第四話 秘密と軋轢 3
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宿舎を飛び出したビアンコとイリーナの目にまず飛び込んできたのは数台の白色のバンだった、それぞれが道を塞ぐように乱雑に止まっている。その先では看護師の制服など白を基調とした衣服を着用した集団、国立研究所の職員たちが本部のガレージ入り口を封鎖するべく一列になった警備隊の憲兵と少し距離を開けて小競り合いをしていたのだ。その様子を見たビアンコが自分の顔が青くなる。
「―我々は特別協定に基づき転移者を保護しに来た、引き渡し義務の不履行は看過できない! 直ちに身柄を引き渡せ!」
集団の中で戦闘用の装備を身に着けて武装した男性職員が叫んでいる、武装した職員は全員銃も持っているようだ。
「言いがかりだ、我々憲兵隊はそんな人物は関知していない! お前たちこそ職権乱用での基地の不法侵入という重大な違法行為を犯している! 直ちに退去しろ!!」
列の端にいる警備隊の隊長がすかさず男性職員に応酬する。その後ろでは、それぞれ携行していたホルスターに手をかけ控えているオリファとリーチの姿がもあった。まずイリーナがビアンコを手招きして本部の物陰に隠れる。
「よし、私が話をするから。少尉はリーチたちと合流して…、大丈夫か?」
「大丈夫です、―アイシャ狙いですかね?」
様子を伺っていたイリーナが後ろを見た時、ビアンコはしんどそうに壁に片手を付いていた。イリーナを心配させまいとビアンコが無理やり笑顔を作り話をそらさせる。
「詮索は後だ、私が出たらすぐ行け」
「…了解です」
ビアンコの返事を背中で聞き、堂々と物陰から出ていくイリーナ。ずんずんと小競り合いの現場に向かっていく背中は頼もしいほかない。「何事だ!?」と張り上げる声を合図代わりにビアンコがめまいを我慢しながらリーチとオリファの元へ向う。イリーナの声に気づいた警備隊の隊長が駆け寄る。
「どうした、なんの騒ぎだ?」
「すみません。いきなり彼らがやってきたのですが、ゲートに詰めていた部下が正式な来訪と勘違いして通してしまいまして…」
「で、そのまま本部に入ろうとしたから止めてくれたんだな」
「はい」
バツが悪そうな隊長からの状況説明にイリーナが眉を顰めた。
「分かった、私が話す。誰一人通すな」
その顔にほのかに怒りの色を含ませながらイリーナがすれ違いざまに隊長にそれだけ告げ、呼応するように隊長が頷く。集団の中の何人かはイリーナに気づいたのか視線を向け始めていた。
「何やってるんだ!?」
小競り合いに割って入るかの如く大声でイリーナが二つの集団と対峙する。その瞬間に彼女の存在に気づいた職員たちと警備隊が水を打ったように動きを止め静かになり、その場のほぼすべて人間の視線がイリーナに集まった。
イリーナが警備隊と職員集団の間を割るように移動していくと主に職員達がどんどん下がっていき、双方とも更にある程度の距離を取って対峙させることに成功した。そうやって集団の空白の中間部分にイリーナが仁王立ちする、もちろん体の前面は職員たちに向けていた。
「ビーインヒル基地の責任者、イリーナ・シュリャホバヤ少佐だ! 今日部外者が訪ねてくる予定は一切ない上に、施設に押し入ろうとしていると来た。どういう了見かそちらの責任者と話がしたい!」
イリーナの声量に警備隊から心強い味方に対する感嘆の声が漏れ、一方の職員側はあからさまに煩わしい、嫉視に近いような雰囲気を醸し出していた。イリーナが内心に強烈な不快感を感じていると、職員側集団の中から手が上がる。職員たちが右に左に移動して挙手した人間が集団の前に出てきたのだが、その正体は少し小柄な女性だった。
年齢は三十代だろうか、やせ型で長めの髪を乱暴に後頭部で一本にくくっており、肌の色は白い。金属フレームのめがねを着用して白系スラックスに膝丈まである白衣を着用し、茶色系のパンプスを履いていた。全体的に身なりに気を使っていない、という印象だ。
