第六話 キマイラ分隊 1
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少し気温が高くなった晴れた日の本部の中から規則的に風切り音が響く。中では両手で模造刀を握ったビアンコが足さばきと共にそれを横に薙ぎ払ったり、振り下ろしたり、振り上げたりしている。それなりに時間が経っているのかその表情は険しく額に大粒の汗が浮かび、戦闘服の胴体部分もしみ込んだ汗で黒くなっていた。そして腰のベルトにはビームソードの柄がぶら下がっていて、ビアンコの体の動きに合わせてゆらゆら揺れている。
「よし、それくらいでいい」
少し離れたところから腕組してビアンコを見ていたリーチの声で、風切り音が消えビアンコが模造刀の先端を床に向ける。それと共に肩で息をしながら身を屈めて模造刀を杖代わりに両手を持ち手の上に乗せ首を垂らした。大粒の汗が床に落ちていく。
「ほら」
「…サンキュー」
ビアンコが体を起こしリーチが差し出したペットポトルを受け取ると、ふたを開けて中身の水を飲む。そして残りを頭から被って、汗を洗い流した。
「大分構えや斬り方が様になってきてる、この調子で続けるといいだろう」
「…なあ、それはわかるけど。やることが多すぎないか? これ結構しんどいぜ」
顎に手を当てているリーチにビアンコが額の水滴を腕で拭い息を整えながらお決まりとなった不満げな顔を向けた。
「文句を言うな、剣の扱いは銃の取り扱いとは比べ物にならない程の鍛錬が必要なのは説明したはずだ。最初に見せた斬り方ではそのうち自分を斬るぞ」
リーチが珍しく説教じみた言葉を放つと再び腕組する。
「それに、武器を適切に扱えない人間ほどみすぼらしいものはない。任されたのならちゃんと扱えるようになれ」
それを聞いたビアンコは再び模造刀を両手で支えながらそれを杖のように地面を付くと、納得できなさそうな顔で腰にぶら下がっている柄に視線を落とす。サウス・ピューソン駅の秘密基地にあった転移物関連品はビアンコ達が脱出した後、後日別の部隊によって漏れなく全て回収された。普段ならそれで終わりなのだが、どういう因果かビアンコが使用したビームソードを彼専用の武器にしようという話が持ち上がり、管理を任されることになってしまった。
当然ビアンコは刃の長い剣類の取り扱いは分からず、困惑していたところにリーチが助け舟という名の鍛錬を課したというわけだった。
ビアンコ自身、リーチの言い分は理解できる。しかし一日の間にこなさなければならない仕事は増える一方で、できないわけではないが一息つく暇はなくなっていた。不満を感じていても、上手く表に出せない自分自身に歯がゆさを感じる。
「…分かってるって、すべては俺のため、だろ」
ビアンコのほぼ愚痴に近い言葉に「ならいい」とだけ返すリーチ。ビアンコがリーチに冷ややかな視線を向けつつその場を離れようとした矢先に明るい声が飛んできた。
「お、やってるやってる~」
「…なんかいいことあったのか?」
声の主、オリファが明らかに上機嫌で本部の中に入ってくるのをビアンコが少し呆れた顔で眺める。
「さっき少佐から聞いたんだけど、この前の地下鉄駅で一件で僕らが活躍したでしょ。だから一日だけだけど基地の外への外出許可が出たんだって」
「マジ!?」
ビアンコが思わず目を丸くして驚く。基本的には基地での勤務中は外出の許可が必要で、大抵は事前に申請すれば許可は下りる。しかし、ビアンコ達の場合は逃亡や機密保持という都合もあって原則許可は下りなかった。今回の異例の措置は文字通りの先日の活躍の報酬、ということだろう。久しぶりに基地の外に出て気分転換できるのでは、とビアンコが期待に胸を膨らませる。
「それいつだよ!?」
「申請すれば明日にでも行けるんじゃない?」
「そりゃいいな、お前はどうするんだよ?」
「バイクで走ってくるつもり」
年甲斐もなくはしゃぐビアンコとオリファを見てリーチが肩を竦める。
「ま、私には関係ないが。…おや」
一言ぽつり呟いてリーチがふと二人から視線をずらすと、アイシャがいつの間にか本部の入口に仁王立ちしているのが見えた。
「遊園地!!」
不意にアイシャが大声で叫ぶ、それに驚いたビアンコとオリファが一瞬目を見開いて肩を怒らせた。すぐに二人が声の主へ振り返る。
「な、なんだよ急に…」
「遊園地行きたい!!」
