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第六話 キマイラ分隊 4

 銃声が響き夜空に黒煙が上がる封鎖地区のどこかのビルの廃墟の上に、人影が一つ。場所と状況に場違いな整えられた執事服を身に纏い、普段隠している角や羽や尻尾を生やしたオリファが立っている。


「う~ん、やっぱり羽を伸ばせるのは良いねぇ」


 オリファが心地よさそうに目を瞑り、服の裾や袖がはためくのも気にせず両手を大きく広げてビル風を全身で受ける。するとその横を爆音を奏でながら一機の戦闘ヘリが通り抜けていった。


「…風情ないなぁ」


『―おい、様子はどうなってる?』


 戦闘ヘリの爆音に気分を害されオリファが唇の両端を下げると共に、手に持っている無線機からからイリーナの声が響いてきた。オリファが眉も顰める。


「はいはい、少々お待ちを」


 オリファが無線機に口を近づけた後、改めて目標である遥か下にある崩れかかった四角い建物を眺めた。その建物は封鎖地区の他の建物と同じく荒れ放題だったが、周辺に人影が幾つか動いている。オリファは双眼鏡を持っていないが、人影の人相や服に入ってる文字まではっきり見えていた。それぞれ銃を持って建物の周りを退屈そうにうろついている。


「確認しました、数は三。武器持ってますね」


『分かった。さっさと降りてこい』


「はーい」


 偵察を終えたオリファが笑顔を浮かべつつ軽い足取りで屋上の淵に立つとそのまま足を踏み外すように淵の外に身を投げた。ビルを背景に文字通り小さい点となったオリファが頭を地面に向けながら高速で落下していく。大きな風切り音が耳に飛び込んでこようが髪が激しくはためこうが、本人は笑みを浮かべて涼しい顔だ。


「ハッ!」


 このままあわや地面に激突、といったタイミングでオリファの腰についている羽が左右に大きく開く。一気に落下速度が低下し、姿勢を整えて足が地面側を向いた。そして周囲に小さい砂ぼこりを上げ、オリファが静かに地面に着地する。


「―久々の空はどうだったよ?」


「やっぱり最高、普段から飛び回れれば文句ないのに」


「そりゃ良かった」


 少し離れた瓦礫の影から戦闘服の上からヘルメット以外の装備品を身に着けた上で、ヘルメット以外のもう一人分の装備品とサイレンサーを取り付けた自動小銃を二本抱えた怪訝そうな顔をしたビアンコが顔を出す。それに向かって歩くオリファが満面の笑みを向け、そのままオリファが僅かな距離を歩く間に服装が戦闘服に変化し、出していた羽を尻尾を消したが、角はそのままになっている。そして無線機をズボンのベルトに差し込んだ。


「ほら」


「ありがとう」


 歩きながらビアンコがまず自動小銃をオリファに手渡す。足早にそのまま二人が合流地点へ向かうと、崩落した建物の曲がり角の先にイリーナとリーチが待っていた。


「ただいま戻りました」


「偵察ご苦労。…その顔、ずいぶん楽しんだみたいだな?」


「…見てたこっちはハラハラでしたけど」


 髪を短く結い上げ、バッグを肩から斜め掛けして拳銃を片手に戦闘服以外丸腰のイリーナが装備品を着込み始めたオリファの顔を見てはにかみ、それに答えるようにニコニコしたオリファが「ええ、まぁ」とだけ返した。そんなオリファを見たビアンコがくぎを刺す。


そのままビアンコがリーチの方へ視線を向けると、そこには精巧につくられた金属製の人体骨格と化したリーチが立っていた。両手でプラズマミニガンを構え、オリファが偵察した廃墟を見つめている。むき出しになった頭蓋骨と眼球部分で怪しく光っているセンサーが他の追随を許さないほどの威圧感を放っていた。


「時間がない。行くぞ」


 イリーナが三人に声をかけ、ビアンコとオリファがうなずく。傍から見れば奇妙な組み合わせの四人が行動を開始した。四つの人影は闇夜と銃声に紛れて廃墟まで近づくとイリーナが合図して、それぞれがバラバラに分かれる。まず廃墟の隣の壁に背を預けタバコを吸っていた一人目の見張りを、裏側に回ったリーチが壁を突き破ってそのまま首へ腕を回し一気に引き倒した。


「なんだなんだ!?」


 壁が崩れる音に驚きながら二人目の見張りが廃墟から飛び出だす、それと同時に出入り口に潜んでいたビアンコが立ちふさがり無表情のまま腹部を刃物で刺す要領で見張りに向かってビームソードを起動させた。起動音と共に腹部から背中に赤いビーム刃が貫通し、焦げ臭いにおいを振りまきながら見張りが白目をむいて痙攣する。


「ひぃ!?」


 三人目の見張りは女だったらしく、目の前で仲間の体を貫く光の棒を見せつけられ顔面蒼白になりながら廃墟の奥へ後ずさりする。すると何か壁ではない少し柔らかいもの背中に当たった。


「こんばんは~」


 見張りの女が勢いよく振り返ると、そこには自動小銃を背負った状態の笑顔のオリファが立っている。女が出入り口に振り返ると明暗の差でシルエットと赤いビーム刃しか見えないものの仲間の死体を放り捨て、赤いビーム刃をチラつかせるビアンコがゆっくり廃墟内に侵入してきているのが目に入った。


「あ、あ、あ!?」


 恐怖で声が出ずに動けないまま激しく混乱している女が再びオリファの方へ振り返ると、オリファが女の顔を両手で優しく包む。


「頂きま~す」


 笑顔ながら薄っすら不気味に目を開くオリファ、数秒後に女の全身が瘦せこけたと思えばそのまま一気に干からびて文字通り骨と皮だけになってしまった。そしてオリファがミイラになってしまった女をその場にポイと捨てる。


「不味い…」


 久々の『食事』にも関わらず、かなり不満げに眉を顰めるオリファ。当然ビアンコも一部始終を見ていたが、不思議と恐怖は感じない。足元に転がったミイラを見下ろしながら、むしろ悪党にふさわしい悲惨な最期を迎えて当然という気持ちの方が遥かに強かった。


「クリア」


 ビアンコは一人黙々と廃墟の安全確認を行い、反対方向からやってきたリーチを視認する。リーチに対してうなずくと、合図してイリーナを招き入れた。


「…うわ、色々な意味でひどいなこれは」


 当時使われていた家財道具とがれきが散乱している廃墟に転がる色とりどりの死体を見て、イリーナが素直な感想を漏らし死体を踏まないように抜き足差し足で奥へ進んだ。


「あったぞ」


 一足先に廃墟の奥を探索していたリーチが声を上げ、それを聞きつけた三人が集まる。そこには部屋の真ん中にきれいに作られた地下への階段をリーチがプラズマミニガンの銃身で指し示している姿があった。


「行け」


 イリーナの合図で四人が階段を下りていく。その先は地下ケーブルを通す暗渠を転用した通路になっていて、天井のところどころ明かりがついておりそれが暫く続いている。壁や天井はそれなり痛んでいるが足元はかなり片付けられていて、天井の高さもそれなりにあり歩いて進むには困らなそうだった。


 時折地上の爆発で発生した振動で砂埃が落ちてくる中、粛々と通路を進む四人。すると先頭を進んでいたリーチが立ち止まって全員に止まるよう合図した。すぐに全員が通路の前後を警戒する。


「どうした?」


 脇についたイリーナの問いかけにリーチが静かに進行方向の通路を指さすと、まだ小さいがこの先で複数人が会話している声が聞こえてくる。耳を澄ませてみれば、笑い声やヤジなども混じっていた。


「リーチ、イエニス。先に行って片付けろ。私とフランシスで準備する」


 数秒間考えたイリーナが指示を出すと、オリファとリーチが頷いて笑い声のする方へ向かっていった。残されたイリーナとビアンコは身を寄せ合うようにその場にしゃがみ込み、イリーナが肩にかけていたバックを床に降ろすと中身を取り出し始めた。


