表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

6/23

第二話 封鎖地区 3

 数日後の晴れた午前中、ビアンコは元消防分署こと本部のガレージをモップがけしていた。組織に新人が配属された場合、まず掃除などの雑用を任されるというのはよくある話。それはよくわかっている、が定期的に目だけ動かして辺りを観察しどこか落ち着かないでいる。今までなら嫌がらせの一環で、掃除した直後の場所を汚されたり、汚水入りバケツをひっくり返されたり、そもそも掃除道具一式が行方不明になったりと散々な目に遭っていた。故に妨害されないよう必要以上に周囲を警戒するのが癖になってしまっていたのだが、着任してから数日、その努力は無意味といわんばかりに何も起こっていない。おかげでスムーズに掃除が進んでしまい、予定より早く終わるようになってしまった。


 最後の一角のモップ掛けを済ませ、壁の時計に目をやる。何時もより時間をかけたつもりだったが、また先日と同じく時間を持て余すことになりそうだ。無言でモップの先をバケツに突っ込み、適当に洗って辺りを見渡しながら水切りをする。周りには人の気配すらないが、それでもどこかで様子を伺っているのではないかという恐怖が晴れない。


「…片づけるか」


 数回辺りを見渡したところでようやく片づけるためにバケツを持ち上げる。本部の外で道具一式を片づけているといつの間にか現れたリーチに「集合だ」と声をかけれられ、ビアンコも本部に走った。本部内では既にイリーナとオリファも奥にあるテーブルの周りに集まっている。タブレットを持ったイリーナは封鎖地区の全域地図が映し出されている大型モニターが置かれているテーブルの横、残りの三人はそれらを扇状に囲む配置になった。リーチはともかく、イリーナとオリファは目つきが鋭いものになっている。本気の目だ。


「よし、揃ったな」とイリーナが口を開いた。


「応援の要請が来た、今日の午後封鎖地区を巡回する部隊に欠員が出たから我々でそれの穴埋めをする。丁度車一台分欲しいそうだ、手を上げたら是非にと」


 是非にという単語を嬉しそうに強調するイリーナ。「ほう」とリーチが顎に手を立てたまま呟く、オリファは笑みを浮かべて目だけ動かしてイリーナとリーチを交互に見た。ビアンコは無表情のままひとまず休めの姿勢で話を聞いている。イリーナがタブレットを操作してモニターに映し出されている地図を動かして行動範囲を拡大し、範囲内の格子状になった道のうちの一本に沿って赤い矢印が引かれた。今回の移動ルートだろうか。


「巡回ルートは地区の南側、一番治安が悪いエリアだ。過去に何度も良からぬ連中と小競り合いが起きてる。全員フル装備、それから車の機銃を軽機関銃に乗せ換え、機銃用弾薬も三〇〇発分積み込め。一時間以内に出るぞ」


 それだけ言うと、イリーナが一呼吸分、間を開ける。


「最後に重要な事を一つ。部隊のコールサインはキマイラ、だ」


「…キマイラ」


 ビアンコが呟く隣でオリファが口を尖らせる。


「…メンバーの種族がぐちゃぐちゃだからですか?」


「言い当て妙とでも言いたいか? 文句なら後で聞いてやる」


 イリーナが一瞬フッと笑った後改まって両手を腰に当てた。


「言わなくても分かるだろうが、これが我々の初仕事だ。くだらんトラブルも失敗もなしで終わらせる、さあ行け!」


 イリーナの号令に呼応して、リーチとオリファが駆け足で蜘蛛の子を散らすようにその場を離れる。ビアンコもオリファの後に続こうとしたが、「フランシス少尉」とイリーナに呼び止められた。出鼻をくじかれた気分になり若干不満げな表情を見せるビアンコ。


「…何事です?」


「今回は特別にお前も連れていく、人手が必要なんだ」


「…本当ですか?」


 イリーナの言葉に微かに目を見開くビアンコ。てっきり積み込みだけ手伝って留守番させられると踏んでいたからだった。


「ああ、実技の方は問題ないしな。妙な気は起こすなよ」


「了解です」


 特に表情を変えることもなく、しかし何度か小さく頷くと、ビアンコはその場を後にしてそのまま準備に加わった。


 その後の準備は特に滞りなく進んだ。汎用四輪駆動車に弾薬と物資を積み込み、各々が個人装備を着込んで基地から出発するだけである。一時間後には既に封鎖地区へ繋がる幹線道路をひた走っていた、午前中と打って変わって空は雲に覆われている。


 四人が乗り込んでいる汎用四輪駆動車の車内も広く頑丈で悪路の走破性も高い、一方で乗り心地はあまり考慮されておらず特に走行中の車内の騒音は市販されている乗用車とは比べ物にならないくらい喧しい。そんな中ハンドルを握っているビアンコは一人いつもと違う緊張感を持って運転に臨んでいた。如何せん隣の助手席には上司であるイリーナが座っているのである。


 当の本人は長い髪を後頭部で団子状に一つにまとめておりタブレット片手に資料らしきテキストに目を通していた。気を紛らわせるためにビアンコがバックミラーをちらりと見れば、後部座席の右側にオリファ、左側にリーチが座っている。二人ともヘルメットを被らず、リラックスした感じで窓の外を見ている。オリファに至っては髪が風になびくのも気にせず開いている窓枠に肘を乗せ頬杖までついているのだった。表情は普段と違い気だるげである。騒音のせいもあってか、誰も口を開かないのでビアンコにとってはなんとなく気まずい雰囲気が流れる。


「―あの、少佐。聞いてもいいです?」


 ビアンコが視線を前方に戻して少し間が空き、必死に考えてようやく覚悟を決めてやっと言葉が出た。騒音を考慮していつもより大声で話しかけたつもりだが、聞こえたか心配になりハンドルを握る手に力が入る。