アイシャが眉根を寄せて真剣な顔で困惑しているビアンコの元へずんずん歩いてくると、手に持っていたチラシを掲げた。上部に『フェラルフェア・パーク』と書かれたカラフルなそれには大抵の遊園地にはあるジェットコースターや観覧車などのアトラクションの写真が載っている。左右には色とりどりの風船を持ったピエロや女性スタッフの写真もあった。チラシを見せられたビアンコの表情が曇る。
「えっ、えっと…」
チラシを渡されたビアンコが返事に困っていると、アイシャが更に畳みかける。
「一緒に居てくれる約束、まだしてもらってないもん!」
「えっ、そんな約束したっけ?」
ビアンコがとぼけた表情から模造刀と自らの体に立てかけ、腕組し目を瞑って過去の記憶をたどっていく。その様子をアイシャが眉を吊り上げ握りこぶしを作った両手を胸の前に出して見つめる中、ビアンコにオリファとリーチが冷ややかな視線を送っている。
「…あ、もしかしてあの時の!?」
ようやって以前の荷物の積み下ろしのときに交わした約束を思い出し、ビアンコの顔が青くなる。一人で羽を伸ばす、という予定がガラガラと音を立てて崩れていった。それを横で見ているオリファはいつもの含みを持った笑顔で様式美と言わんばかりにニコニコしている。そしてアイシャがビアンコの足を蹴り、蹴られた本人から「ぐへ」と情けない声が出る。蹴られた足がジンジンと痛む。
「約束を忘れるなんてサイテー」
「サイテー」
眉がつり上がったまま頬をぷっくり膨らませいるアイシャの横で、オリファがいたずら心むき出しの笑顔でアイシャの言葉の後半を復唱した。それをみたビアンコの顔に冷や汗と気まずさそうな苦い表情が浮かんでくる。
「…やれやれ、安請け合いするからだ」
休日の予定が確定していまい涙目になっているビアンコの後頭部を眺めながら、リーチが呟いた。
翌日の午前中、ビアンコは『フェラルフェア・パーク』の広大な駐車場に立っていた。服装はビアンコはスニーカーにジーパン、薄い緑のミリタリージャケット、インナーは白いシャツだが髪の色が黒く染められていてクリーム色の野球帽を目深に被り、気だるそうな表情とクマのできた目もとが哀愁を漂わせている。そんな顔の目の前には巨大な観覧車とジェットコースターのレーンをバックに左右へ大掛かりなフェンスが伸びたカラフルで曲線主体のデザインの正面ゲートがあり、家族連れやカップルが途切れることなく続々とゲートに吸い込まれていく。
「おおー!」
そんなビアンコの隣でパンフレットをしっかりと握っているアイシャが目を輝かせ文字通り感嘆の声を上げた。服装はスニーカーに紺の革ジャンパンツにジャケット、白いインナーを身に着け、長い髪の毛はしっかりと結って短くしてあった。首から下げたスマホストラップが今時の女の子らしさを強調している。唯一、彼女を人外たらしめていた長い耳はオリファが何とかしたらしく、短くなっていた。
「…ここまでしなくていいだろ、これじゃかえって目立つぞ」
アイシャをしり目に気だるそうにビアンコが帽子のつばを掴んでそれを少し持ち上げると眉の上に伸びている黒く染められた髪の毛を指でつまむ。ビアンコ自身ファッションに明るいわけでないが、髪型と色の組み合わせが合っていないことぐらいは分かった。年齢に対して幼すぎる、という印象だ。イリーナにアイシャと二人で遊園地に行くと申し出たところ彼女がイヤに張り切ってしまいアイシャの服を用意したまではよかったのだが、ビアンコも当日の早朝にたたき起こされた思えばしっかり髪を染められてしまったのだった。
それを含めて、今回は皆の御膳立てが整いすぎていたのもビアンコの中で引っかかっていた。アイシャの服やビアンコの髪を染めたヘアカラー剤、極めつけはアイシャの靴の靴底に仕込まれた発信機。これらは一朝一夕で用意できるものではない。つまり全てビアンコには内緒で事前に用意されていたことになる。
「後で問いただしてやる…」
「ねぇ、早く行こうよー!」
「はぁ…」
憂鬱なビアンコの気持ちなど知らぬ存ぜぬと言わんばかりに、先に正面ゲートに向かっていたアイシャが笑顔で振り返って大声でビアンコに手を振る。それに促されてとぼとぼとビアンコが後を追った。
「おはようございます、フェラルフェア・パークへようこそ」
「えっと、大人と子供一人づつで」
「―はい、OKです。では目一杯楽しんでくださいね~」
