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第六話 キマイラ分隊 2

 一台の四輪駆動車がすっかり暗くなった片側一車線の道路を突っ走る。車内ではビアンコが眠そうな目を擦りながら無言でハンドルを握っており、傍らのドリンクホルダーにはよくコーヒーを入れるのに使われるタイプの蓋が付いた紙コップが刺さっていた。周辺はこの辺りではありきたりな荒野のはずだが、日が落ちたせいで等間隔で光っている街灯以外はほとんど真っ暗で何も見えない。ビアンコがちらりとバックミラーを見れば後部座席では周囲をお土産の紙袋の囲まれた上にきちんとシートベルトを締め、隣の大きなクマのぬいぐるみに寄りかかるようにして遊び疲れたアイシャがすやすやと眠っていた。


「やれやれ…」


 ビアンコが頬を緩めながら再びヘッドライトで照らされている殺風景な前方を見据えると、一台の対向車がすれ違う。今日一日はアイシャに振り回されて文字通りくたくたになったはずが不思議と悪い気はしていない、心地の良い疲れだった。アイシャの笑顔を見ているとなぜか心が晴れてくる、不思議な感覚だ。


「っと、なんだよ」


 すると間髪入れず、バックミラーが強烈な光に照らされてビアンコが思わず目を細める。どうやら真後ろに高速で走ってきた後続車が来たらしい、だがライトで照らされているせいで車種までは分からなかった。その後続車がエンジンを唸らせながら勢いよく対向車線に飛び出すとそのままビアンコの四輪駆動車を抜いていく。側面の窓までしっかりスモークフィルムが張り付けられた黒のSUVだ。そしてそのまま猛スピードで加速しあっという間に赤いテールランプが小さくなっていった。


「元気な奴…」


 ビアンコが走り去っていったSUVに対する感想を呆れた顔でぼやく。すると今度はビアンコの目の前のダッシュボードのホルダーに固定されていたスマホが鳴りだした。「ちょちょちょ…!?」とビアンコが慌てふためきながら車のオーディオを操作して通話を接続する。


『やぁ召使君、今日のお姫様のお守りはちゃんとできたかな?』


「もー、やめてくださいよ。反応に困るんですけど…」


 車のスピーカーからどこか楽しそうにしているイリーナの声が響いてくると、ビアンコが困惑しつつアイシャを起こさないようにオーディオを操作してスピーカーの音量を下げた。


『ははは、冗談冗談。帰りが遅くなりそうって聞いてな、ちょっと電話してみたんだ。アイシャの様子はどうだ?』


「どうもこうも、すっかりお眠ですよ。昼間のはしゃぎっぷりも見せてやりたかった」


『おっと、ならお邪魔だったかな。切っても良いぞ?』


「いいえ、お構いなく。ちょうどいい眠気覚ましだ」


 イリーナの声色は先ほどと変わらないが、二人を心配しているが分かる。それを感じとってかビアンコの表情も穏やかのままだ。


「まぁ大変でしたよ、一日中。でも嫌だったのは最初だけ、途中から悪い気がしなくなって。―よくわからないですよ」


『なんだ、まるで妹の面倒を見てる兄みたいじゃないか』


「それを言ったら少佐だって…、あ」


 ビアンコがそこまで言いかけたところで表情を硬くさせながら閉口する。途端にイリーナもしゃべらなくなってしまい、明るい空気が一気にしぼんでしまった。


『―図星だ、良い傾向じゃないのは分かってる。どうしても、な』


 イリーナの声色が明らかに落ち込んでるのを聞きながら、ビアンコが思わず苦笑いする。


『よし! 次は雑談の訓練でもしてもらうおうか、適任がいるしな』


「ちょっと!? これ以上課題を増やさないで下さいよ~」


 打って変わってイリーナが張り切った声色で宣言すると、ビアンコの顔が青くなる。適任とはもちろんオリファのことだ。


『問答無用、みっちり鍛えてもらうから覚悟しろよ』


 どこまで本気なのか分かりずらいイリーナの声にビアンコがため息をつく。そうこうしていると、道の脇にドライブインの跡地の廃屋がヘッドライトで薄っすら照らされているのが見えてきた。


「んも~、少しは労わって…。あれ?」


『どうした?』


「いや、なんかさっき抜いていった車が脇に停まって…!?」


 四輪駆動車が廃屋の脇へ差し掛かると、ビアンコの目にその少し先に先ほど追い越していった黒のSUVが姿を隠すように道の脇に停車しているのが目に入って来た。それと同時に廃屋の影から四輪駆動車の目の前にスパイク付きの板が投げ込まれる。避ける暇も鳴く四輪駆動車がそれに突っ込んですべてのタイヤから破裂音が響き、ハンドルが取られた。