 一方のビアンコが自動小銃を背負うと、腰のポーチから鎮痛剤入りの筒型の注射器を取り出し慣れた手つきで蓋を外して自らの首に打つ。差した箇所にわずかな痛みが広がるがそれを無視して何回か深呼吸した。その間に通路の先から断続的に銃声と悲鳴がこだましてくる。


「早くしろ」


 背中を向けているイリーナの急かす言葉にビアンコが複雑な顔をして注射器をバックに放り込むと、次に古ぼけたズタ袋と人力でも引きちぎれるように細工された縄を手に取った。


「フランシス?」


 ズタ袋と縄をまじまじと見つめていたビアンコが困惑した顔をイリーナに向けるが、渋々彼女の両手を後ろに手に回し手首を縛っていく。


「―言える資格ないですけど、ここまでやる必要が?」


 ビアンコが作業しながら心境を吐露する。オリファの提案した「裏切ったと装いイリーナとアイシャを交換するふりをしてアジトの中に入る」という作戦には驚いたが、それ以上にそれをイリーナが二つ返事で承諾したという事にビアンコは内心戸惑いを感じていた。


 万が一アイシャを救出できてもイリーナの身に何かあれば、元の木阿弥どころの騒ぎではない。ビアンコでもあまりにリスキーだという察しがつくほどだった。


「なんで私がこんなリスキーな役目をしてるか疑問なんだろう?」


「そりゃもちろん、―アイシャを妹さんと重ねてるんでしょ?」


 首を反らしてわずかに振り返るり優しい顔を見せるイリーナに、ビアンコが作業しながら一瞬だけ目を合わせる。


「バレてたか。バタリングは本当は私へ復讐したいんだろうが、そんなことのためにあの子が犠牲になるべきじゃない。そんなことになるくらいなら私の命なんか…」


 イリーナが正面に向き直って少し悲しげな表情を浮かべるのを、ビアンコが形容できない妙な表情で見据えたがすぐに何事もなかったように目を閉じた。


「…最後の一言は聞かなかった事にします」


「フフッ」


 ビアンコの凛とした声にイリーナが思わず小さく笑みをこぼすと、少し振り返った。イリーナのその顔はどこか満たされているような笑みだ。


「信じてるぞ?」


「守りますよ、もちろん。アイシャもあなたも」


 イリーナの笑みにビアンコが一瞬目を見開くも、すぐにまじめな顔に切り替わって凛とした声で約束し、仕上げにイリーナの頭にズタ袋を被せる。そしてビアンコが支えながらイリーナを立ち上がらせていると、通路の先から『掃除』を済ませたオリファとリーチが戻ってくるのが見えた。


「準備OK?」


「ああ」


「じゃ、後は任せて」


 戻ってきたオリファにビアンコが冷静な視線を向け、ズタ袋を被せられたイリーナを預ける。オリファがイリーナの脇にくっついて腕をしっかり絡めると、ホルスターから拳銃を取り出す。


「大丈夫ですから」


 オリファが拳銃の銃口を突きつけながら小さく耳打ちし、イリーナが小さくうなずくのが見える。そのままアジトのある方向の通路の曲がり角を二人で進んでいくのを見ながら、少し後ろをリーチとビアンコがついていく。最初こそ四人の足音だけが響いていたが、すぐに前方から明かりと喧騒が壁に反射しながら響いてきた。


 アジトに入る直前、イリーナとオリファが足を止め珍しく真剣な表情のオリファが後ろの二人へ振り返り小さくうなずいた。呼応するように後ろの二人が頷くと、笑みを見せて正面に向き直りアジトへ入っていく。それを見たビアンコとリーチが一旦物陰に身を隠す。


「入りました」


 薄暗い通路からいきなりまぶしいくらいの照明の光に瞬き一つせず、オリファがイリーナに少し大きな声で耳打ちする。イリーナは俯いたままの姿勢で動かない。アジトでは騒がしく積み込み作業が行われており、構成員はそれに忙殺されているのか最初二人は気づかれることはなかった。


「物だらけだ、これじゃ手がかりなしに小鳥を探すのは無理だね…」


 入口から少し入った場所で周囲のコンテナの山を見渡しながらぼやく。もちろん小鳥というのはアイシャの事だ。


「おい、お前ら! そこを動くな!!」


 ようやくお決まりのセリフと共に銃を持った構成員たちがぞろぞろとオリファとイリーナの元に駆け寄ってきて、銃を構えながら二人をぐるりと取り囲む。オリファが余所行きの笑顔になるとすんなりと両手を上げた。


「撃たないで、博士と取引しにきた。九番が来たって言えばわかるからさ」


 オリファの言葉に構成員達がざわめきはじめ、顔を見合わせたりしているとその中から一人の男が一歩前に出てくる。モヒカン男だった。


「話は聞いてる。だがはいそうですかってすんなり入れるわけにはいかねぇな、分かるだろ?」


 腕組しているモヒカン男が右手で合図すると、他の構成員とは違う雰囲気をまとった二人の男がオリファの死角から近づいて背負っていた自動小銃と右手の拳銃を没収した。続いて三人目が身体検査をしようと背後から近づいたところで動きが止まる。


「すごいね、気が付いた?」


 オリファが微かに顔を三人目の構成員に向けながらしたり顔になる。よく見ればオリファの装備品のポーチの一つからワイヤーが伸びていて、それがイリーナのズボンのベルトに繋がっていた。


「爆弾です!」


 三人目の構成員の大声に周囲を囲んでいるモヒカン男含め構成員が後ずさり、大声を聞きつけ作業していた無関係の構成員達が持ち場を放り出して逃げていく。


「その通り、僕たちを引き離したら三秒でドカン。生き埋めになりたくなかったら一緒に博士のところへ連れて行くんだね」


 オリファがまるで演説でもするかのように周囲を見渡しながら雄弁に語ってみせる。


「チッ。―わかった、案内してやるよ」


「ご協力どうも」


 観念し舌打ちして不満げな表情を隠さないモヒカン男にオリファがしたり顔を向けた。引き続き構成員に取り囲まれたまま、オリファとイリーナがバタリングの元へ向かう。それを好機とばかりに入口からビアンコとリーチが足早にアジトへ足を踏み入れる。


 すかさず二人は人の背の高さ程あるコンテナの影へ身をひそめると、ビアンコが何か思いついたように天井を指さす。それを見たリーチが首を傾けるも、すぐに意図を理解してプラズマミニガンを床に置き片膝をついて手のひらを上にした両手を腰の辺りで構える。それを見た自動小銃を背負ったビアンコがリーチの両手に片足を載せると、タイミングを合わせたリーチが両手でビアンコを持ち上げてコンテナの上に上がらせた。コンテナに上がりきったビアンコが下にいるリーチへ向き直って右手の親指を上に立てるとリーチが頷く。


 改めてビアンコが自動小銃を構え直しながら背丈ギリギリの高さの天井に気を付けつつコンテナの上に立つと、アジトの全貌が見えてきた。喧騒の中無秩序に集められた荷物と通路が碁盤の目のように並んでいるのがよく分かり、背丈も服装もバラバラで統一感のない構成員達が荷物を運んでいる。その奥ではモヒカン頭に連れられて一段高くなっている小部屋に入っていくイリーナとオリファの後ろ姿が小さく見えたのをビアンコは見逃さなかった。


「待ってろ…」


 ビアンコは手筈通り良い射撃ポジションを確保するため、同じ高さのコンテナ伝いにアジトの中心へと移動を始める。一方のリーチは人目を避けながらコンテナの間を移動していたが、不意に足元に長方形のくすんだ緑色のコンテナが転がっている事に気づいた。