しっかりとした営業スマイルの女性スタッフのいる正面ゲートの受付で二人分の入場料を払い、遊園地の中に足を踏み入れる二人。まず目に飛び込んできたのは人の多さだった、主に家族連れとカップル、四人前後のグループが楽しそうに談笑しながら歩き回っている。ぱっと見渡した限りでは反対側が見えないくらい広い敷地内に所せましとアトラクションが並んでいて、それぞれの乗り物から発せられる音楽と楽しんでいる人々の声が騒がしい。その脇には既にちょっとした行列ができはじめている軽食やさまざまなグッズを売っている売店があり、極めつけに離れた位置にあるジェットコースターから利用者の絶叫が離れた位置にいる二人の耳に飛び込んできた。
ビアンコが売店から漂ってくる甘い匂いを感じながらゲート前の開けたスペースに歩みを進めつつも、周囲の人目が気になったのか帽子のつばを掴んで顔を隠す素振りを見せる。慣れていないこともあってか、気分が落ち着かず目が泳いでしまう。
「おおおー!!」
一方のビアンコの脇でアイシャは先ほどよりも目を輝かせ、握りこぶしを作った両手を胸の前に出して夢にまで見たアトラクションに見入っている。そして興奮した様子で駆けだすと、ビアンコから少し離れた場所で立ち止まった。
「メリーゴーランドにコーピーカップ、どれに乗ろうかな~」
「そう興奮するなって、逃げたりしないし…」
興奮しながらアイシャがアトラクションをそれぞれ指さし迷っているところを、後から追いついたビアンコが呆れ気味で眺める。すると振り返ったアイシャが、満面の笑みで右手を差し出してこう言った。
「一緒に乗ろうよ」
「へ…?」
アイシャの申し出にビアンコが思いがけずぽかんとする、彼からすればからすれば完全に予想外の言葉だったらしく数秒間固まってしまう。すると次の瞬間にアイシャがビアンコの左手を引っ張った。
「レッツゴー!」
「ちょっと、待って待って!?」
身長差でビアンコが体をかがめ、手で帽子を押さえ焦った表情でビアンコが笑顔のアイシャに引っ張られていく。進む先はちょうど入り口の列が動き出したメリーゴーランドだった。そこからはもう彼女の独壇場である、メリーゴーランドでは真っ先に白馬に跨ってはしゃぎ、綺麗な装飾が施されたコーヒーカップではアイシャが中心のハンドルをグルグル回してビアンコの目を回させた。続くジャングルと丸太船を模したウォーターライドでは高所から滑り落ちる際の楽しんでいる表情を写真を取られ、敷地の外周に設置された木造風の高架を一周するようにレールが敷かれ蒸気機関車と木造客車を模したミニトレインで園内の動き回る人々や情景を眺めたりした。
その全てがアイシャにとっては初めての体験だったのは、その顔を見ればよく分かった。ずっと笑顔を絶やさずはしゃいでいる。ビアンコも最初こそ表情が固かったが、アイシャに釣られてかだんだんと笑うようになっていた。そうして昼食をとるため園内のレストランの席に付けたのは、お昼時というには遅めの時間帯だった。白を基調とした室内は昼食のピークは過ぎているにも関わらず利用客で混雑していて、あちこちで談笑や子供の笑い声と泣いている声が響き渡る。しかし天井こそ高いものの他のレストランにありがちないくつもの椅子とテーブルが並んでいるお陰で、アトラクションたちと比べるといささか主張が弱いように見えた。
そんなレストランの端、窓際の席でテーブルを挟んで帽子を脱いだビアンコとアイシャが席に座っていた。既に料理は注文した後だが、アイシャは相変わらずテーブルに置いたメニュー表にかじりついている。テーブルには氷と水の入ったピッチャーとコップが二つ、アイシャの方のコップは氷とオレンジジュースが入っていて白いストローが刺さしてある。テーブルの端に入れ物に入った数本のナイフとフォーク、そして自立式の入れ物に入った白い紙ナプキンの束もあった。
「フンフンフ~ン」
アイシャが上機嫌でメニュー表の一ページを鼻歌交じりで眺める。そこには先ほど頼んだ『スペシャルお子様ランチ』の写真が載っているようだが、ビアンコの方からは逆さまになった大きな文字以外はよく見えない。ニコニコしているアイシャの顔を眺めていたビアンコの顔も釣られるように口元が緩んでいる。最初こそ自らの落ち度でアイシャのお守りをする羽目になって気持ちが沈んでいたが、一緒に園内を回るうちに『楽しい』と思えるようになってきたからだ。下手すればこんな気分は初めてかもしれない。すると突然、少し離れたテーブルから食器がひっくり返る音がした。
周囲に混じって二人もそちらを見ると、三人家族の内の小学生くらいの男の子がコップをひっくり返したのか床にオレンジジュースが盛大にこぼれているのが見えた。
「うわーん!」
「あーあー…」
「もう、何やってるのよ!」
