第二話 封鎖地区 4
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戦闘から数時間後、ようやく封鎖地区の外に撤収したビアンコはゲート脇にある隔離テントの中にいた。オークの返り血を浴びたせいで問題がややこしくなり、化学防護装備を扱う部隊が呼ばれ、防護服を着た人間たちに何度も全身を洗われた上に、大嫌いな医者にも診察された後で経過観察のため隔離用テントに一人放り込まれることになってしまった。
上下グレーのスエット姿で簡易ベットに腰掛け背中を丸め太ももに両肘をついて組んだ両手を口元に当て、目の前の何もない空間を睨みつけている。立って歩き回る程度には広いテントの中の温度は外付けの空調で適度に保たれ、視線の先ではない目の前には腰ぐらいの高さのテーブルと連絡用のスマホ、数本の水の入ったペットボトル、パッキングされた未開封のショートブレッド菓子が数個、そして画面を煌々と光らせ番組と垂れ流す液晶TVが置いてあった。
既に日が落ちているのだが周りにあちこち投光器が立っていて昼間のように明るく異様に騒がしい。久々の戦闘で負傷者が発生し機材も破損、その事後処理も行わなければならないのだから無理もない。TVからの音とがやがやという表現が似合う騒音がテント内を支配していた。
『―本日午後に封鎖地区にて発生した警備部隊と武装組織の銃撃戦の続報です、陸軍広報部は戦闘地域から発見されたトラックから成人の男女数十名の遺体を発見したと発表しました、彼ら全員臓器をすべて抜き取られていたとの情報もあります。繰り返しますがこの戦闘にはイリーナ・シュリャホバヤ少佐も参加しており、兵士の被害を最小限に食い止めることができたと前向きな評価がなされて―』
TVのリポーターがそこまで話したとこで、ビアンコがリモコンで電源を切った。そして持っていたそれをテーブルの上に放り投げると、すっと立ち上がってテントの中をすたすた歩きはじめて室内をぐるぐると回る。オークにへし折られた左足はすっかり治っているようで、違和感一つない。常人ならあり得ないことだが、彼にとってはこれが普通だった。何周か回ったところで再びベットに腰掛けると、左足だけをベットに投げ出す。ビアンコはその左足をさすりながら忌々しいものでも見るような顔で睨みつける。
「はぁ…」
改めて自分は人と違うという事実を突きつけられ、そのたびにうんざりする。今後訪れるであろう展開にも。左足をさするのをやめ、ベットに横になろうかと思った時、テーブル上のスマホが鳴った。ビアンコは立ち上がってテーブルに向かいスマホを手に取って画面を見る、イリーナからだ。意を消して通話状態にすると、スマホを耳元へ持っていき「もしもし」と力なく口を開いた。
『シュリャホバヤだ、少し話せるか?』
「…ええ、まぁ」
『大丈夫か? 疲れてるならまた今度に―』
「いえ、ご用件は?」
声色を気にするイリーナが優し気に言い終わる前にビアンコがぴしゃりと語気が強めに短い言葉を被せる。仕切り直しの意味を込めてイリーナが喉を鳴らした。
『わかった、時間もないから簡潔に話す。これは直接伝えるべきなんだろうが、どうしても今言っておきたくてな。今日は助けてくれてありがとう、おかげで命拾いしたよ』
「…えっ」
イリーナの感謝の意にビアンコは目を見開いて思わず一瞬固まってしまう、ワンテンポ遅れて慌てて言葉を返したつもりが本音が漏れた。「フフッ」とスマホ越しにイリーナが笑みを浮かべた声が聞こえ、声色がまた柔らかくなる。
『―なんだその反応は、さては褒められ慣れてないな?」
「い、いけませんか」
『いやまさか、ひねくれるよりはましさ。いいことをしたんだからな、誇っていいくらいだ。 まぁ、他にも言いたいことはあるが、それは直に顔を合わせてにしよう。電話越しでするには話題が多すぎる』
「はは…」
『今日はもう休め、じゃまた明日』
「はい、では…」
スマホ越しでさえビアンコがしどろもどろになっているを察したのか、あるいは時間が来たのか、どちらにせよ優し気な声のままのイリーナと通話が終わると、ビアンコがスマホをテーブルに放り投げてベットに仰向けになり、右腕を額に当てた。腕で半分塞がった視界には上から吊るされた蛍光灯が煌々と光っている。通話が終ってから頭の中からは心配事や出された課題などどこ吹く風と言わんばかりに消え失せ、良くも悪くもボーっとしている。そしてなぜか胸の奥がムズムズするような感覚が沸き起こっていた。
「誇っていいこと、か…」
寝転がったままビアンコがイリーナの言葉を心に刻むように何度も呟いた。