「ん、どうした? 少尉」


 イリーナの視線はタブレットに向いたままだ。


「どうして俺をこの部隊に入れたんです? 余りものだからですか?」


「半分正解だ」


 イリーナが一瞬ビアンコをチラ見したものの、一言だけ告げてまたタブレットに視線を戻してしまった。


「えっ、―その…」


「―なんてな。会話のやり取りとしては零点だが、話をしようとした努力は褒めてやるぞ?」


 ビアンコが言葉に詰まっているを知ってか知らずか、タブレットの画面を暗くし顔を上げてビアンコへ視線を送るイリーナ。その顔は優しい笑顔だった。一方のビアンコは目を丸くして口が半開きになっている。長らく忘れかけていた胸が熱くなる感覚に混乱し、思考が止まっているのだ。そしてバコッという打撃音と主に一気に現実に引き戻す、ビアンコがわき見運転になっていたために汎用四輪駆動車が道路の縁石に接触したのだ。


「あっ」


「うおお!?」


「ちょっ!?」


 オリファの間が抜けた声とビアンコの悲鳴にも似た叫び声がエンジン音をBGMに響く、接触した後ビアンコが必死にハンドルを操作しタイヤを鳴らしながら何度か蛇行して汎用四輪駆動車はようやく安定を取り戻した。


「あんなにガッツリわき見をするやつがあるか! 褒めて損した!」


 口調が強くなったイリーナと蚊の鳴くような声で「すいませんでした」と謝るビアンコ、それを見ていたオリファとリーチがお互い見合って肩を竦めた。


 車内でのドタバタ劇をしり目に、汎用四輪駆動車はどんどん旧セントピューソンこと封鎖地区に近づいて行った。道が碁盤の目のように整備されそれぞれの交差点に信号が立つようになり、道の左右は高層建築とまではいかないが、四~五階建ての建物がびっしり立つようになってきたものの、やはりどの建物も人気がなく扉やシャッターがしっかりと閉められている。建物の規模に比べて人通りも明らかに疎らであり、見かけるのは大抵低所得者乏しき姿の人間ばかりだ。


 彼らは生活に余裕がないために、移住できずに死にかけているこの町から離れなれない。いわば半ば見捨てられているのと同義だった。それよりも治安維持に当たっているであろう警察官や軍人の数の方が余程目につく。そして封鎖地区の周囲数キロメートルは緩衝地帯として一切の建物を取り壊して更地にしているのだが、その境目の辺り差し掛かった辺りで行く手の右側にパトランプを点灯させている複数のパトカーと別の汎用四輪駆動車が固まっている場面に出くわした。車両の奥で複数の人影がうごめいているように見える。


「速度を落とせ」


 イリーナの指示でアクセルを緩めるビアンコ、車両群の脇を通過する際に先ほどの騒動に懲りずイリーナ越しだがちらり目をやれば警察官に見張られ道路側に背を向け建物の壁に手を付いている数名の男たちと、今まさに同じ壁に向かって数名の警察官に取り押さえられている男の姿が見て取れた。彼らの傍らの地面には口の開いた黒いカバンが一つ、それからぱっと見よくわからないガラクタがはみ出している。そのすぐ近くにいた銃を携えたフル装備の男性兵士の一人がイリーナに敬礼したため、イリーナも敬礼して見送りつつ汎用四輪駆動車がその場を走り去った。


 そのまま緩衝地帯に入るとビアンコが再びアクセルを踏み込む。汎用四輪駆動車は目的地への道以外なにもない原野のような場所へと突き進んでいく、茶色の地肌が続き、地形の凹凸どころか解体した建物の残骸一つ見当たらない。まるで封鎖地区の周囲だけ別の場所に飛ばされてしまったのかような殺風景で異様な雰囲気だ。戦場と化した市街地でもこれほど綺麗に整地されることはないと言えるくらい、何もない。焼野原ともま少し違う、独特の雰囲気が漂っていた。


「…馬鹿な奴らだ」


 先ほどの捕り物を見たからだろうか、オリファも呟いた。轟音の中なぜか聞こえたその声には軽蔑が混じっているようだった。


 緩衝地帯を数分走ると、目の前に廃墟と化した高層ビル群とそれの根本を多い隠す数メートル防壁のコンクリ囲いが迫ってきた。ひどく色褪せ、あちこちボロボロの廃墟とグレーのコンクリ防壁が異様な光景を作り出している。コンクリ防壁は等間隔に外側と照らす大型街灯が付き、防壁の上にも人間用の通路が設けられていた。そこを見張りとして立っている兵士の姿も見える。


 汎用四輪駆動車が走っている道の先にこれまた巨大な一対のゲートがあり、その左右にはサーチライトと機関銃が据え付けられている。ゲートの周りはくるり一周有刺鉄線が張ってあり、その中には大型の仮設テントや車両などがびっしり並んでいる。唯一の切れ目である出入口は片側一車線分の道路とその左右に周囲に土嚢を積んだ簡単な柱だけの屋根付きの監視所があった。看板に前線基地とだけ書かれている。ビーインヒルのゲート比べても簡素だが、それは背後の巨大ゲートとコンクリート壁の威圧感から余計そう見えるのだろう。ビアンコが静かに出入口ゲートの脇に汎用四輪駆動車を付けた。イリーナが監視所に向かって身を乗り出すと、詰めていた兵士がパッと敬礼する。イリーナが一枚の紙を兵士に渡し、目を通すとすぐにイリーナに返した。


「車は前に見える車列の最後尾へ止めてください、中佐は司令部テントに居られるはずです」


 兵士が右手を進行方向を差し出しす、緊張しているのか声のボリュームが大きく、ビアンコにもその内容が聞こえてきた。「ありがとう」とイリーナが返すのをしり目にビアンコが運転している汎用四輪駆動車を待機中の屋根に装甲板が乗っている汎用四輪駆動車の車列の最後尾に止めた。車列の周りでは既に待機している巡回部隊の兵士たちがたむろしていて、数名咥えたばこのまま珍しいものでも見るかのようにビアンコ達に視線を送る。彼らはビアンコ達と違い、暗い緑を基調とした迷彩色ではあるが俗言う西側仕様の装備品一式に身を包んでいた。


 数年前からの装備更新で装備の供給先を切り替えたためで、軍全体では銃器等含めて更新が進んでいるが、当然すべて行き渡るのは時間がかかるのでビアンコやイリーナは未だに古い装備品のままだった。ビアンコはそんな彼らを無視してエンジンを止め、ドアを開けて車を降りる。少しの間でもあのエンジン音から解放されると思うと少し気分が良くなった。イリーナ以下残りの三人もぞろぞろを降り始める。