「ほう」


 何か思いついたのか緑色のコンテナを手に取るとその中にプラズマミニガンを納め、それを両手で持ってアジトの中を小部屋に向かって堂々と闊歩し始めた。当然何人もの構成員達とすれ違うが、作業用ロボットと勘違いされてか呼び止められる様子はない。




「ほら、言いつけ通り連れて来ましたよ、博士」


 小部屋に通されたオリファとイリーナを脇にどかし、モヒカン頭が回転する椅子の背もたれの後ろを向けて座っているバタリングに声をかけた。相当なタバコ臭と共にバタリングが向き合っている机の脇に吸い殻が山盛りになった灰皿が見え、本人は椅子の肘当てに杖をついた右手でタバコの煙をくゆらせながら三人に後頭部を向けて黙っていた。


 更にその隣では繋がれたまま口元をテープで塞がれたアイシャが涙目になって助けを求めるようにオリファを見つめている。それに気づいたオリファが笑顔でウィンクし、自らの唇に指を当てて静かにするように促した。アイシャが必死に刻々とうなずく。それと同じタイミングでバタリングが息と一緒に煙を長めに吐き出すと、左手をひらひらさせた。


 それを見たモヒカン男がむっとした表情で小部屋を出ていこうとする。オリファとすれ違う際、足を止めて彼をまじまじと見つめ威圧感のある声で「妙な真似するなよ」と警告したが、オリファは笑みを浮かべたまま目も合わせない。結局モヒカン男は「ケッ」と吐き捨てて小部屋を出て行った。ドアが勢いよく閉められた後、すかさずバタリングが灰皿の山に一個吸い殻を追加して立ち上がる。


「待ってたわよ~、まさか連れてきてくれるなんて~」


「こちらこそ会ってもらえて感謝してます」


 立ち上がって振り返ったバタリングが仰々しい笑顔で両手を大きく広げると、オリファが自然な動きで小さく会釈して見せた。


「で、これ本当に本人? 確認したいのだけど」


 バタリングがイリーナに歩み寄り彼女が被らされている頭のズタ袋を首を傾け興味深々に眺めると、据わった目でオリファの方を見据える。


「ええ、もちろん。―さ、どうぞ」


 オリファが慣れた手つきでイリーナのベルトに繋がっていたワイヤーを外し、すぐに肩を押さえつけて彼女をその場に跪かせた。力任せに扱われたイリーナがうめき声を漏らす。それを見ていたバタリングが再びイリーナへ視線を向けると、彼女お目の前にしゃがみこんでこれまた乱暴にズタ袋をはぎ取った。そして急に視界が明るくなり目を細めているイリーナの顎を掴んで向かい合わせる。


「まさかまたこんなに早く会えるなんて思いませんでしたよ、手塩にかけた部下に裏切られた気分がいかがかしら」


「ふん…」


 ズタ袋の汚れで髪も顔も汚れてしまっているイリーナを見てバタリングはしたり顔を隠さない。そんなバタリングをいつもの凛とした顔で睨み返すイリーナ。


「この通りシュリャホバヤ本人を連れてきましたので、彼女を解放してくれませんか? なんだったら逃げる時の手助けもしますよ?」


 オリファが自然な営業スマイルで既に伝えていたイリーナとアイシャの交換ばかりか更に有益な提案をしてみせると、バタリングが据わった目のままオリファの方を見上げた。イリーナから手を放して立ち上がり、慣れた手つきで取り出した新しいタバコに安物のライターで火をつけ一服する。その様子をオリファはタバコの臭いも気に留めていないかのように変わらぬ表情のままバタリングから次の言葉が出てくるのを待った。


「…まぁ構わないけど、いくつか聞かせて。どうしてこんなことを?」


「自由になるためです、昔取引しましたけどやっぱり人間の下で働くのは性に合わない。頭の悪い連中に指図されるのはうんざりだ、こいつもそう」


 オリファが冷たい表情になりイリーナの髪を引っ張って上を向かせると、イリーナが痛みで小さなうめき声を上げた。


「なら私は? 私も人間よ?」


「生物学的には、ね。ただあなたは珍しく頭が良い、雰囲気で分かります。それなら問題ないし取引なら立場は対等だ」


 訝し気にタバコの煙を燻らせるバタリングにオリファが笑顔を向けた。


「へぇ、ならあの子を欲しがる理由は?」


「純粋に、『食料』になるんですよ。年齢が幼いと、長く使えますから」


 ここ一番の満面の笑みを向けるオリファを、バタリングが腕組して見据える。


「なるほど」


 オリファの説明にバタリングが真剣な顔になって右手を顎に当てた、イリーナもアイシャも黙ってその様子を見ている。


「―いいわ、交渉成立よ。連れて行きなさい」


 バタリングが息を吐き、アイシャの元へ向かうと鍵を取り出して手錠を外すと、少しぼんやりしているアイシャを無理やり立たせてオリファに押し付ける。


「おっと、…ありがとうございます」


 オリファが押し付けられた際に少しよろめくも、しっかりアイシャを抱き上げて営業スマイルで会釈する。アイシャの頭を優しく撫でながらオリファがゆっくり口元のテープを剥がすと、アイシャの口元にしっかりと跡が残っていた。「せんせぇ」と震える声のアイシャに「もう大丈夫」と笑顔でウィンクするオリファ。


「あ、爆弾は生きてますので妙な真似しないでくださいね」


「分かってるわ、さっさと失せて」


「では…」


 左手で爆弾に繋がっているワイヤーをひらひらさせるオリファに、怪訝そうな表情のバタリング。そうやってオリファ達が部屋から出ていくのを見届けると、すっかり燃え尽きたタバコの最後の一吸いを味わった。バタリングはイリーナと二人っきりになると、吸い殻を床に捨て靴で踏みつける。そしてまた悠々と取り出したタバコを加えて火をつける。


 一方のイリーナは最初の凛とした表情が消え失せており、虚ろな表情でバタリングを見ていた。跪いた姿勢を維持するのもやっとなのか、体がふらふらと揺れている。


「さぁて、これで二人っきりねぇ」


 咥えたタバコの煙を燻らせるバタリングが再びしゃがみ込んでイリーナの顎を掴む。目が据わっている上にいびつに歪んだ笑顔はイリーナに恐怖を覚えさせるのには十分だ。


「お前…、何を…」


 そこまで言いかけたイリーナの姿勢が崩れてバタリングの手から顎が離れて横向きに床に倒れ込む。その様子をバタリングは顎があった位置から手を動かさず、イリーナが倒れるのを無表情で顔を動かしながら眺める。


「―考えもなしにあなたたちを招き入れると思った?」


 指一つ動かせない自らの体に苦虫をかみつぶしたようなイリーナの顔へバタリングがいびつな笑顔を向けた。




 構成員の視線を集めながら、アイシャを抱きかかえたオリファがコンテナが積まれている通路を闊歩する。アイシャはぼんやりとしたままオリファの体にしがみついていた。


「よし…、二人が出てきた」


 自動小銃を構えコンテナの上に伏せて様子を見ていたビアンコが二人を見つけて小さくガッツポーズして呟く。途中、コンテナを運ぶふりをしているリーチとオリファの目が合い、リーチが小さくうなずくとオリファもうなずき返した。リーチがその場に立ち止まってオリファ達を視界にとらえ続ける。


「…お姉ちゃんは?」


 心配そうに周囲を見渡していたアイシャがオリファの耳元でつぶやくと、オリファがアイシャの方へ首を傾ける。


「大丈夫、すぐに出てくるから」


「ダメ、あの部屋。薬がまかれてる、今頃きっと…」


 アイシャの言葉に流石のオリファの笑顔が崩れる。そして「分かった」とだけ答えると、数回せき込む動きを見せた。事前に決めていた合図の内「緊急事態」を示すものだ。


「くそ!」


「突入する」


 オリファの動きを見てビアンコが自動小銃の安全装置を外し、リーチが持っていた長方形のコンテナからプラズマミニガンを引っ張り出す。それを見ていた武装していた構成員の人が驚いた表情になったのもつかの間、プラズマミニガンから電子音が響き、紫色の光が構成員の体に風穴を開ける。それを皮切りにリーチが歩きながら正確な射撃で視界に映る構成員達を撃ち抜き始めた。


