第一話 嫌われ者 2
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食堂での騒ぎの後、ビアンコは基地司令官の前に居た。すりガラスの部分に達筆な文字で「ウィリアム・キーン」と書かれたドアをノックし、「失礼します」と部屋の中に入る。室内はコンクリの打ちっぱなしであるが綺麗に片づけられており、真ん中には来客用の小奇麗なソファがテーブルをはさむように置かれている。
そしてそのその奥に木製の執務用のデスクが一つ、パソコンのモニターと整えられた書類の束があり、その間に部屋の主キーン大佐が居た。事務用の服を着て後退した生え際に年齢の割に老けた顔で書類に何か書き込んでいたが、眼だけ動かしビアンコの姿を認めると手を止める。
「フランシス少尉か、ちょっと待ってくれ」
それだけ言うとキーンは再び視線を落とし書類への書き込みを再開したのを見て、ビアンコは静かに執務デスクの前に立ち両足を肩幅に開いて両手を後ろに組む。ものの数秒でキーンは書類を片づけ、机の上で手を組むとビアンコを見上げた。
「…さて、毎度のことだが時間通りだな」
そう一言告げると短く息を吐くキーン。
「本題に入る前に少し話がある、今朝食堂で何があった?」
「何のことです? 何もありません」
表情を変えず答えるビアンコにキーンは上目遣いのまま眉を顰める。
「私が何も知らないと思ってるのか? まだ序列が下の者に嫌がらせされたそうだが、なぜ訴え出ない? 君に落ち度はないのに、着任してからずっとだろう」
「無駄ですよ、私の経歴を見ればああしたくなるのも分かります。味方を見捨てて逃げたことになってる奴と同じ空間に居たい軍人などいないでしょう。―まぁ、物好きが居れば別ですけど」
ただ事実を述べつつも自嘲気味の態度のビアンコにキーンは目を伏せる。ビアンコもキーンもこれだけは同じ考えだ、土壇場で逃げ出すような奴には背中を、命を預けられない。敵前逃亡、かつてそんな疑惑がビアンコにはかかっていた。公式には証拠不十分で不起訴に相当される判断がなされたが、一度広まった噂は簡単には消せない。命がかかっている戦場で、勝手に逃げ出すことはその場で銃殺されてもおかしくない許されない行為なのだ。
「そうか、わかった」キーンはそれだけ言うと、机の端に置いてあった封筒を差し出す。
「辞令だ、その物好きが居たらしい」
封筒が差し出されても、ビアンコの表情はたいして変わらない。過去何度か異動したものの、その度に配属先と反りが合わずに放り出されていた。通常なら退役を促されるところを、なぜか軍から最後通牒を突き付けられないがために、なにか良からぬ手を使っているのではないかとさらに周囲の嫉妬を買う、という悪循環の遠因の一つになっているのだった。どうせまた、と諦観という文字がビアンコの脳裏を過る。
「中身を拝見しても?」
「ああ、いいぞ」
キーンから受け取った封筒を開け、中身に目を通すビアンコ。読み進めてくにつれ、眉を顰め目も細くなっていった。
「…本気ですか?」
彼は困惑した目つきで、キーンの顔を見つめることしかできなかった。