「よし、イエニスとフランシスは機銃を銃座に固定。リーチは私と来い、挨拶しないとな」


「了解ですボス」


 イリーナがくるりと振り返って指示を出し、ビアンコが返事をする。そしてイリーナがリーチを引き連れて司令部テントへと向かっていった。


「さて、やろうか新人君」


 背後からオリファの声がした。ビアンコが鼻を鳴らし、黙って汎用四輪駆動車の後ろに向かった。既にオリファが後部ドアを開けていて、その中に鎮座している一丁の軽機関銃と数個の弾薬箱が顔を覗かせている。


「じゃ機関銃をよろしく」


 いつもの笑みを浮かべどこか間の抜けた態度のままオリファが弾薬箱を抱えて行ってしまい、止む無く重量が十一キロ以上ある機関銃を持ち上げた。例え鍛錬した兵士一人で持ち運ぶことを想定して設計されてはいるものの、その重さはやはり堪える。それを肩に担いで汎用四輪駆動車の横に回ると、オリファが車内から装甲板の中の定位置に音を立てながら弾薬箱を置いている。


「持ってきました」


「OK、僕が下から持ち上げるから上で押さえて」


 二人がかりで機関銃を銃身から車内に差し込むように入れてると、ビアンコがささっと汎用四輪駆動車の屋根に上った。装甲板が邪魔で作業がしにくい。ビアンコが機関銃の銃身を含む前半分を抱え、オリファが鼻歌交じりで銃座に固定していく。ふとビアンコが司令部テントの方へ目をやると、ちょうどイリーナ達がテントから出てきたのが見えた。ついていったリーチの他に迷彩服を着た恰幅のいい中年の白人男性士官と、西側の装備一式を身に着けた若い黒人男性士官が増えている。ヘルメットを小脇に抱え笑顔で白人男性と握手しているイリーナを見て、どこか羨ましい感情が沸き起こった。


「ちょっと、集中しなよ」


「…すいません」


 ビアンコがぼんやりしているように見えたのか、それを見たオリファが少し語気を強める。ビアンコの謝罪もそこそこに右手でオリファからシッシと降りるように促されると、汎用四輪駆動車からゆっくり飛び降りそのまま車に背中からもたれかかった。先ほどのイリーナといい、すぐ隣にいる実質的な先輩は鼻歌まで歌いながら任務に従事している。以前の異常だったとはいえ、ここまで環境が違ってくると緊張を通り越して頭が混乱してきそうだ。


「調子狂うな…」


 ビアンコがため息でも付こうとしたとき、「集まれ」とから声がした。イリーナだった。見ればリーチともう一人、装備を身に着けた黒人男性士官を連れてきている。ビアンコとオリファが集まる。


「紹介する、こちらが指揮下に入る警務大隊第三小隊のタオペ少尉。部下のイエニス少尉とフランシス少尉だ」


「よろしく」


「こちらこそ」


「よろしくお願いします」


 黒人男性士官ことタウペ少尉と短く言葉を交わし、それぞれ握手する二人。


「急な要請に応えて下さって助かりました、少佐と一緒に仕事できるなんて光栄ですよ」


「ハハハ…」


 笑みを浮かべたタウペのお世辞とも取れる言葉に、苦笑いしてしまうイリーナ。


「では、部下を集めてきます」


 タウペがそう言ってその場を離れると、歩きながら部下たちに整列するように声を上げている。それとほぼ同時に車列の周りで屯していた部下達が素早く整列を始めた。ビアンコが出発しないことを不思議に見ていると、オリファに腕を突かれた。見ればオリファがイリーナを小さく指さしている。その先にいるイリーナ本人は真顔だったが、なんとなく戸惑っているように見えた。嫌な予感でも感じているのだろう。


「少佐、こちらへ」


 ほぼ整列が終わった段階で、タウペが催促されたために諦めたように息を吐きながら隊列の前、タウペの横へ歩いていくイリーナ。後の三人も隊列から少し離れたところに並んだ。


「全員楽にしていい。さて、今日は朝からハンヴィーをひっくり返される事故があったな、だが悪いことばかりじゃない。事故った連中には悪いがその穴埋めとして、あのイリーナ・シュリャホバヤ少佐が部下と一緒に来てくださった。だが俺たちはいつもの仕事をすればいい、この塀の中をぐるっと回ってここに帰ってくる。それだけだ。だが粗相だけはないようにな。―では少佐、一言」


 スピーチを終えると、イリーナの方に向き直って片手で前に出るよう促すタウペ。少し後ろで立っていたイリーナの体がピクっと跳ねた、表情は先ほどよりも固くなっている。とは言えそれ以外は自然に、タウペのいた位置と入れ替わるように隊列と正対した時、そこには英雄の顔つきになったイリーナ・シュリャホバヤの姿があった。視線がイリーナに注がれる。


「…コホン、まず事故があったのは災難だったな。次に増援として受け入れてもらえた事を感謝したい。皆も知ってる通り、階級は私が一番上になる。だが気にしないでもらいたい、あくまでも指揮官はタウペ少尉。私たちも彼に従う事を承知の上でここに来ている、それを忘れないでくれ、以上だ」


 イリーナが短いながら堂々としたスピーチを終え、後ろに下がるとそれを察して再びタウペが入れ替わる。


「よし聞いたな、お前たち車に乗れ! 出発だ!!」


 タウペの号令で兵士達がぞろぞろと汎用四輪駆動車に搭乗していくのを背景に、イリーナがビアンコ達に向かって歩いてくる。そして片手で自分たちの汎用四輪駆動車に乗るように合図するとヘルメットを被り直しながら横を通り過ぎて行った。