 構成員の悲鳴と怒号が響き渡り、アジトの中が混乱に陥る。すかさず別の武装した構成員がリーチに向かって銃弾を叩きこむが、彼の金属ボディはそれを一切受け付けず銃声と弾を弾き続ける金属音だけが響く。リーチが茫然としている構成員に狙いを定めると、無駄のない動きで胴体を撃った。


「捕まって!!」


 リーチの発砲を合図にオリファが隠していた小型拳銃を右手に持つ。アイシャが何も言わずきゅっと目を瞑ってより強くオリファの体にしがみつくと、それを感覚で感じ取ったオリファが出口への最短ルート目指して突っ走りはじめる。荷物の間から飛び出してくる構成員を撃って排除していくが、死角から拳銃を持った構成員が飛び出してきた。それを冷静に高台から撃つビアンコ。構成員が血を吹き出しながら床に転がるのに目もくれずにその横を突っ走るオリファ。


 そのあともビアンコがオリファの進行方向にやってくる構成員を一人ずつ撃っていくが、五、六人倒したところでビアンコが伏せているコンテナにも銃弾が当たった金属音が響き始める。ビアンコが冷静に別方向を見ると、数名の構成員が荷物の影から銃を撃って来ているのが見えた。しかし身の隠し方も銃の撃ち方も素人に毛が生えた程度なのがよく分かる。


「邪魔すんな!」


 ビアンコは銃弾の風切り音やコンテナにぶつかる金属音を気に留めず、遮蔽物からはみ出している構成員の頭を撃った。


「―わわわ!?」


 一方のオリファが出口まであと少しというところで、銃弾の嵐に襲われて一旦来た道を引き返す。例のモヒカン頭に率いられた構成員の一団に目を付けられたのだ。


「隠れてて!」


「うん!」


 止む負えずアイシャを荷物の物陰に隠すためオリファが地面に膝をつくと、指示を出す必要もないと言わんばかりにアイシャが狭い物陰に入っていく。


「あの野郎は逃がすな! 最優先で止めろ!!」


「煩いよ! ―ッ!?」


 集団の真ん中でモヒカン頭が叫んでいるの見て、オリファがコンテナの上へ身を乗り出して小型拳銃を構え反撃を試みるも不意に一発の銃弾が左腕を掠めた。オリファが激痛に表情を歪ませ左腕を押さえながらコンテナの背後に身を隠す。


「撃たれたッ!」


 オリファが怒鳴り声が混じった悲鳴を上げる、一瞬だがその一部始終を見ていたビアンコが反応した。


「そこから動くな!!」


 ビアンコが隠れている最後の一人を撃つと、自動小銃片手にコンテナから飛び降る。リーチもビアンコが駆け出してコンテナの間に消えていくのを見て、目的地を予想して歩みを進め始めた。そんな中ビアンコが最初に見えた荷物の角に全力で走って不意に突っ込んでいくが、曲がりきる前に銃を持った構成員と出くわす。


 ビアンコが血相を変え急停止しようとした直後、複数の銃声やマズルフラッシュと共に防弾ベストに肋骨が折れるほどの重い衝撃が圧し掛かる。倒れ込んでもおかしくないほどの衝撃に押し出されたビアンコの体が通路の反対側に積まれていたコンテナの一つに突っ込んだ。


「痛ってぇな!!


 派手な音を立てぶつかった衝撃で位置かずれたコンテナに寄り掛かったビアンコがわめく。鎮痛剤のおかげで痛みは感じていなかったが、思わずそんな口からそんなセリフが飛び出していた。茫然としている構成員へすかさず自動小銃の引き金を引くが、銃が作動しない。すかさずビアンコが素早く拳銃をホルスターから抜き、我に返って慌てふためく構成員へに弾を撃ち込んだ。


「ちっ…」


 構成員が地面に倒れたのを見てビアンコが自動小銃を確認すると、銃の真ん中に被弾した穴が開いている事に気づいた。これでこの銃はもう使えないとビアンコが舌打ちし、自動小銃を投げ捨てる。しかしこの程度で歩みを止めるわけにはいかない。ビアンコが右手を腰に回し、ビームソードを手に取った。


「行くぞ…」


 目の据わった無表情に近い顔のビアンコがビームソードを構えて狭いコンテナの間を進んでいくと、まず出合い頭に構成員の一人をビームソードで上から下に切り捨てた。続いてすぐ近くで振り返った構成員の自動小銃を真っ二つに溶断し、左手でその構成員の肩を掴みビームソードで突き刺す。悲鳴に気づいた他の構成員達が振り返り、銃を発砲するが弾は全てビアンコが捕まえている構成員の背中に吸い込まれていく。


 次にビアンコが捕まえた構成員を盾代わりに他の構成員の集団へ突っ込み、盾にした構成員を集団にぶつけた。押し付けられた構成員が二人ほど転倒すると、ビアンコがすかさずその二人を赤い光刃で撫でる。そこへ倒されなかった構成員が自動小銃で近距離のビアンコを銃撃するが、ビアンコは被弾してものけ反るだけで効いている様子がない。弾の一発がビアンコの頬を掠め切り傷を作るが、裂け目の皮膚がお互いくっつくようにすぐに塞がった。


「なんだこいつ!?」


 被弾して戦闘服のあちこちが赤黒くなっているにも関わらずそれをものともしないビアンコを見て構成員の一人が悲鳴を上げるが、ビアンコはそれを無視して構成員達に突っ込んでいく。構成員達がパニックを起こして銃を乱射する中、血しぶきと独特の風切り音、赤い光が舞う度に彼らが地面に倒れていった。リーチの特訓の甲斐あってか初めて扱った時よりは、綺麗に敵を斬っている。


「オリファ、どこにいる!?」


 少し銃声が収まってきたアジトの真ん中を大声で呼びかけながらビアンコが進む。すると少し離れたコンテナの裏側から赤い血がべっとりついた手が伸びた。


「ここだよ!」


 オリファの手を見たビアンコがそこ目指して駆け出し、たどり着いたコンテナの裏へビームソードの切っ先を向けつつ覗き込む。そこにはコンテナに背中を預け左腕に止血帯を巻いているオリファの姿があった。右手と左腕が血にまみれていて、少し辛そうに息をしているものの顔色は悪くない。そうしているとコンテナの脇にリーチがやってきて、プラズマミニガンを撃ちはじめる。そのボディは無数に被弾しているはずだが、凹み一つなく相変わらず銀色の光を放っていた。


「無事か!?」


「どうだろう、あの博士と話せるくらいは元気あるかな」


「は? なんだそりゃ」


 ビームソードの刃を収めしゃがみ込んだビアンコが声をかけると、オリファが彼なりのジョークを飛ばす。それを聞いたビアンコの表情が少し緩んだ。


「アイシャは?」


「ここ…」


 続いてアイシャがもぞもぞと物陰から出てくる。それを見たビアンコがすかさずアイシャの隣まで移動し、その顔をしっかりと見据える。


「良かった…」


「うん」


 ビアンコとアイシャがお互い見つめあうと、それを見せられていたオリファが眉を顰める。


「まだ終わってないよー。―今のうちに少佐を」


「早くあの小部屋に…」


 リーチがそう言い終わる前に、一旦鳴りやみかけた銃声が再び勢いを取り戻した。ビアンコがコンテナの隙間をのぞき込むと、複数の構成員の新手がトロッコ列車に乗って地下鉄トンネルからやってきているのが目に飛び込んできた。


 リーチが集中砲火に晒され、無数の金属音と火花を散らしつつわずかにのけ反りながら押し返されていく。リーチは姿勢を崩しながらプラズマミニガンで反撃しているが、仲間が倒れても構成員達は意に返さず射撃を続けている。


