第一話 嫌われ者 3
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ビアンコは装備一式をバックにまとめると、自家用車でもある四輪駆動車に積み込んで基地を離れた。雲一つない晴天の下、広く整備された道を走ってピューソンの町の郊外にある異動先へ向かう。すぐに殺風景な荒野から徐々に民家などが現れ始めるが、そのほとんどに人気がない。
中には落書きにまみれていたり倒壊しかかっている家屋や、放火されたのか無残に焼け焦げた家、立派なガレージや庭先によくわからないガラクタが詰め込まれている家もある。商店らしき建物も窓や出入口が木の板で塞がれ、釘が外れたのか売り出し中の看板が傾いている。街路樹は悉く切り倒され切り株だけになり、中央分離帯や歩道に放置され無秩序に伸び放題の植え込みだった緑の塊が点在していた。
これでもし道路の舗装や電柱、街灯までもが荒廃していれば、人類滅亡後に放置された町と紹介しても信じるだろう。それほどまでにこの町は荒れ果てていた。運転しているビアンコがそれらが車窓から走馬灯にように流れていくのを流し見していると、暗い緑を基調とした迷彩色が施された六輪の大型トラック二台とすれ違った。2台にはこれまたトラックと同じく暗い緑の迷彩色の戦闘服にヘルメットなどの装備一式を身に着けた兵士を満載している、封鎖地区の警備を終えて基地に帰還するのだろう。戦地さながらの光景だ。
そうこうしている内にビアンコがハンドルを切って左折し、枝分かれした道のうちの一本を進んでいく。そして目的地手前で車を止め、息をのんだ。
「マジかよ」
車内で何度も地図と現地を照らし合わせるが、間違いなさそうだ。目の前には上部に有刺鉄線がついた金網のフェンスで囲まれている丘を切り開いた富裕層向けの小さな新興住宅地が広がっていて、豪邸とまではいかないが、広い庭とガレージ、2階建ての家々がいくつか並んでる。その家々を結ぶ道も広く、舗装も比較的新しかった。やはりここも人気はなく、不気味に静まり返っているが、先ほどとは違い家や道が荒れていないことが不気味さを助長させている。てっきり何もない寂しい場所を想像していたビアンコはすっかり面食らっていた。
「っとまずい、時間に遅れちまう」
予想だにしなかった光景に少し見とれてしまったビアンコだったが、我に返って再び車を走らせる。まだ厳密には目的地についていないからだった。そのまますぐに関係者以外立ち入り禁止と『ビーインヒル・アウトポスト』の看板が掲げられたフェンスの切れ目、出入口となっているゲートへと車を進める。新設されたであろうゲートは軍事施設らしくコンクリート製で前面に土嚢が数段積まれ、本来係員がいるべきスペースに機関銃を二門水平に連装配置した無人砲塔がある以外は有人の料金所を思わせる見た目だ。ビアンコは砲塔は銃口を明後日の方向に向けているのを見て、少し心を撫で下ろす。少なくともこの車は味方として認識されているらしい。
『ご用件をどうぞ』
ゲートの入り口にゆっくり車を進めると、向かって左側、機銃砲塔が設置されている後ろの部分にあるカメラから女性の事務的な電子音がビアンコを出迎えた。
「ビアンコ・フランシス・カーネ少尉だ、イリーナ・シュリャホバヤ少佐に会えと言われてきた」
車のパワーウィンドウを下ろして開口一番、カメラとの距離を考慮してビアンコがやや声を張り上げる。
『IDを提示してください』
カメラの指示通りビアンコがIDカードを取り出してカメラの前に掲げると、数秒沈黙した後、まるでクイズに正解した時のような明るい電子音が流れた。
『本人確認が完了しました、カーネ少尉。左の白い建物へお進みください、ビーインヒル・アウトポストへようこそ』
「…そりゃどうも」
前方をふさいでいたバーが上に上がる。パワーウィンドウを上げながら、ビアンコは軽く首を振って自嘲気味に肩を竦めた。そのままそろそろと進んで住宅地の脇にある消防分署だった建物の前で車を止め、車から降りる。続いて装備品を詰め込んだ大きなバッグを車から取り出すと、肩に担いで建物へ向かって歩いて行った。