「はぁー…」


「お疲れ様です」


 自分たちの汎用四輪駆動車に乗り込んで早々、イリーナがゴンッという音と共に助手席のダッシュボードに突っ伏す。そこに銃座に入ったついたまま労いの言葉をかけるリーチ。


「ありがと、やっぱり急遽喋るのは緊張するな」


 頭を上げ、リーチたちの方へ首を傾けながら困った表情を浮かべるイリーナ。


「変じゃなかったか? 表情とか」


「ちょっと表情が硬かったかもしれないですね~」


 身を乗り出してまで聞いてくるイリーナに、真後ろに座っているオリファにこやかに答えている。ビアンコは一連の流れを見て呆気に取られていた、彼女の人間味の一端を垣間見た気がしたからだ。人間表と裏が必ずあるものだが、知識としてしっているのと実際に目の当たりにするのは雲泥の差がある。だが次の瞬間に右腕を叩かれたことでビアンコの思考が中断された。


「ヘルメット」


 オリファに咎められ、慌ててヘルメットを被り始めるビアンコ。前の車両は既にエンジンを始動して排気ガスを吐き出し、ブレーキランプがついていた。エンジンを始動すると、車内が再び轟音が響き渡る。それに呼応してイリーナが無線の周波数を合わせ、マイクを手に取った。


『―こちらタウペ、少佐行けますか?』


「こちら六号車、問題なしだ」


 無線機のスピーカーから少しノイズ交じりのタウペの声に返答して、イリーナがマイクを無線機の上に置いた。


「ゲートを開けろ!」


 ハンヴィーから身を乗り出したタウペが大声で叫ぶと、鈍い音を立てて正面ゲートが動き始め左右の壁に吸い込まれていく。ゲートが完全に開ききる前に、順番に汎用四輪駆動車が発進して砂煙を上げながら封鎖地区に入っていく。ビアンコら四人の汎用四輪駆動車もそれに続く。ものの数分で車列が封鎖地区の内側に飲み込まれていき、そしてすぐにゲートは封鎖された。



 封鎖地区の中は燦々たる有様だった、アスファルトで舗装されているはずの道路は大きくひび割れ、隆起し大小さまざまな瓦礫が散乱、道の左右にある高い建物は放置されて時間が経過し黒く汚れ、外付けの階段やバルコニーが崩壊、窓ガラスのほとんどが割れている。かつて多くの人々でにぎわったであろう町の面影はどこにもなかった。打ち捨てられた文明の残滓という表現がぴったりだ。


「…全然変わってないな、ひどくはなってるか」


 瓦礫や隆起を避けるようにクランク状に路上をゆっくり進みながら、ビアンコが呟く。大通りをのろのろ進んでいると、道の脇に何やら生物を模した巨大な石像の頭部が地面と建物の一階をまたぐように突き刺さっているのが目に入った。人間の頭部を模しているようだったが、本来ついている両目とは別に額にも目が付いていて、下あごから牙のようなものが上に向かって伸びている。牙の片方は根本から折れていて、その先が石像のすぐ脇に集めらていた。石像自体の大きさはそれだけで三メートルくらいありそうだ。


「悪趣味だね」


「だな、だが町が封鎖される前はこんなものなかったから、後から転移してきたんだろう」


 目を細めつつ感想を述べるオリファと会話するイリーナ。処理待ちという看板がかかった石像の脇を抜け、車列は左折を始めた。


『一号車から全車へ、気をつけろ。この先少し”臭う”ぞ』


「何かあるのか?」


 タウペの声が無線機から響く、それを聞いて無線機に視線を落とすイリーナ。そしてビアンコがハンドルを回しながらその様子をチラ見する。するとオリファが顔をしかめ始めた。


「…なんか臭い」


 その言葉の後、ビアンコとイリーナも先ほどの連絡の意味を理解した。強烈な腐敗臭が襲ってきて、二人とも激しくむせる。


「うげぇぇ…」


 ビアンコが何とか臭いを堪えて運転していると、目の前に臭いの原因らしきものが現れた。堂々と道の真ん中に鎮座していたために先行車両の存在もあって気づかなかったが、そこに一つの山のような巨大生物の死骸が転がっていたのだ。既に腐敗が進んでいて、骨がむき出しになり腐った内臓らしきものが体のあちこちからはみ出し、周りの地面も体液が溢れている。最早元々の姿がわからない。


 死骸の周辺では黄色の防護服とガスマスク、その中の数名は同じ色の与圧式防護服まで身を包んだ作業員らしき人々が機器を持ってうろつき、はみ出した内臓をシャベルなどを使って手作業で片づけていた。ガスマスクを装着した兵士が車列を誘導し一台一台死骸の脇を抜けていく、心なしかアクセルを踏み込んでしまい先行車両との車間が詰まった。


「…みんな無事か?」


「問題ない」


「なんとか…」


 ようやく臭いが薄れてきたところでイリーナが点呼する。リーチ、ビアンコが呼応した。オリファは蹲って左手でサムズアップしている。


「分かった、少しそのままでいろ」


 オリファの様子を確かめたイリーナが息を吐く。


「嗅覚が敏感なのか、ああいうものが苦手らしい。すぐ復活するから気にするな」


 場を取り繕うとイリーナが苦笑いしてみせた。


 先ほどの死骸が転移生物のそれだったということは、誰も言わなかった。多かれ少なかれ、封鎖地区に関わる人間には既に周知の事実だからだ。あんな巨大な生物は現代の地球には生息していないし、そもそもあれだけの巨体ならあの場所に現れる前にどこかで補足されているはずだからだった。また転移生物は、転移前と転移後の環境が違い過ぎることによって転移直後に死んでしまうパターンがほとんどである。故にオリファのように地球と同じような環境で生存し、更に意思疎通まで可能な存在はとても貴重、ということになっている。


「了解です」とこくこく頷きながら、ビアンコが前方を注視する。すると徐々に建物の毛並みが変わってきた。ゲートをくぐった直後に比べて全体的に建物の高さが低くなり、建築方法が不ぞろいで軒先に商店らしき看板を掲げたままの家屋が増えてきた。どうやらかつての商業エリアのようだ。一方で荒廃の方向性も明らかに変わり人為的に破壊されたとぼしき建物も増えていった。通り過ぎるほぼ建物全てに弾痕と火災の痕跡があり、爆発で吹き飛ばされた箇所も目立つようになった。周囲の状況が変わったのを察知してか、車内に緊張感が漂いだす。