「増援が来た! 早くしないと…」


「待った待った!!」


 焦ったビアンコがコンテナから飛び出そうとするのと、オリファが右手でビアンコの服を掴んで制止する。次の瞬間に三人が隠れているコンテナへ銃撃が始まり、やかましいくらい弾を弾く金属音をコンテナが奏でる中、やむなく三人が身を寄せ合う。


「身動き取れねぇぞ!」


 焦った顔で毒づくビアンコを傍目にオリファが黙って俯き、隣で縮こまっているアイシャを抱き寄せる。そうしていると、突然銃声と金属音が止んだ。それに呼応してリーチも射撃をやめアジト内が静寂に包まれる。


「…リーチ。状況は?」


「ボディも機能も問題ない、状況は最悪だが」


 オリファの問いかけにリーチが首を左右に振って見せる。既に片膝をつくぐらいまで追い込まれているが、プラズマミニガンの銃口はしっかりと正面で自身を狙っている構成員達へ向けている。


「相変わらずタフだな」


「同感、でも困ったね」


 ビアンコが自嘲気味な笑顔で同じ表情になっているオリファと言葉を交わしつつ二人の傍を離れてコンテナの別の隙間から周囲の様子を伺うと、ちょうどバタリングがいた小部屋が見えた。扉の前に二つの人影が立っていて、それを見たビアンコの顔から血の気が引いていく。


「冗談だろ…」


 ビアンコの視線の先ではぐったりしているイリーナを無理やり立たせ、不気味にニヤニヤしながらその横に体を密着させて頬にリボルバー拳銃を突きつけているバタリングの姿があった。そこからビアンコ達のいるコンテナのすぐ手前まで、銃口を向けている構成員達が無数にあふれている。


「どうしたのさ?」


「少佐が人質になってる…」


「クソッ…」


 ビアンコから伝えられた状況に流石のオリファも苦虫をかみつぶした表情になり、その隣でアイシャはオリファにくっついて相変わらず不安げな顔で目に涙を浮かべている。


「確実に包囲されたな」


 何事もなかったように立ち上がったリーチがビアンコとは反対方向に目をやれば、そちらも遮蔽物の影にいくつもの構成員がうごめいているのが見て取れた。囲まれた四人が自らの状況を把握したのを見計らったかのように、バタリングが口を開く。


「武器を捨ててでてきなさい! じゃないとあんたたちの上司の頭を吹き飛ばすわよ!!」


「黙れ、テロリストとは交渉しないぞ!」


 リーチの応酬にバタリングがイリーナの頬へ更にリボルバー拳銃の銃口をめり込まさせ、その痛みでイリーナがうめき声を上げた。


「交渉? 勘違いしないで、これは命令よ! さっさと言う通りしないと本当に撃つわ!!」


「―私のことはいい! 早く脱出し―んぐ!?」


「黙れクソ女!」


 苦悶の表情で何とか声を上げたイリーナに不愉快そうに目じりを吊り上げた顔を向けたバタリングがすかさず乱暴に咥内に得物の銃口を突っ込んで黙らせる。無理やり口に金属の棒を突っ込まれたイリーナが苦しそうにえづくと、すぐバタリングがリボルバー拳銃を口から引っこ抜き、イリーナが不快そうに赤く染まった唾を吐き出した。


「マジでやるつもりかよ…」


 成すすべなくバタリングの愚行を見ていることしかできないビアンコに、後悔の念がよぎる。あの時自分が主張しなければ、我慢すれば皆を危険にさらさずに済んだのではないか、と。すると背後から声が上がる。


「分かった! だけどちょっと待ってくれない!?」


 オリファの発言に周囲の三人の視線がくぎ付けになり、アイシャに至ってはパッと離れてしまった。一方でバタリングは吊り上がった眉を少し下げ、四人の方を向いた。


「さっさと済ませなさい!」


「さて…」


 もたれていたコンテナから上半身を起こし装備品を脱ぎ始めたオリファに、ビアンコが近寄る。


「どういうつもりだ! 正気か!?」


 ビアンコがすごい剣幕でオリファの胸倉を掴むが、対するオリファは一旦手を止め掴まれた瞬間に一瞬痛みに表情を歪ませるもすぐに無表情に近い顔でビアンコを見た。


「―ッ。もちろん、僕は正気だよ」


「ならなんで!」


 興奮し過ぎて涙目になっているビアンコへ諭すようにオリファが語り始める。


「まぁ落ち着いて。ひとつ策がある、本当に博打だけどね。そのためにまずアイシャは逃がさなきゃダメなんだけど…」


 それを聞いたアイシャがふるふると首を振った。


「…やだ、一緒に居る。みんなと一緒に居たい!」


 そのままビアンコにしっかり抱きつくアイシャ、それを感覚で感じながらもビアンコは何か言いたげなままオリファを睨みつけ続ける。一方のオリファがアイシャの方へ視線を落とした。


「そうだよね…、でもみんなこのままじゃ共倒れだ。だから…」


「嫌だ、嫌だよ…。また一人になるなんて嫌…」


 人目を憚らず涙を流しているアイシャがビアンコの服をぎゅっと掴み、その様子にオリファが声をかけるのをためらう。するといつの間にかオリファの胸倉を掴むのをやめていたビアンコの手がアイシャの肩に回っていた。当人のその表情も幾分和らいでいるが、その目は悲しみを湛えている。


 ビアンコがアイシャの右の二の腕を優しくさすった後、丁寧にお互いの右手を重ねて抵抗もないまま優しく体から引き離した。アイシャが引き離された右手で止まらない涙を拭き始め、ビアンコが右手と同じように左手も体から引き離す。そしてアイシャと正対するようにしゃがみ込むと両手で涙をふく彼女の左右の二の腕を両手で包む。


「なあアイシャ、俺たちだって離れたくない。だからここまで来た、当然みんな基地に帰る。アイシャは一足先に帰るだけでいい」


「でも…」


「良いの、俺たちは問題を片づけたらすぐに帰るから」


 少し落ち着いたような顔を見せるアイシャの目の前に少しぎこちない優し気な顔のビアンコが彼女から両手を放し、小指だけ伸ばした状態の右手を差し出す。


「約束」


「…約束」


 アイシャが一瞬ためらうものの、差し出された小指に自らの小指を絡め、数回上下に揺すった。


「さあ行って!」


「うん」


 三人に見守られるなか、手を放したアイシャが目を閉じると一瞬でその場から消えた。それを見届けるとビアンコとオリファの顔が緊張感をまとったそれに切り替わる。そしてオリファが自らの装備品を脱ぎ終わり、地面に置いた。


「んで、どうするんだよ」


 ビアンコがオリファの方を見ると、オリファが満面の笑みを返す。


「信じて」


 それだけ言うとオリファがゆっくり立ち上がる、それに呼応して周囲を囲んでいる銃口がオリファに向けられるのが直接見ていないビアンコにも分かった。


「ずいぶんかかったな。両手を見える位置に出せ!」


 棒立ちしているオリファを見て今度はモヒカン男が声を上げる。しかしオリファは笑みを浮かべたまま目を閉じ、両腕を軽く開いた。するとすぐにオリファの周りだけ足元から風が舞い上がっているかのように服や袖の裾、紫色の髪がなびき始める。


「何してる、従わないと…」


 モヒカン男が苛立ちを露わにするように語気を強めるが、異変に気付き目を見開いた。そして持っていた短機関銃を構えると、それにバタリングが反応した。


「ちょっと! 何してるの!?」


「うるせぇ、あいつはやばい! ここで殺す!!」


 それだけ叫んだモヒカン男がバタリングの声を銃声でかき消すように短機関銃を連射するが、弾はオリファの周囲を掠めるだけで一発も当たらない。それを見たモヒカン男が弾倉の半分ほど弾を消費したところで射撃をやめた。