建物は箱型でそれなりに大きく、白壁に倉庫で使われるような大きなシャッターがついている。旗を掲げる掲揚台やビーインヒル消防分署と書かれた看板もそのままだ。住人が退去し、役目がなくなった建物を軍が再利用しているらしかった。建物へ向かう間、ビアンコはここの責任者であるイリーナ少佐の経歴を思い出す、数年前、率いていた部隊が封鎖地区での捜索、遺体収容任務にあたっていた際に異世界のモンスター集団に襲われ壊滅寸前に落ちいったのを孤軍奮闘しその窮地を救った英雄、というのが彼が知りえる彼女の記録だ。そんな人物がなぜ自分のような人間を招き入れたのかが腑に落ちない、英雄故のただの気まぐれが、それとも他に目的があるのか。頭が無駄に回転してしまい、思わず足取りも重くなる。
そうこうしているうちにビアンコは開け放たれているシャッターの一つの目の前に来てしまっていた。静かではあるが人気はあるようだ。彼が意を決して中に足を踏み入れると、まず目に飛び込んできたのは天井の高いガレージの真ん中にピカピカに磨かれた緑の迷彩色を纏った汎用四輪駆動車だ。左右の乗降用ドアは増加装甲で分厚くなっていて車体上部に屋根こそないが全周囲を防護できる装甲板を取り付けている。その右側に作業台や工具が綺麗に並んでいるスペースがあり、そしてその奥の広くなっている別のスペースでは三人の人影があった。
一人目は長い白髪の若い女性、イリーナ少佐である。二人目は紫色の短髪の若い男性、口元は微かに両端を上げ自然な笑みを浮かべ、視線をビアンコに送っている。三人目は先の二人より一回り背が高い男性で肩幅が広く、なぜか頭にバラクラバと呼ばれる目出し帽を被り屋内であるにも関わらずサングラスまで着用していた。少佐含め三人ともビアンコと同じように戦闘服に身を包み、それぞれイリーナから向かって左側に男性二人が気を付けの姿勢で並んでいる。ビアンコは少佐に正対する位置まで来ると、唾を飲み込んで荷物を下ろし緊張を隠すためやや強張りつつも神妙な面持ちで素早く気を付けの姿勢から敬礼してみせた。
「―失礼します、今日からこちらに配属になりました。ビアンコ・フランシス・カーネ少尉であります。ただいまよりイリーナ・シュリャホバヤ少佐の指揮下に入ります」
「カーネ少尉、よく来た。一応名乗っておく、イリーナ・シュリャホバヤだ。よろしく」
右腕を下ろして気を付けの姿勢で自己紹介をしたビアンコにイリーナが同じく神妙な面持ちで名乗りながら一歩前へ出て握手を求める。それに応じるビアンコ。イリーナはビアンコとほぼ少し年が上くらいで、一挙手一投足がキビキビとしている。やや小ぶりな赤い瞳が力強さを感じさせ、白い髪色はともかく長い髪は完全に規律違反だが、しっかり手入れされておりつやつやとしている。普段は結い上げて短くしているのだろう。不審点といえば階級の割に年齢が若すぎるのが気になるくらいだった。
ビアンコとの握手の後に笑顔で「楽にしていい」と言葉をかけ左の二人を見た。事前情報から想像もできないくらい声色は明るい。
「紹介しよう、リーチ少尉だ」
「よろしく」
イリーナが右手で大男、リーチを指し示すと、リーチが一歩歩み出てそのガタイに似合った低い声と共にビアンコへ握手を求める。リーチはビアンコが見上げるほどの背丈、それに見合うだけの肩幅、逆三角形の上半身、太い足、文字通り筋骨隆々の大男だった。それだけに威圧感もかなりある。布製の手袋でしっかり覆われた手に一瞬躊躇うも、オウム返しのように「よろしく」と握手に応じた。
「こっちがイエニス少尉」
「オリファ・イエニス少尉です、よろしく」
次にイリーナに示されたオリファは優しい笑顔を崩さぬまま同じく優しい声色でフルネームを名乗り、白い手でビアンコに握手を求めた。先ほどのリーチと比べると明らかに体全体が細い、その分リーチのように威圧感は皆無で逆に温和で知的な雰囲気を漂わせている。髪色と同じ紫色の瞳は魅力的とも、本能的に危険と促してくるとも言える雰囲気を持っていた。もちろん彼にも「よろしく」と握手に応じるビアンコ。