『一号車から全車へ、間もなく危険地帯に入る。油断するな、何か見たらすぐ報告しろ』


 無線からのタウペのこの一言で、全員のスイッチが切り替わった。イリーナが自動小銃を、いつの間にか復活したオリファが銃床が折りたたまれた自動小銃の銃身を開いたままの窓枠に乗せ、リーチが装甲板の基部をゆっくり時計回りに回転させ周囲を警戒する。相変わらず道は悪く、未舗装の悪路を走っているかの如くハンヴィーがガタガタと左右に揺れる。そのまま数十メートル走ったところで、リーチが機関銃の銃身を勢いよく正面に向けた。大通りから少し外れ、片側一車線と両側に歩道が付いた少し狭い道に入ったくらいだった。


「少佐、センサーが反応。約百m先。右のネオン看板が付いた建物上層階と左右の建物のいくつかに複数の熱源」


「具体的な数は?」


「十数体がそれ以上」


「分かった、警戒しろ」


「了解」


 リーチの短いやり取りの後、イリーナはそれだけ言いマイクに手を伸ばそうとしなかった。


「あの、タウペ少尉に言わないんですか?」


「姿を見たわけでもないんだ、敵かどうかも分からない。それに相応の装備を持ってないのに報告したら後で怪しまれるのはまずい」


「じゃあ少尉たちを見殺しにするんですか!?」


「そうじゃない、だがむやみやたらにみんなの正体を明かすようなこともできない! 少尉たち全員に機密保持の誓約書を書かせるつもりか!」


 肩透かしを食らった気分でビアンコが声を上げる、がそれを聞いたイリーナがビアンコの方へ身を乗り出し気味に顔を突き出し凄みながらビアンコの右肩を掴む。その勢いにビアンコは思わずブレーキを踏み、タイヤが地面を滑る音を上げつつハンヴィーががくんと急停車した。


「…分かったなら車を出せ」


 数秒の沈黙、押し黙ってしまったビアンコを見て、幾分表情を和らげながら手を放すイリーナ。ビアンコは固い表情のまま前を向きなおし、再びハンヴィーを発進させる。既に前方の車両との距離は少し離れているが、停車したことに気づかれていないようだ。眉を顰めたイリーナがおもむろに無線機のマイクを手に取る。


「…こちら六号車のイリーナ少佐、一時方向、ネオン看板の建物の三階部分に人影複数。警戒を」


『一号車了解、全車警戒…』


 タウペの返事より早く、一瞬の轟音と共に突然車列の進路上に砂煙が舞った。ただし爆発のそれではない。車列の行く先に向かって瓦礫の塊が飛んできたのだ。


「敵襲だ!!」


 兵士の誰かが叫ぶ、と当時に左右の建物の上層階から銃撃が行われ始めた。銃弾が地面や汎用四輪駆動車に撃ち込まれ無数の砂煙と金属同士が爆ぜる音が鳴り響き、それに負け時と汎用四輪駆動車の各車の機関銃と搭乗員の銃器も火を噴く。


『警務隊第三小隊タウペ少尉からメインゲートへ、封鎖地区南部にて銃撃! 繰り返す封鎖地区南部にて銃撃!!』


 あちこちから響き渡る銃声に搔き消されまいと大声で怒鳴っているタウペ少尉の声が無線機から響き、汎用四輪駆動車にもガンガンと音を立てて着弾する中、ビアンコは首をすぼめて辺りの様子を見た。敵は左右の建物の上層階のあちこちから発砲してきているが、動き方や撃ち方がほぼ素人のそれだった。しっかり狙いを定めずに、上半身を露出して頭上で銃を振り回すように発砲している敵もいた。


 そうこうしているうちに、襲撃者達が味方の機銃掃射で薙ぎ払われてのけ反りながら次々と建物の中に消えていく。そしてふと、おそらくハンバーガーだったと思われる崩れたネオン看板が乗っている建物が目に入った瞬間、その建物の屋上辺りから再び瓦礫の塊が飛んできた。三号車の脇辺りに落下して砂煙を上げて地面に突き刺さり、三号車が若干左右に揺れる。


『全車後退、後退!』


「下がれ! 下がれ!!』


 窓から銃身だけ出すように自動小銃を撃っていたイリーナがビアンコに指示を出す、ビアンコが慌ててギアを切り替えてアクセルを踏み込み、ハンヴィーを猛スピードでバック走行させる。砂煙を上げながら障害物を避けるためにハンドルを右に左に回しながら来た道を戻っていく。それに前を走っていた五号車が追随しようとしたが、路上にあった障害物に乗り上げ屋根の装甲板の中にいた兵士を放り出しながらそのまま派手に横転する。そこに四号車が追突して道を塞いでしまった。


「っ、脇に止めろ!!」


 ビアンコがハンドルを切り汎用四輪駆動車を道の脇に突っ込ませる、ブレーキをかけたものの惰性でそのまま路肩に放置されているセダンにぶつかって止まった。


「タウペ少尉たちを助けるぞ! リーチはここで援護射撃、イエニス、フランシスは私と来い!!」


「了解!」


 開口一番にイリーナが汎用四輪駆動車から飛び出していき、そのあとにオリファとビアンコが続く。三人が一列となり、それぞれ別々の方向を向き単発射撃で銃を撃ちながら銃弾が飛び交う道を進む。横転して天井を晒している五号車の後ろにたどり着くと、まずイリーナが放り出された男性兵士の方を見た。仰向けで辛そうにうめき声を上げている、見たところ外傷は無さそうだ。さらに前にいる三号車から一号車はそのまま立ち往生しているはずだがよく見えなかった。


「今行くからな!」


 イリーナが倒れている兵士に声掛けするが、聞こえていないのか呻くだけだ。彼の周りに着弾が起因の砂煙がいくつも上がる。敵か味方かわからないが手りゅう弾でも使い始めたのか爆発音までこだましてきた。