「ちっ…」


 モヒカン男が額に冷や汗をかきながら後ずさりすると同時にオリファが目を開ける、その眼光は鋭いと形容するにふさわしいものだった。


「発動」


 オリファが薄い唇を開いてそれだけつぶやくと、足元から四方へ向かって黒い靄が飛び出す。取り巻きの構成員たちから動揺の声が上がる中、すかさずモヒカン男が血相を変えて一人背中を向けバタリングの方へ走り出した。そんな中早速一つの靄がビアンコ達から一番近い構成員達に向かって伸びていく。


「うわあああ!」


 向かってくる靄に恐怖を覚え、構成員達が銃を乱射するが、弾は風切り音を立てて靄を突き抜けるだけだった。次に三人ほどの構成員の足元を靄が覆うともの数秒も立たず、短い悲鳴と共にその三人の全身の肌からハリと艶が失われ着ていた服と骨と皮だけになった三つのミイラと化す。それを目撃した他の構成員達は一目散に逃げだしはじめ、こうなっては最早統率など崩壊したに等しい。


 そこら中で悲鳴と銃声が響き渡った。靄に巻かれてその場に倒れて悶えながら干からびるもの、コンテナの上によじ登るもその上でのたうち回る者、背を向けて走るも靄に追いつかれて倒れ込む者、逃げる仲間に押し倒されて全身が靄に包まれる者、パニックになった群衆が見せる行動のオンパレードだ。一方でリーチも足元を靄でまかれているが、何事もなく困惑しているのが分かる手振りで足元や周囲を見渡している。


 ビアンコも目の前の地獄のような光景を引きつった顔で見ていたが、突然足に力が入らなくなった。前のめりに倒れそうになるのを目の前のコンテナにしがみ付いて防ぐが、体の感覚がなくなっていくのが足元から徐々に上に上がってくるのを感じ取る。


「…そういう事かよ」


 必死にコンテナにしがみ付いているビアンコが何とか振り返って足元を見ると、靄が足首の辺りまで覆っているのが目に入った。この魔法は術者以外の生物には無差別に効果があるらしい。ここでビアンコがオリファのあの言葉を意味をようやく理解した。


 一方のオリファは服や髪をたなびかせ腕を開いたポーズのまま笑顔を浮かべているが、その目は瞳孔が開いている。その上薄く開いた口の両端も上に上がっていて、不気味さと喜びが混ざった雰囲気を醸し出していた。


「な、なんなのよアレ!?」


 オリファから一番遠い場所にいるバタリングからでも黒い靄ははっきり見え、理解が追いつかず引きつった顔で目の前の惨状から目を離せずにいる。その横のイリーナも目の前の惨状にバタリングよりは多少マシといった顔で大人しくしているが、動くようになってきた両腕へしっかり力を込めて縄を引きちぎろうとしていた。


「ドクター!! ドクター!!」


 立ち尽くしているバタリングの視界にモヒカン男が飛び込んでくると、その声でハッとバタリングが我に返った。


「さっさと逃げろ!! 死ぬぞ!!」


「ひっ!」


 トンネルの中に逃げ込んだものの靄に巻かれた構成員達の悲鳴まで反響して聞こえる中、バタリングがとっさに小部屋のドアを開けると、まずイリーナを放り込んだ。


「うっ!?」


 乱暴に室内に投げ込まれたイリーナが受け身も取れないまま床に叩きつけられる。痛みで苦悶の表情を浮かべたが、衝撃で手首の縄が切れたのを感じ取った。次にバタリングが恐怖に狩られた顔で部屋に入ると、勢いよくドアを閉めて鍵をかけそのままドアを背にして張り付いた。


「おい、開けろ! 開けろ!!」


 寸前のところ締め出されてしまったモヒカン男がドアノブを何度も回すが、鍵がかかっていることに気づいて激しくドアを叩く。


「開けてくれ! 頼む!!」


 続いてモヒカン男が小部屋の窓の前に移動して薄汚れた窓ガラスを叩くが、強化ガラスなのか鈍い音を立てるだけでびくともしなかった。バタリングが恐る恐る窓をのぞき込むのを、イリーナが見守る。


「開けろ、開けろ…。あああぁぁ!?」


 ひたすら窓ガラスを叩くモヒカン頭の背後に黒い靄が現れる、その直後他の構成員と同じようにモヒカン頭の全身が干からび始め、最後は顎が外れて目を見開いたまま上半身がゆっくりと窓枠の下に消えていった。バタリングはもちろん、流石のイリーナも最後まで見ていられず途中から目を背ける程の惨状だ。


「ありえない、ありえない…」


 ドアに背中を預け座り込んで蹲り、絶望を体現したような顔で両手で頭を抱えているバタリングに影が重なる。それに気づいたバタリングが顔を上げると、拘束を解いたイリーナが仁王立ちで真顔かつ冷たい視線でバタリングを見下ろしていた。


「ふ、ふふふ…。―ああああああ!!!!」


 イリーナの姿を見たバタリングが不気味な笑顔で何を思ったのかふらふらと立ち上がると同時に半狂乱になりそのままがイリーナに殴りかかった。




 黒い靄がアジトの隅々まで行き渡った頃、ビアンコは完全にコンテナに背中を預けて座り込んでいた。腰から下が靄に包まれており首から下の感覚がなく、指一本動かせない。視界がぼやけ始め、周りが良く見えなくなる。頭も回らず、周辺を不気味に移動する黒い靄をぼんやり眺めることくらいしかできなかった。


「死ぬ、のかな…」


 ふと、ビアンコが働かない思考をまとめるかのようにつぶやく。体のせいで死ぬことはないとばかり思っていたが、今は目の前にそれが迫っている。それもそれなり世話を焼いてくれた先輩のせいで。だが不思議と怒りの感情は湧かず、どこか満たされている感覚になった。


 のけ者にされていたビアンコを辞令とは言え受け入れたイリーナを始め仲間たちと共に暮らし、言葉を交わして汗を流したからだろうか。特に保護したアイシャに振り回されながらも、どこか悪くないと思っていたのは事実だった。そこまで今までの出来事が走馬灯のように流れたところで、最後につい昨日出かけた遊園地をバックにアイシャがとびっきりの笑顔を浮かべた情景がビアンコの脳裏に浮かぶ。


「また、会いた…、い…」


 首が据わらなくなり顔が傾いたビアンコの頬を涙が伝い、とうとうビアンコの視界が真っ暗になる。その数秒後、何の前触れもなく黒い靄がゆっくり消え失せると共にオリファが目を閉じて深呼吸する。アジトの中が投光器を動かしている発電機以外の音がしないほどの静寂に包まれ、オリファとリーチ以外に動いているものが見当たらない状態になった。


「終わった…、のか?」


 リーチが周囲を見渡す、皮膚すらないのに困惑している表情が浮かんでくるような所作で標的を探すが見当たらない。


「あっ…」


 続いてオリファが声を上げ、その場に膝をつき苦悶の表情で左腕の傷口を押さえる。押さえている右手の指の間から血がにじんだ。


「大丈夫か?」


「これくらい平気さ、でも久々に大掛かりな魔法を使ったから流石に少し休まなきゃダメかも…」


「ならいい」


 駆け寄ってきたリーチにオリファが取り繕うような笑顔を向ける。次にリーチがビアンコの方へ視線を向けると、そのまま動かなくなる。オリファが不思議そうにリーチと同じ方向を見ると、笑顔が消えた。そこには座り込んでコンテナに持たれかかり動かなくなっているビアンコの姿があったからだ。首が二人とは反対方向に傾いているため顔がどうなっているかもわからない。


「そんな…」


 オリファの目の中に絶望の色がうつろい、血の気が引いていく横でリーチも思わず下を向いた。再び周囲を静寂が支配する中、不意にビアンコの体が跳ねた。その音に二人が驚愕し固唾をのんで見守る中、ビアンコの首が動く。


