで保護する方向で調整していたんだ。だがこちらでは中長期的な転移者の扱いが不慣れな上に好印象を持っている者があまりに少なくてな。知ってるだろうが末端の者は特に憎悪に近い感情さえ抱いているものもいる』
キーンの言葉にオリファが何も言わず不服そうに眉を顰めている。事前の取り決めとして軍が転移者を保護した場合、すぐにピューソン支局へ引き渡すようになっている。大抵は出入りゲートで長くても一日、勾留されてから引き渡されているのだが、キーンはなぜかそれ以上長引くと踏んでいるようだった。そして軍内部、というより世間の転移者への反発もある。十年前の惨劇は物理的に町を破壊しただけではなく、そこで営まれてきた人々の生活と文化も奪った。それに折り合いをつけられるには、流れた時間はあまりに短かい。
「つまりこういうことですか、ピューソン基地でアイシャを保護した場合、万が一が起こるリスクも高い上に責任も取れないと?」
眉を吊り上げ語気を強めるイリーナと対照的にキーンは静かに言葉を紡ぐ。
『そこまでは言ってない。純粋に餅は餅屋へ、と考えただけだ。君たちには転移者に慣れているし、なにより偏見がない』
「しかし…」
『代案があるなら、ぜひ聞かせてくれ』
「…いいんじゃないですか? そちらは環境が最悪でしたし」
イリーナが言い返せず部屋が沈黙に包まれかけた時、黙り込んでいたビアンコがとげとげしい言葉を吐く。それに釣られて部屋に居合わせた人間の刺すような視線が彼に集まった、当然みな顔つきが渋い。
「あっ、その…。ほぼほぼ大佐の言う通りというか…、ハハ」
ビアンコが慌てて両手を肩の高さぐらいまで上げ下手くそな作り笑いを浮かべるが、場の雰囲気は変わらない。オリファが肩を竦め、イリーナが頭に手を当てた。
『ほう、そこまで言うならお手並み拝見と行こうか。少佐、人員でも物資でも、必要なものをリストにまとめていつものように申請しろ。すぐ手配する』
「了解です…」
表情こそ左程変わっていないが、声色が明らかに不快感を含んだキーンにイリーナは弱々しい返事しかできなかった。『妙な真似はするなよ』と通信が終了してもなお部屋の空気は重いままだ。オリファは似つかわしくなく真顔になっている、ビアンコは固まったままだ。
「…まったく、最高だよ」
膨れ上がった感情という名の風船のガス抜きを試みるように言葉を吐き出すイリーナ、デスクに歩み寄って腰掛けると乱暴に髪をかき上げる。
「イエニスはリーチと一緒に必要な物品リストを作ってこい。しばらく一人してくれ」
「はーい」
「あの…、俺は…」
「言っただろう、さっさと出ていけ!」
何とか言いつくろうと言葉を探した甲斐もなく、ビアンコは一喝されて部屋から放り出されてしまった。勢いよくドアの締まる音を背中に受ける様子を呆れた眼差しを送るオリファ、そしてそれを不思議そうにリーチとアイシャが眺める。
「…もしかしなくてもヤバい?」
「正解」
ビアンコの言葉にオリファが呆れ混じりにポツリと言った。