「ちっ、…三つ数えるから援護しろ! 彼を助けに行く」


「えっ? 少佐が行くんですか!?」


 イリーナの発言に思わず驚くビアンコ、オリファはいつものことかと眉を上げた。


「当たり前だ!」と振り返らず兵士を見据えて一言答えるイリーナ、その声色には冷静さが欠けているように感じられた。


「―行くぞ、三、二、一…。GO!!」


 声と右手の指でカウントダウンし、ゼロになった瞬間に兵士の元に走るイリーナ。同時にビアンコとオリファが援護するために身を乗り出して敵に向かって撃ちまくる。幾つかの弾が体を掠めながら兵士の元にたどり着いたイリーナが上手く持ち上げて肩を貸し二人三脚の状態になるが、体格差も手伝って二人の足取りは重くなかかなビアンコたちの元まで戻ってこれない。自動小銃のマガジンを交換していたビアンコはそれが目に入り、渋い顔をしつつも思わず銃弾飛び交う中に駆け出していた。そのままイリーナが抱えている兵士の横につき腕を抱えると、イリーナは一瞬驚いた表情を見せたが何も言わず、そのまま二人でゆっくり兵士を四号車の後ろに連れてきて座らせた。


「もう大丈夫だ」


 辛そうにこくこくとうなずく兵士の肩をイリーナが軽く何回か叩き、最初の場所に戻ってくるとビアンコに近くにくるように合図する。そして四号車の影からハンバーガーネオンの建物を覗いた。建物の屋上から周辺よりも激しい銃撃が行われており、機関銃が設置されているようだ。おもむろにポーチの中から長方形の無線機を取り出す。


「タウペ少尉、状況は?」


『負傷者が出てる上に立ち往生です! このままじゃまずい!!」


「分かった、我々四人で敵の機関銃を制圧してくる。一人寄こしてくれ!」


『しかし、万が一があったりしたら…』


「もうそれどころじゃないだろう! いいから人を寄こせ!!」


『り、了解』


 無線でイリーナのタウペがやり取りした後、イリーナが三人の方へ向き直る。


「行くぞ」


 それだけ言って小走りでハンヴィーへ向かっていくイリーナ、オリファがそれに続き、少し出遅れる形でビアンコが付いていく。三人が汎用四輪駆動車に戻ると、イリーナがその横を通りながら車体をバンバン叩く。


「リーチ、降りてこい」


 するとリーチが射撃をやめ、その手に軽機関銃を構えている汎用四輪駆動車から降りてきた。その後ろから一人に兵士が走ってきて、イリーナの目の前で立ち止まる。


「ブロスキ一等兵であります!」


「よく来た一等兵、車の銃座を頼む!」


 興奮気味の兵士に対し、イリーナが汎用四輪駆動車を指さし冷静に指示を出した。一等兵がリーチと入れ替わるように汎用四輪駆動車に乗り込む。


「さて、行こう」


 後ろの三人を見てフッと笑みを浮かべるイリーナがそのまま路地裏へ進んでいくのをビアンコは言われるがまま最後尾を付いていった。一区画挟んだせいか、銃声の音量や爆発音が少し静かだった。相変わらず路地裏も荒廃しており、ごみや車の残骸が散乱している。丁度ハンバーガーネオンの建物の裏辺りに小型トラックが荷台をビアンコ達の方へ向けて止まっているのだが、年期が入っているがタイヤが潰れておらずどうみても放置されているようには見えなかった。


 四人がそれぞれの銃を構えた警戒しつつまま壁越しに一列で進み、トラックの手前で左右二人づつに分かれる。それぞれ車体の下や運転席周りを確認し、「クリア」と掛け声を発した。人影はない。そして建物の裏口の脇に集合してまた壁沿いに一列になる。先頭からリーチ、イリーナ、オリファ、ビアンコの順だ。


「リーチ」


 後ろにいるイリーナの囁きに列の先頭のリーチが建物を上から下まで見渡す。


「二階に二人、屋上に三人プラスでかいのが一つ」


 報告の返答として、イリーナがリーチの肩を二回叩く。突入の合図だった。四人が開いたままの裏口から静かに建物に入っていく。入った部屋はかつての厨房だったらしいが、シンクや調理台の類は荒らされて位置がずれ傾いている。足元に瓦礫や内装材、調理道具が散乱し、価値のありそうなものは軒並み持ち去られていた。部屋の壁に背中を預けながら四隅を抑えると、リーチが厨房から続く廊下にある階段から上層階に向かって軽機関銃を構えた。


 それをしり目にビアンコが更に踏み込んで奥の部屋をチェックする。厨房の隣にあった事務所らしき部屋、やや薄暗く当然のように室内は荒らされており、机や戸棚やひっくり返され、中身の書類や事務道具が散乱している。そんな中であって、ビアンコは生き物の気配を感じた。


「誰かいるのか!?」


 声かけに反応してか、部屋の真ん中で横倒しになった金属製の戸棚が音を立てる。改めてビアンコが自動小銃を構えなおすと、それがゆっくりと姿を現した。小さな女の子だ、体は十二歳くらいの大きさで金髪長髪、白いくところどころくすんだワンピースを着ていて体の線は細くしなやかを通り越してちょっと力をかければ折れそうな程華奢だ。それだけなら行方不明の子供で済んだかもしれない、だがその少女には通常の人間とは大きく違う点が一つあった、耳が長い。少女は大きい青い瞳がぼんやりとビアンコを見つめている。


「冗談だろ…」


 予想外の事態に驚愕しながらビアンコは思わず自動小銃を下げてしまった、それに反応してか金髪の少女が首を傾ける。


「―何してんの?」


「うぉっ!?」


 いつの間のか背後に回っていたオリファの声で固まっていたビアンコが体を跳ねさせた、思わず少女から視線を外してしまった。


「め、目の前に女の子が…」


「え? 誰もいないじゃないか」


「えっ、…えっ!?」


 ビアンコはありのままを報告したつもりだったが、部屋を覗き込んでオリファがそれを否定する。ビアンコが再び部屋へ視線を戻すと、そこには誰もいなかった。目を丸くするビアンコだったが、反論したい気持ちをねじ伏せすぐに動いた。


