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第五話 爪痕 4

 地下鉄駅の捜索から少したった晴れた日の昼前、国立墓地の青々としたの芝生の中に整然と並んだ墓石群の間で薄い緑のミリタリージャケットに白いシャツ、黒いズボンという私服姿のビアンコが立っていた。真顔だがどこか憂いを纏った表情を浮かべてまばらに集まっている人ごみの最後部で、『エレーナ・シュリャホバヤ』と書かれた長方形の墓石と小さい棺の横でお別れの言葉を話している神父を見つめている。


 その隣では上下暗すぎない紺色のスーツにネクタイのない白いワイシャツ姿のオリファが整った顔つきで神父を見ており、その更に隣ではアイシャがいつもの制服姿で立っていた。アイシャは人々の足の隙間から棺桶一点を見つめている。


 重苦しい雰囲気の中、ビアンコが老若男女の参列者達の間から神父から視線を移す。席の最前列の端に喪服姿のイリーナが立っていて、隣にいる胸元に別の男性―、恐らくイリーナの父親の遺影を抱きかかえている喪服の年配の女性と時折耳打ちしているような仕草を繰り返していた。


「―では、エレーナ・シュリャホバヤに最後のお別れを」


 神父に促され参列者達が黙とうを捧げ、ビアンコたちもそれに従って目を閉じた。ビアンコはただただ無心に死者の冥福を祈るが、どこか現実離れした感覚が抜けきらない。瞼の裏に最初に遺体を見つけた光景がこびりついているようで、ビアンコにはそれが雑念のように感じられた。


 黙とうが終わって近親者たちがロープを使い小さい棺を一回り大きいサイズに掘られた穴へ下ろしていくのを見届ける。葬儀が終わるとビアンコが小さく息を吐いて、アイシャの方を見た。アイシャは両目を閉じたまま両手を胸の前で五本の指を交互に組み、何かぶつぶつ呟いてる。声の大きさが小さすぎて聞き取れないが、どうやらビアンコが知っている言語ではないようだった。


「アイシャ…?」


「待った」


 アイシャのいつもと違う様子にビアンコが思わず手を伸ばすが、小声でオリファに制止される。ビアンコが振り返って唇だけ動かして「なんだよ」と言う素振りを見せると同時に、アイシャが目を開いて手をほどく。


「アイシャ、何してたの?」


「お祈りだよ。私の世界ではこうやってお祈りするの」


 アイシャの言葉にオリファが目を見開く。一方のビアンコは状況がよくわからず不思議そう二人の顔を交互に見た。


「そっか、―後で詳しく聞かせてくれる?」


「いいよ」


 オリファの申し出をアイシャが笑顔で承諾する。


「すごいな、並行世界でも祈りをささげる仕草が一緒だなんて」


「…おい、葬儀の後に興奮してんじゃねぇよ。少しは場所を考えろって」


 興奮気味になっているオリファへ腰に両手を当てたビアンコが呆れた顔をしつつ釘を差す。既に参列者の面々は会食や家路につき始め、三人の周辺はその姿がかなりまばらになっていた。すると三人の耳に聞きなれた声が入ってくる。


「―みんなすまないな、わざわざ出てきてもらって」


 神父への挨拶を済ませたイリーナがまだその場に残っていた三人の元にやってきたのだ。気丈に振る舞っているが流石に気疲れのためかやや疲労の色が見て取れる。


「いえ、これくらい問題ないですよ」


 そう言って何時もよりは控え目な笑みを浮かべるオリファ、一方のビアンコが複雑な心境が表に出てきたような顔で改めてエレーナの墓石を見つめる。


「これで、妹さんも少しは浮かばれますかね…?」


「…ああ、そうだといいが」


 ビアンコに釣られるようにイリーナも悲しみで疲れた顔で墓石へ視線を移し、その様子をオリファが本心を隠しているような顔で眺める。するとイリーナがビアンコに向き直った、表情がよそ行きのそれから柔らかいそれに変わっている。


「本当にありがとう、エレーナと最後の別れも言えないと思ってたから…」


「そんな…、たまたまですよ…。その…」


 ビアンコが目を泳がせてしどろもどろになる。舞い上がっているという言葉がぴったりで、ビアンコ自身も正直久しぶりに喜びに近いものを感じていた。それをオリファがニコニコしながら眺めている。


「大丈夫、お祈りしておいたから」


「あら、ありがとうね」


 いつのまにかイリーナのすぐ横に移動していたアイシャが優し気に二人の間に割って入り、それに気づいたイリーナが身を屈めてアイシャの頭を撫でた。頭を撫でられたアイシャは気持ちよさそうに目を閉じている。


「イリーナ!」


「―母さん!?」


 不意に少し遠くからイリーナを呼ぶ声が響き、四人の視線がそちらに向けられる。視線の先では葬儀の最中、イリーナの傍にいた年配の女性が四人の方へ向かって歩いてきているのが見えた。それを見たイリーナが慌てた顔になる一方で、浮かれているビアンコは感謝の一つでもされるのではと内心期待する。


「すぐ戻るって言ったのに…」


「いいのよ。―エレーナの母のジュディです、皆さんの話はイリーナから聞いてるわ」


 イリーナの言葉をよそに同じ三人の間の前まで来た銀色かかった短い白髪のジュディが自己紹介をする。年齢の割に皺が畳まれたそのしかめっ面とも泣きっ面ともつかない顔と雰囲気は、どこかよそよそしい印象をビアンコにも与えた。一目見て理由はどうあれ好かれていないとわかった瞬間、ビアンコは自らが思い描いていた展開にはならないという事に気づかされ思わず表情が硬くなる。


「それは、どうも…」


 当てが外れたビアンコが取り繕うようなぎこちない表情で対応すると、ジュディを意を決したように息を吐く。


「とりあえず、一言お礼が言いたくて…。皆さんありがとう、エレーナを見つけてくれて…」


 ジュディは絞り出すようにそれだけ言うとハンカチを取り出してあふれ出る涙を拭きとりはじめる。


「僕たちはするべきことをしただけですから」


 いつもの優しい笑みを浮かべるオリファに無言で頷くジュディ。その両肩をイリーナが優しく抱える。


「さ、もう行きましょ。―また後で」


 そう言って母を連れていくイリーナの背中を見送る三人、ある程度距離が離れたところで不思議そうな顔のアイシャが口を開く。


「あの人、私たちの事嫌いなのかな…?」


「どうだろうね~」


 オリファがぶっきらぼうにそれだけ言うと体を伸ばす仕草をする。


「さ、もう帰ろう。明日は勲章の授与式だ、朝早いぞ」


「う、また早起き…」


 一足先にオリファとアイシャが他愛もない会話をしながらその場を後にし始める。一方でビアンコはその場で空を見上げる、イリーナと同じくエレーナの母親であるジュディにもてっきり無条件で感謝されると期待した自分がいたことに嫌悪感を感じていた。


「何考えてるんだよ、馬鹿だよな俺…」


 青空は葬儀を始める前と比べて、多少白い雲ができていた。

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