泣き出した男の子と狼狽する父親をしり目に母親が慌てながらも素早く立ち上がり、紙ナプキンを手に取ってテーブルにこぼれたジュースを拭き始める。そして音を聞きつけ飛んできた女性スタッフに苦笑してみせると一緒に片づけはじめた。すぐに周囲も何事もなかったかのように食事や談笑に戻っていく中、先ほどと打って変わって笑みが消えたビアンコがさりげなくその様子を眺めている。
「…どうしたの?」
「あ、いや。その…」
不思議そうにアイシャに声をかけられ、ビアンコが我に戻った顔をする。ようやく顔をアイシャの方へ戻すと、両手で目の前のコップを包み込みそれに視線を落とした。
「…俺もあんな風に、家族とあんな風に過ごせたら少しは違う人生だったのかなって思ってさ」
嘘をつくこともできたが、なぜか本音が出てしまった。ビアンコがバツが悪そうな顔になる。
「家族がいないの?」
「ずっと施設にいたんだ、親がいない子供の面倒みる施設があってさ」
「そうなんだ…」
アイシャが何とも言えない顔をしているのが声色で伝わってくる。それを察したビアンコが慌てて顔を上げるが、気まずさで目が泳ぐ。
「悪い、今するべき話じゃなかった。―そうだ、これ見てなかったろ。良く撮れてるぜ」
ビアンコが眉を八の字にし右手の人差し指で頬をかきながら言い訳の言葉を探していると、思い出したかのように何枚か写真を入れる封筒を取り出す。その中から取り出された写真は午前中利用したウォーターライドで撮られたもので、落下の直前の乗り物の最前列でアイシャが両手を上にあげ笑顔ではしゃいでいるのが、その隣のビアンコは目を見開いて驚愕した顔で写っている。
「話題の変え方下手くそ~」
アイシャが口を尖らせるが、その目はちゃんと笑っている。ビアンコは少し安堵しながらも目を泳がせたまま「ははは…」としか返すことができなかった。アイシャがおもむろに写真を一枚手に取る。
「プッ。ビアンコ、変な顔」
「仕方ないだろ…」
ニコニコしているアイシャをしり目にビアンコが恥ずかしそうに小さい声を出しながら頬を赤くして口を尖らせる。そこへ制服と腰に小さいエプロンを身に着けた女性スタッフが両手に料理が乗ったトレーを持ってやってきた。食欲を刺激する香りを感じとってビアンコの表情が真顔に戻る。
「お待たせしました、はいどうぞ」
「わーい、ありがとう」
笑顔のアイシャを前に自然な営業スマイルの女性スタッフが手慣れた手つきで彼女の目の前にスペシャルお子様ランチが載ったトレーを置いた。白い大皿の真ん中にチキンライスで象られた可愛いクマの顔、その周囲にレタスやパスタ、スクランブルエッグにポテトサラダなどがそれぞれ少量ながらもバランスよく配置されている。そしてチキンライスのクマに添えられた大きなミートボールには小さなどこかの国の国旗が刺さっていた。続いてビアンコの目の前に白い皿に二枚重ねで盛られた黄金色のパンケーキが置かれる、たっぷりのメープルシロップが掛けられ更に生クリームとその上にサクランボが載っていた。しかし注文した当の本人はアイシャの見たことのない料理のトッピングに目を丸くしている。
「おいおい、なんだそれ」
「ごゆっくり~」とテーブルに伝票を置き足早に立ち去っていくスタッフにも気づかず、呆気に取られているビアンコを見てアイシャが自慢げな顔になる。
「ふふん、ここでしか食べれない限定メニューだよ。日本のメニューの真似なんだって~」
「は~ん、どうりですげぇ割高なわけだ…」
ビアンコがメニュー表に書いてあったスペシャルお子様ランチの値段を思い出し支払いの事が頭にチラついて少し顔を引きつらせる。しかし目の前にあるパンケーキの香りにくすぐられた食欲がそれを掻き消し、一方でアイシャが得意げな顔をしながらスマホでシャッター音を響かせながらスペシャルお子様ランチを撮影する。その様子は現代の女の子とほとんど見分けがつかない、事前に遊園地の情報を調べていたりメニュー表の文字もしっかり読めていた辺り特訓の成果が出ているようだ。
「ほら、食べようぜ」
ビアンコが気を取り直して嬉しそうに自身とアイシャの分のナイフとフォークを配ると、アイシャが笑顔で「ありがとう」とそれを受け取った。
昼食の後もアイシャの独壇場は続いた、着ぐるみショーの見物を皮切りに観覧車に乗り、多数のキャストが練り歩くパレードに手を振って、最後にはお土産の争奪戦が行われる売店へ突撃した。お目当ての巨大なクマのぬいぐるみを買うために、ビアンコが半ば他の客たちにもみくちゃにされながらレジに持って行ったのだった。