「…見間違いでした」


 オリファをチラ見して厨房へ戻るビアンコ、オリファも不思議がりながらその後ろを付いていく。


「異常なしです」


 残りの二人と合流してすぐに俯き気味でビアンコが報告するも一方のイリーナは見てわかるくらい眉を吊り上げて怒りを露わにしていた、ビアンコが安全確認が余りにももたついているように感じていたからだった。すぐにオリファがイリーナに耳打ちすると、不満げながらもその表情が幾分和らぐ。「配置に着け」と怒りを含んだ声色で指示する。その後に四人が目くばせして、相変わらず響く銃声の中リーチを先頭に階段を上がる。上がった先には二階の廊下、そして同じ大きさの部屋が二つあり、その内の表通りに面した部屋から銃声が響いている。リーチの報告と銃声の感覚から二人は居そうだ。


「二人で始末しろ、音は立てるな」


 イリーナの指示にリーチとオリファが反応して、部屋の入口の左右に立つ。イリーナが屋上への階段を、ビアンコがきた道である一階への階段を見張る。いつの間にかオリファの右手には全体がほぼ透明に近いナイフが一本、刃の側面を人差し指と中指で挟んで保持している。それを見たリーチが頷き、オリファが頷き返す。そしてオリファ、リーチの順番に部屋に突入した。すぐさまオリファが一人目に向かってナイフを投げつけ、物音に気付いた相手が振り返ったと同時にそれが眉間に突き刺さる。一人目が後ろへ仰向きに倒れはじめるとほぼ同時にもう一人の敵に肉薄するリーチ、少し距離があったために振り返られて喚かれながら銃口を向けられそうになるが、銃身が長かったために先に銃を上から押さえつける要領で無力化すると敵の首を片手でつかむとうめき声に間髪入れず鈍い音を響かせ、肉塊をその場に転がした。


「制圧」


 リーチの声と共に部屋を出る二人は、すぐに合流して列を整える。再び屋上へと向かう際、ビアンコが部屋の中をちらりと見た。一人目に刺さったナイフがまるで氷でできているかのように溶け始めていて、もう一人は首があり得ない方向にねじ曲がっていた。後者はともかく、前者は人間にできることではない。眉を顰めながらその場を後にし、階段を駆け上がる。未だに機関銃の発砲音の合間と瓦礫を投げつけた際の風切り音が鳴っている。屋上へ繋がる扉の脇についたイリーナが扉を少し開けその先の様子を伺えば、こちらに背を向けて機関銃を操作する二人とその脇に一人、その更に横に人間の躯体ではない二足歩行の茶色い生物が瓦礫の塊を持ち上げていた。横顔だけだが、人間と豚の特徴を組み合わせたような顔をしている。俗に言うオークのようだ。


「手りゅう弾、一個づつだ」


 後ろの三人が扉の脇に付き列を作って手りゅう弾を取り出すと、イリーナが半開きになっているドアのドアノブに手をかける。三人が手りゅう弾の安全ピンを抜き、それを見たイリーナが扉を開け放つと同時に三つの手りゅう弾を投げ込んだ。三回の爆発を物陰でやり過ごし、イリーナ以下四人が屋上に屋上になだれ込む。機関銃を操作していた二人は即死したのか目の前にあった機関銃や建物の柵にうつ伏せ寄りかかって動かない。三人目は離れた位置で仰向けに壁にもたれ掛かっていて、血まみれで虫の息だった。一番離れた位置にいたオークは瓦礫に覆いかぶさるように倒れ、その背中は手りゅう弾の破片が無数に突き刺さっていたずたずたになっていた。


 イリーナとオリファがそれぞれ機関銃の二人の体をひっくり返し、生死を確認する。ビアンコはまだ息のあるもう一人の前に立ち、見下ろした。首の動脈を切られたのか手で押さえているはいるが指の隙間から血が漏れ、目を見開いて口端からあふれ出る血も顧みず口をぱくぱくさせている。見なれた光景だ、そんな事を一瞬思いながら流れる動作でホルスターから拳銃を取り出し、眉間に一発、撃ち込こんだ。たった今まで人間だったものをしり目に、拳銃をホルスターにしまいながら振り返るとリーチがオークの生死確認をしようとしているところだった。残りの二人もオークのそばに集まっている。


「ウゴオオオオ!!」


「うおおお!?」


 突然倒れていたオークが勢いよく起き上がり、雄たけびを上げながらむき出しになった鉄筋を持ち手がわりにコンクリート塊を振り回す。コンクリート塊は不意を突かれたリーチの胴体に当たり砕け散ってしまうものの、あの躯体が一瞬中に浮いて数メートル飛んだ。そして運の悪いことに飛ばされた方向には屋上の床が幾ばくもなく、飛ばされた勢いで床を滑ったリーチはそのまま転落しそうになるも無理やり屋上の淵にしがみ付く。


「ガアアア!!」


「ちょっ!?」


 続いてオークは二番目に距離が近いオリファに狙いを定め、コンクリートがわずかに残った鉄筋を振るう。オリファはそれをひらひらと交わしているが、表情には余裕がなかった。イリーナとビアンコは銃を構えてはいるものの、オリファとオークの距離が近すぎて撃てないでいる。そうこうしている内に焦りからかオリファの足がもつれ、仰向けに倒れるという盛大に隙を晒してしまったところへ腹部に向かって鉄筋が振り下ろされる。防弾ベスト越しにも関わらず「ごっ!?」っという短い悲鳴を上げて伸びてしまうオリファ。


「撃て!」


 オリファが地面に倒れたのを見てすかさず掛け声と共にイリーナとビアンコがオークに向かって自動小銃を単発で連射した、被弾するたびに小さくのけ反りながら片腕で顔を防御するオーク、弾が命中しているものの分厚い皮膚と皮下組織に阻まれてかダメージを与えられていないようだった。


「やっぱり効いてない!」


「撃ち続けろ!」


 そうこうしているうちにイリーナが弾切れになったのを察知して拳銃を取り出そうとした矢先、オークがビアンコへ鉄筋を投げつけた。自動小銃を構えていたビアンコはそれに対応できず、声を上げる間もなく飛んできた鉄筋が頭に当たった。ヘルメット越しにも関わらず脳が揺さぶられたのがわかり、視界が歪んで世界のすべてがスローモーションになったかのように感じながらその場に派手に倒れた。ピントが合わずに視界がぼやけている。イリーナが何か叫んでいるのだけは微かに分かったが、詳しい内容まではわからない。横倒しになりぼやけた世界で緑色の塊と茶色の塊が重なって、揉みあっているような気がした。