「…勝手に殺すな」


「はあぁぁぁぁ…」


 ビアンコの不快そうな声にオリファが変な声を上げながら完全に崩れ落ちる。それをしり目にリーチがビアンコの脇に歩み寄って、見下ろした。


「全く、お前には驚かされっぱなしだ」


「いつものように死に損なっただけだ。まだちょっと足の感覚が変だけど」


「やれやれ、立てるか?」


 ビアンコが汚れて黒くなっている冷めた顔をリーチの方へ向けると、リーチが右手を差し出す。ビアンコがそれに答えるように右手を掴んで引き起こしてもらい、ぎこちない歩きで未だに蹲っているオリファの元へ向かうと、そのまま見下ろした。


「おい」


 オリファがビアンコが差し出した右腕を見上げる。その顔は珍しくうっすら涙目になっていてそれを隠したいのか形容のできない妙な表情だ。


「なんだその顔」


 オリファの顔を見たビアンコが微かにはにかむ。


「何でもない」


 ビアンコに釣られてか同じく表情が緩んだオリファが右手で差し出された腕を掴むと、ビアンコが踏ん張ってオリファを引き上げた。いつもの掛け合いが入れ替わっている。


「仕上げが残ってる、さっさと終わらせよう」


 表情が冷めた顔に戻ったビアンコがバタリングとイリーナがいる小部屋の方へ頭を振ると、オリファとリーチが小さくうなずいた。何も言わずまずビアンコが拳銃を取り出して早足に進み通路をはじめ次にオリファが、最後にプラズマミニガンを持ったリーチが続く。小部屋までの道中、アジトの中はあちらこちらに凄惨な光景が広がっていた。


 そこら中に干からびてミイラになった構成員達の死体が転がっていたからだった、それに加えて彼らが死ぬ間際に倒したコンテナや箱、ボンベや台車などが散乱し、足の踏み場もない。独特の臭いが充満し始めビアンコの鼻にまとわりつくが、それでもビアンコは顔色一つ変えず死体や物陰へ銃口を向け目視して安全を確かめ進んでいく。


 そうやってたどり着いた小部屋のドアは、微かに開いている。ビアンコが隙間を覗くと動くものは見えず書類が散乱している床とひっくり返っている棚だけが見え人影はない。それを確認したビアンコが拳銃の先で押すようにゆっくりドアを開けた。


「ん、遅かったじゃないか」


 声の主は小部屋の端で足を投げ出すように床に座り込んでいるイリーナだった。安堵したような笑みを浮かべているものの髪は少し乱れ顔も左の頬が赤く腫れており、右手にはバタリングが持っていたリボルバー拳銃を握っていた。


「大丈夫です?」


「ああ、ちょっとしくじったが平気だ」


 イリーナの姿を見たビアンコが彼女の元に駆け寄ると、目の前でしゃがみ込む。イリーナがビアンコと目を合わせ、フッと笑うがすぐに真顔になり首を横に伸ばしてビアンコの背後に視線を戻した。その間にオリファとリーチが小部屋に入ってくる中、ビアンコがゆっくりイリーナが見ている方向へ体の向きを変える。そこには手すりに両手を手錠で繋がれたバタリングの姿があった。奇しくもアイシャが繋がれていた手すりと同じ場所だ。


 既にオリファとリーチに囲まれて見下ろされているが、負け時と歯を食いしばった鬼の形相で後から来た三人を睨みつける。しかしこちらはイリーナ以上に派手に髪が乱れメガネも大きくずれているせいか、威圧感は皆無に等しかった。


「―あんたたち、よくもやってくれたわね!」


 バタリングが大声で怒鳴り散らし始めるのと同時にビアンコが立ち上がって近づいて行く。その顔は無表情に近く、目も据わっている。


「そう言われましても」


「元々はお前がアイシャを攫ったのが発端だろう、身から出た錆だ」


 冷めた顔で肩をすくめるオリファと、少し前かがみになって右手でバタリングに指をさすリーチ。その間を抜けてビアンコが二人より一歩前に出るのを、注視しながら立ち上がるイリーナ。


「なによ、どいつもこいつも私の研究の偉大さを理解しないで非難ばっかりして。その癖結果だけはかすめ取ろうとする! 挙句にあんたたちに全部ぶっ壊された、私の人生ご破算よ!!」


「んなもん知るか。アイシャはお前に大事な思い出を潰されたんだ、それが分かってんのか?」


 興奮のあまり両目に涙を浮かべ始めたバタリングの台詞に、ビアンコの中に怒りが沸々を湧き上がってくる。しかし不思議と妙に頭はすっきりしていて、怒鳴り散らしたりする気にはならなかった。


「煩い、私はチャンスが巡ってきたからそれを利用しただけ! そもそもあんな状況で連れ出したあんたが悪いのよ!」


 悪びれる様子もないバタリングにビアンコが据わった目で彼女の頭に向けて拳銃を突きつける。それを見て、バタリングが喉を鳴らし周りの三人も身構えた。ビアンコがしらけ切った顔で右手の人差し指に力を込めていく。このままここでバタリングを殺してしまえば、気持ちはすっきりする。だが彼女は自身が起こした事の重大さを突きつけられることはないだろう、果たしてそれで良いのだろうか。


「何? 私を殺そうっての? ずっとこの国の、この場所の秘密の解明に人生をささげてるこの私を!? もしそんなことしたら、どれだけの損失が…」


 先ほどとは打って変わってバタリングの顔から血の気が引いていき、手足を縮こませて肩を震わせ始める。そんなバタリングを見下ろしたまま、ビアンコが拳銃の引き金を絞った。それと同時に小部屋の中に銃声が響き、イリーナとオリファが目を見開く。


「…っ、ひぃ!?」


 間数を入れず、状況を理解したバタリングが繋がれた両手で顔を覆うとして手錠を強引に引っ張り金属音を響かせる。彼女の顔から数センチずれた辺りの壁に弾痕が一つできていた。目の前にいる身勝手極まりない人間の振る舞いにビアンコの中の怒りの感情も消え失せ、逆に哀れみさえ感じてきた。その証拠に相変わらず白けた表情のまま、拳銃を持った右手を下ろす。その様子を見た三人が安堵して、イリーナとオリファは息を吐いた。


「哀れすぎる、殺す気もなくなった」


 蹲ってとうとう嗚咽まで響かせ始めたバタリングへビアンコが哀れみの色を浮かべた瞳で一瞥する。そして拳銃をホルスターに収めながら、少し茫然としているイリーナの方へ向き直ったか思えば、そのまますれ違って開きっぱなしのドアから出て行ってしまった。それを何も言わず見送る三人。


「―撤収だ、痕跡の抹消と装備諸々の回収を忘れるな」


 バタリングの嗚咽など気にも留めずイリーナが残った二人に指示を出すと、目くばせした二人がビアンコに続くように足早に小部屋から出ていく。すると泣いているバタリングが声を上げた。


「待って!? こんな臭いの中置いていくっていくの!?」


 既に小部屋の中まで外にあるミイラの臭いが充満し始めている。涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔で力任せに手錠を引っ張り近づこうとしているバタリングを無視して、机に置いてある画面にひびが入ったアイシャのスマホを手に取るイリーナ。


「安心しろ、じきに特別対応チームが来る。今後の身の振り方でも考えてればいいんじゃないか?」


 スマホの裏表を確認しながらイリーナが口を開き、バタリングを冷たく一瞥する。ビアンコと同じように哀れみの色を浮かべた瞳だった。


「待って! 待ってぇ!!」


 バタリングの叫び声を背中に受けながら、イリーナも足早に小部屋を後にした。



 後日の昼間、ピューソン基地で制服姿のイリーナが足音を響かせて廊下を歩いていた。被った制帽で目元は見えにくいが、口は横一文字に結んでいる。出くわした兵士達が彼女の左頬に貼ってあるガーゼに一瞬驚いた顔を見せるが、立ち止まって敬礼しすれ違っていく。