「さて、自己紹介も済んだ。悪いがまずカーネ少尉にやってもらうことがある、こっちへ」
そう言って笑みを浮かべたイリーナがビアンコに付いてくるよう促し、一足先にガレージの奥へと向かう。静かにそれを追いかけるビアンコに、リーチとオリファが続いた。ほんの数メートル歩いたところにテーブルがあり、その上に本のようになった分厚い書類の束とペンが置かれている。その横にイリーナが立つ、いつの間にかその表情から笑顔が消え目つきも変わっている。
「まず機密保持の誓約書にサインをしてくれ。察しは付くだろうが、我々の扱う物品や情報は高度な機密扱いの物だらけだ。当然退役後も遵守してもらうぞ」
「分かってます」
「ここだ」
ビアンコが言葉少なく頷くとイリーナが微かに口端を上げ最初のページを捲り、名前の記入欄を右手の人差し指でトントンと叩く。
「ちなみに全部で八十ページほどあるが、目を通すか?」
イリーナからそう付け加えれると、一瞬ペンを取ろうしていたビアンコの手が止まった。ビアンコの顔が微かに上向き、イリーナの顔を見つめる。その顔に期待や高揚感、はたまた諦観の類もない。ただ感情を出さずに命令を遂行するだけの人形のような顔があった。
「必要ありません」
ビアンコが静かに返事をすると、さっと視線を書類に落とす。同時に手に取っていたペンで書類にサインした。そしてペンをもとあった場所に戻しつつ、息を吐く。がすぐに背後で交わされている言葉に内心首をかしげる。
「よろしい、二人とも確認したな?」
「はい」
「もちろん」
「…は?」
振り返ったビアンコが背後にいた三人を見る、「では私から」とリーチが一歩歩み出た。
「これから行動を共にすることになるのだから、正体を明かしておこう」
そう言ってリーチが右手の手袋を外し、服の袖を捲って右腕を見せる。だがそこにあったのは生身の人間の腕ではなく、人間の骨を模したような金属の骨格があったのだ。一本の太い金属フレームに沿う形でいくつものパイプや部品が取り付けられ、露出させた右腕を動かすと部品がまるで生き物のようにうごめく。手首から指先は腕の部品をさらに小さく、細くしたような構成でしっかりとそれぞれの指の形状と機能を再現しているらしかった。
「転移物No37、型式番号TT800-2シリーズ。通称リーチだ」
そう言いながら金属の腕を動かし、拳を握って見せるリーチ。一方それを見せられたビアンコは驚きのあまり体の動きを止めリーチの右腕を凝視してしまっている。文字通り開いた口が塞がらない。
「うそ、だろ」
「残念ながら、現実だ」
狼狽を隠せないビアンコにリーチがダメ押しの如く念を押す、彼は右手で自身の額を抑えてため息をつく。そしてニコニコしているオリファが視界に入った。
「もしかして、イエニス少尉も…?」
「そのまさか、さ」
そう言ってウィンクしてみせると目をつぶって上を向き、両手首を腰の高さ辺りまで上げるように両腕を広げる。すると次の瞬間には頭部の両側に黒い羊の角にそっくりなそれが、背中に一対の大きな蝙蝠の羽、臀部に足元に向かって一本の尻尾が生えてきたのである。服装も茶色の革靴に黒のスラックスとジャケット、その内側には洒落た複雑な文様の入ったベストを着こなす執事のような姿になった彼がいた。そして静かに胸に手を当てて軽く頭を下げ
「転移No9、オリファ・イエニス。文字通りの悪魔で御座います、以後お見知りおきを」
と丁寧な挨拶をしてみせ、自信溢れる笑顔で顔を上げた。ビアンコは真顔で何度かリーチとオリファを交互に見て、固まる。全くの予想の範囲外だった、稀に封鎖地区から意思疎通できる転移者が現れるという話は聞いたことがあったが、こんな場所でしかも二人も同時に出会うなどとは思っていなかった。施設に収監されるわけでもなく、軍の管理下とは言えそれなりの身柄の自由を認められているなど思いもしない。
「冗談きついって…」
ビアンコが顔を引きつらせる。最早今後の心配など吹き飛んでしまい、ただただこの特異な状況に狼狽するしかなかった。