「くっそ!?」


 ビアンコが鬼の形相でブレーキを思いっきり踏み道に対して斜めになった四輪駆動車の制御を試みてハンドルをグルグル回す、その間にも破裂音で飛び起きたアイシャの悲鳴や通話中のイリーナの大声が響いているが、具体的に何を言っているのかを聞き取る余裕はなかった。四輪駆動車はスキール音を響かせながら左に右に蛇行した後、勢い余って道の上を派手に横転する。一回目の横転でハンドルのエアバックが開いた後、ビアンコの視界がスローモーションで二回、三回と回転していき、そのたびに屋根やドアがひしゃげ砕けて粉々になった窓ガラスやカップホルダーの紙コップから飛び出したコーヒー、お土産が車内に飛び散るのがはっきり分かった。その間、ビアンコ自身も悲鳴を上げていたが、次の瞬間四輪駆動車の天井が地面にたたきつけられたであろうと同時に目の前が真っ暗になった。


 四輪駆動車は道を外れ荒地で横転を繰り返し、地面に突っ込んで派手な音と砂煙を上げ止まった。その最後の停止時の制動でビアンコが気が付くと、言葉にならないうめき声を上げる。目の前の屋根を下側にフロントガラスが砕け散って拉げたフレームを額縁代わりに上下逆さまになった荒涼とした土地が片方だけ点灯しているヘッドライトに照らされているのが目に入る。漏れ出たガソリンと飛び散ったコーヒーの香りも混ざって、形容しがたい匂いが立ち込めていた。


「…っ、そうだ! アイシャ…、あがっ!?」


 ビアンコが数秒間ぼんやりした後、後部座席のアイシャの事を思い出して身をよじった拍子に全身に激痛が走って身もだえた。特に右足のふとともに何かが突き刺さった上に足首も挟まれているのかそれぞれ激痛を放っている。


「おい、アイシャ! 返事しろ! おい!!」


 ビアンコが反応のないアイシャに向かって大声で叫びながら四輪駆動車の天井の内張りへ血まみれの左手を付き、右手で自らの体に巻いてあるシートベルトを外しにかかる。だが痛みで体が上手く動かない上にボタンを押す音が鳴るだけでなかなかロックが外れない。そうしていると真横に重厚なエンジン音を響かせた車が停車し、ドアが開く音が響く。その回数から四人降りてきたようだった。このタイミングでやってくる車は一つしかないと、ビアンコの脳裏に最悪の展開が浮かぶ。


 その間にもビアンコの真後ろの後部座席にドア越しに人が集まっている気配と、何かを外へ引きずり出す音が響いてくる。そうしているとやっとビアンコのシートベルトのロックが外れ、ビアンコの上半身が四輪駆動車の屋根の内張りにできた血だまりの中に落ちた。


「があああああ!!」


 ビアンコの顔や髪の毛に血がべっとりと付くが、それどころではないと最後の力を振り絞るように雄たけびをあげ自由になった上半身を仰向けでガラスが砕け散った側面の窓枠から胸元辺りまで上半身を無理やり押し出す。そして視界の先には同じ覆面と黒ずくめの格好した男性とぼしき人影と、気絶したまま他の仲間に囲まれた一人に抱きかかえられ、そのまま黒のSUVに押し込まれるアイシャの姿があった。


「アイシャー!」


 ビアンコが渾身の叫び声が上げる。うまく動かない両手で何度も四輪駆動車から抜け出そうとするが、挟まれた右足が抜ける気配がない。引っ張るたびに痛みだけが蓄積していき、四輪駆動車から溢れた血が荒野に広がり始める。ビアンコの叫び声に気づいた黒づくめの一人が振り返り、ビアンコを見つめた。ビアンコも負けじと左手を伸ばして睨み返すが、不意に視界が歪む。口内に鉄の味が広がり、赤黒い液体が口角から溢れていく。


「待ち、やがれ…」


 最早ビアンコが蚊が鳴くような声しかでなくなっているのを見て、黒づくめの一人はくるり振り返りと仲間の待つSUVへと歩みを進めると、すぐにドアが閉まる音が響く。


「あ…、あ…」


 ビアンコが霞んだ視界のまま、走り去るSUVに向かって左手を伸ばしていたがすぐにそれも力なく地面に落ちた。



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