 イリーナが包み隠さず独断行動を報告したのは、イービンヒルに帰還してすぐだった。即座にイリーナ以下全員イービンヒルにて謹慎が言い渡され、数日後の査問会への出頭命令にイリーナが応じたのである。軍隊における命令無視、それが何を意味するかは彼女もよく分かっていた。


 イリーナが指定された会議室のドアの前にやってくると、ちらりと左手の腕時計へ目をやる。予定時刻より数分早く着いた事を確認して、ドアの方へ向き直ると目を閉じて息を吐いた。そしてわずかに目つきを鋭くさせると、意を決してドアノブに手をかけそのまま会議室の方へ開いた。


 白みかかった壁の会議室の中の明かりはついておらず窓から入ってくる太陽光だけが部屋の一部を照らしていて、真ん中にコの字に並べられたテーブルと数人分の椅子、その真ん中に簡素なパイプ椅子が一つ置かれている。既にいるはずの査問委員会の面々の代わりに、対面のテーブルを挟んでいつもの事務服姿でイリーナに背を向け後ろ手に両手を組んで立ったまま窓の外を見ているキーンの姿があった。


「―イリーナ・シュリャホバヤ少佐、ただいま出頭しました」


 イリーナは予想外の光景に何とか無表情を保ちつつドアを閉めパイプ椅子の横まで進むとこれまた平静を装った声色で敬礼してみせると、キーンが少し頭を動かした。


「ご苦労、とりあえず座れ」


「は、はい」


 キーンの言葉通りイリーナが流石に戸惑いながらもパイプ椅子に座ると制帽を脱いで膝の上に置く。異様な空気の中、キーンは再び窓の外を眺め始め少しの間二人の間を沈黙が支配する。


「あの、これは一体…」


「―さて、どこから話したものかな」


 静けさに耐えられなくなったイリーナに、キーンが背を向けたまま口を開く。


「予定より三時間遅れで出動した特別対応チームによって首謀者のバタリングは無事逮捕。そして上の連中は大規模な転移物の摘発で大騒ぎ。ここまではいい」


 それだけ言うとキーンが一呼吸置く。


「しかし対応チームが突入した時点でバタリングのアジトは酷く荒らされていたばかりか、その構成員達も既に全滅。そして生きていたバタリングも精神に異常をきたしていた。挙句に君のあの報告書、あれはまるで罪の告白だな」


「…いずれ早い段階で露見すると思いましたので。処分も覚悟の上です」


 文字通り言葉を選びながら慎重に口を開くイリーナに、キーンはフッと笑い声を漏らす。


「処分? 私に権限があればそうしただろう。だが上の連中はそうは考えなかったようだぞ」


 そう言ってキーンが振り返る、彼がイリーナの方を向いたのは分かったが窓からの光で逆光となり表情が見えない。


「と、言いますと?」


「バタリングの陽動作戦を見抜いて先手を打ったと考えたらしい、『部下に欠員が出たと思わせ出撃してこないだろうと油断させた』のも良い判断だったと。それも命令無視で全部台無しだがな」


「え…」


 台詞の一部を敢えて誇張するキーン。イリーナの表情がますます固くなり、手の甲に汗をかき始める。


「それで結局上層部が揉めにもめて、賞罰どころか査問会もなしになった。後ろめたいこともあったんだろう。せっかくこの部屋を用意した私の徒労に終わったという訳だ」


 キーンが冷たい声色でつらつらと語る内容にイリーナが混乱する、あまりに予想と違う流れに肩透かしを食らった感覚だ。


「で、ではなぜ私を呼んだのですか?」


「まあ多分、一言言いたかったからだろうな」


 そうってキーンが前のめりになって机に両手をつき、光の当たる角度が変わりようやく顔が見えるようになる。キーンの顔は眉間にくっきりと皺を寄せて、強くイリーナを睨みつけていた。その表情にイリーナがつばを飲み込む。


「今回も幸運の女神がほほ笑んだようだが、少し頼りすぎだ。この調子で彼女にすがり続けていたら君も、部下たちもいずれそっぽを向かれるぞ」


「…肝に銘じておきます」


 警告とも受け取れるキーンの言葉に蛇に睨まれた蛙のごとく固まっていたイリーナが、何とか言葉をひねり出した。


「よろしい」


 キーンがそれだけ言うとくるりとイリーナに背を向け腕を組んで机にもたれかかりながら再び窓の外を眺め始める。それを戸惑いを隠せない表情で見つめるイリーナ。


「どうした、さあ行け。私の気が変わらないうちに」


「し、失礼します」


 キーンの言葉にあたふたと席を立ち、帽子をわきに抱えて敬礼し退出するイリーナ。廊下に飛び出して会議室のドアが閉まる音を聞き取ると、そこで初めて手と顔に汗をかいている事に気づいた。緊張がゆるんで一気に疲労感がイリーナの体に圧し掛かる。


「少し、休んでいくか…」


 イリーナはカラカラに乾いた喉を潤すため、自販機を探し始めた。




 イリーナがピューソン基地で名目上の査問会にかけられている頃、イービンヒルの本部では工房ではいつもの戦闘服を着たリーチが自らのスペアの腕を組み立てていた。作業台の上に肩から先、二の腕から手首までの状態の金属の片腕が乗っていて、その周りに複数の工具と部品が置かれている。


「順調?」


 リーチが部品を一つ腕に組み込んだところで、後ろからオリファがやってくる。いつもの笑顔だが、左腕は白いアームホルダーで吊っていた。


「だいたい予定通りだな。―まだ痛むのか?」


「まぁ、少しはね。結構がっつりいっちゃったし」


 リーチが作業を中断し振り返ってオリファの左腕を心配すると、当の本人も自らの左腕へ顔を向ける。


「ところで、あの二人は?」


 オリファの顔がリーチに向き直ったのに対しリーチが右手の人差し指を上に立て、「ああ」とそれに釣られるようにオリファも天井を見上げた。


 そのビアンコは本部の屋上で両足をを投げ出し両手を枕代わり後頭部で組んでに仰向けに寝転んでいた。視界いっぱいに青空と風に流れる雲が映っていて、時より流れるそよ風が心地よい。彼の傍らに置かれたスマホからは数日前の封鎖地区での暴動発生のニュース映像が流れているが、ほとんど内容が耳に入ってこない。そのスマホの脇にはメープルシロップがたっぷりかかった数個のワッフルとナイフとフォークが乗った皿が置いてある。


「あの博士の話、でないね」


 ビアンコの脇で上下学生服姿で額に包帯を巻いているアイシャがワッフルの一切れを口に運ぶ。スマホの画面は見ておらす、キャスターの声にだけ耳を傾けていた。


「あれはとんでもない不祥事だからな、みんなに気づかれないように処理が粛々と進んでるんだろ」


「ふーん」


 青空を見上げたままぶっきらぼうに解説するビアンコにアイシャが興味無さそうに空返事する。するとビアンコが体を起こし、スマホを手に取って動画を止めてまたスマホを元の位置に戻した。気だるそうなビアンコの目に相変わらずの荒野と遠くに一本の道が伸びる景色が飛び込んでくる。するとアイシャがワッフルを自分の皿に置くとビアンコに擦り寄りそのまま抱き着いてきた。


「なんだよ…」


 ビアンコが抱き着いてきたアイシャの方を見るが、いつもと雰囲気が違うのを感じ取る。


「助けてくれてありがとう」


「…当然のことをしただけだって」


 アイシャはビアンコの顔半分を胸元に埋めているが、ビアンコは敢えてそれを見ようとはしなかった。照れ隠しなのだろうと思いながらビアンコが優しくアイシャの背中に手を回し抱きしめ返す。


「もう安心だよね?」


「ああ」


 アイシャの心配そうな声色を察して、ビアンコが力強くそういった。


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