「―きろ、!! ビアンコ起きろ!!」


「―っ、ゴホッゴホッ!?」


 イリーナの叫び声でビアンコのようやく混濁した意識がはっきりしてきた。がそれと同時に今さらになって痛覚、特に頭の痛みが襲ってきた。思わずえずく体を横向きにしてビアンコ。するとイリーナが視界に入った、オークに首を掴まれて高々と持ち上げられている、当然足は地面についていない。イリーナは苦悶の表情でオークの太い腕にナイフを突き立てているが、その周辺にいくつもできたナイフの傷跡が効果が薄いという事実を物語ってた。いくら何でも味方が見殺しにされるのは黙って見ているわけには行かない、ビアンコは悲鳴を上げている体にむち打ち、立ち上がるとふら付きながら自分の自動小銃の銃身を持ち高く掲げながらオークに向かっていく。


「だああああ!!」


「ウゴッ!?」


 そして叫び声をあげならオークの背中を何度か自動小銃で叩きつける。既に刺さっていた手りゅう弾の破片がさらに体にめり込んでオークが悶絶すると、気絶寸前だったイリーナを投げ捨て振り向きざまにビアンコに殴りかかり、ビアンコが仰向けで再び床に倒される。今度はオークがゆくっりとビアンコに歩み寄ると、右足で思いっきりビアンコの左足太ももを踏みつけた。鈍い音と激痛がビアンコの体を駆け巡る。


「あああああああ!?」


 目を見開き叫び声を上げて悶絶するビアンコ、すかさすオークが後ろからのしかかり首を掴み締め上げた。息ができなくなったビアンコは両手でオークの指を引き離そうと掴み、動かせる右足をバタつかせる。すぐに意識が朦朧としだし、両手に力が入らなくなっていった。そのまま意識を手放そうとした寸前、銃声と共にオークの右の首元が弾け血が噴き出し、それと共に首への圧迫がなくなっていく。呆然としているようなオークの表情のオークの顔面に更に数発撃ち込まれ、そのままビアンコの横に倒れこんだ。オークの血を浴び赤黒い顔で激しくせき込みながら上半身を起こしすぐにその場から後ずさりするビアンコ。


「…無事か!?」


 すぐ後ろにあった壁に背中を預けると同じタイミングでイリーナの声がした、おそらくオークを撃ったのも彼女だろう。上着の袖で顔の血を拭っているビアンコの元へよろよろと駆け寄ってしゃがみ込む。肩で息をし、全身埃まみれだ。ビアンコの全身を見渡すも、ズボンが赤くなって足先があらぬ方向へ向いている左足辺りを見て動きが止まる。何が起こっているか瞬時に理解したようだった。


「これはひどい、待ってろ」


 イリーナがひとまずビアンコの左足の付け根に止血帯を巻いていく、指先が微かに震えているように見えた。締め付けられて左足が痛み、悶えながらビアンコが表情を歪ませる。


「よし、良いぞ。すぐに助けが―」


「少佐!!」


 止血帯を巻き終わり笑み浮かべるが、直後に背中から切迫した大声が響く。リーチだ。イリーナが振り返る。


「もう限界だ、落ちる!! 助けてくれ!!」


 最初に吹き飛ばされてからずっと建物の淵にしがみ付いていたリーチだったが、掴まっている構造材がリーチ自身の重量で始めており落下寸前になっていたのだ。


「ああもう! 待ってろ、すぐ戻る!」


 矢継ぎ早のトラブルに初めて不満らしい不満を漏らしたイリーナだったが、すぐにリーチの元へ飛んでいくのをビアンコが目で追う。イリーナがようやく目覚めて上半身を起こしているオリファの足をついてこいと言わんばかりに軽く蹴り、そのまま建物の淵で胸元から上しか見えなくなっているリーチに飛びつき声を掛けながらその体を引き上げようとした。するとビアンコの曲がっていた左足がするすると元の方向に戻る。痛みは残っているが、足の指の感覚も戻りブーツの中で何度も開いたり閉じたりして動かせるのを確かめた。「いつものこと」だった。人とそれ以外を分ける明確な違い、数々の不運を呼び寄せてきたもの。「ケガは大したことない」と周りに示さないと、それだけが頭に浮かび、既にイリーナに見られているという事実は頭から飛んでいた。


「んぐうぅ…!」


 ビアンコは痛みに耐えながら改めて座った姿勢に体を起こす。壁に体重をかけ、左足を庇うように立ち上がる。ずるずると壁と服が擦れる音を立てながら階段のあるドアの方向に進んでいく。まだまだ全身の痛みは引かず体を思い通り動かせない、意識が薄れているのを痛みで無理やり覚醒させている感じだ。気が付けば爆発音はなくなり銃声は小さく、回数も少なくなっている。戦闘はほぼ終結したようだった。


「なにやってるんだ!?」


 リーチを引き上げ、箱型無線でタウペとやり取りしていたイリーナが無理やり歩いているビアンコを見て飛んできて制止しつつ、ビアンコの体を支える。


「足が折れてるんだぞ、何考えてる!?」


 イリーナの表情は困惑を隠しきれていない、銃声などの騒音がなくなったので声が通るようになり周辺にいた二人も声の元へ思わず振り返った。


「大丈夫、大丈夫です。気にしないで…」


 ビアンコは虚ろな顔で、視線も定まっておらず言葉にも力がない。彼の足に視線を落としたイリーナがハッとする。先ほどとは打って変わって「座れ、座れ」と諭すようにビアンコをその場に座らせるイリーナ。


「少尉たちと連絡を取った、移動できるようになるまでじっとしてろ。しっかり息をするんだ。いいな」


 しゃがみ込んでビアンコの右肩を掴みながら語り掛けるイリーナ、それに対するビアンコの返答はなく、視線も合わせぬままぼんやりと虚無を見つめるだけだった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