「これはこれはイリーナ・シュリャホバヤ少佐、私はドクター・バタリング。この保護チームの責任者です、どうぞお見知りおきを」
小柄な女性、バタリングは静かに語りながら丁寧だがどこかよそ行きな雰囲気を醸し出しつつ挨拶してみせ、握手を求めて右手を差し出した。イリーナが友好とも敵対ともとれるような顔をしつつ握手に応じる。バタリング博士、国立研究所の研究員で異世界研究の第一人者である。一方で良くない噂も多い人物だ。
「すみません、どうやらちょっとした手違いがあったようでして。訪問予定が行き届かなかったのは謝罪いたしますわ」
「手違い? 何をおっしゃっているやら、この基地は今は関係者以外立ち入りはできません。たとえそれが国立研究所の人間でも」
「それはあくまで軍側の都合では? 私たちは政府機関です、許可さえ取れればそんなもの関係ありません。書類だってありますのよ」
薄ら笑いを浮かべやや高い声で明らかに芝居ががった大げさな身振り手振りを繰り返すバタリングに、背後から男性職員の一人がさっと出てきて恭しく折りたたまれた紙を手渡す。今度はそれをイリーナに差し出した。「失礼」と警戒しつつも紙を受け取って内容を確認する。確かに然るべき省庁から発行された書類であることは間違いなさそうで、大臣のサインもある。恐らくゲートの憲兵もこれを見て彼らを通したのだろう。
イリーナが表情は変えず内心呆れながらため息をつき、そして書類をバタリングに返却した。バタリングはその書類を見向きもしないまま男性職員に差し出し、また恭しく受け取らせた。
「…で、用件は?」
「もちろん、転移者の保護です。そちらで保護している、『アイシャ』ちゃんを引き渡していただきたく」
バタリングがにぃと笑みを浮かべアイシャの名前をわざと強調しながらやってきた目的を告げると、内心イリーナが動揺する。なぜかアイシャの名前がバレているからだ。
「何の話です? そんな人物は知りませんよ」
「いやいや、それはあり得ません。少し前から見た目が十二歳くらいの金髪で、耳の長い女の子が基地の中をうろついているじゃありませんか?
イリーナが胸の前で腕を組んだ、表情は相変わらず真顔のままだが雰囲気の中に不快感が混じり始める。一方のバタリングが不敵な笑みを浮かべたまま手をひらひらさせた。
「ずいぶんご熱心に『教育』もされてるみたいで本当に感謝してますわ、しっかりお礼もしませんと」
「また面白い作り話ですね、まさかそれを語るためにわざわざこんな騒ぎを?」
バタリングが知らないのはずアイシャのことをペラペラ話すのを聞かされ、イリーナが内心の焦りを押さえつつ皮肉のつもりでそう言ってみせた。するとバタリングの顔から笑顔が消える。
人間味が薄れ表情を失った顔つきでこれまた大げさにため息を吐き、白衣のポケットから写真大の紙を取り出して自らの顔の高さで掲げる。それは本部を背景に笑顔のアイシャが映った写真だった。彼女の視線や画角的に盗撮されたものようだが、決定的な証拠には違いなかった。
「うだうだうるさいんですよ、根拠も証拠もなくノコノコ出てくるわけないでしょう。この通り転移者がここにいるという証拠があります! さっさと後ろの取り巻きどもを退かさせなさい!! じゃないとあなたのキャリアに傷が付きますよ!」
先ほどとは打って変わって低い大声で畳みかけるバタリングにイリーナは何も言わず、眉を微かに顰めてただバタリングを睨みつけた。背後では警備隊の憲兵たちが心配そうにイリーナの後ろ姿を見つめいてる。イリーナはプレッシャーで冷や汗が止まらず、何か言わなければないのに言葉を発しようにも何も浮かばない。その時不意に肩を叩かれハッと目を見開く、いつの間にか隣にリーチが立っていた。
「少佐、これを」
イリーナの隣に立ったリーチが彼女が視線を外さなくても見えるようにメモをかざす。イリーナが顔つきを変えぬまま目だけ動かしてメモの内容を読み取る最中、バタリングが「おやおやぁ」と声を上げる。
「これはこれは、37番じゃないですか。正常に動いているようでなにより。9番はどこに?」
「…うるさいぞ、彼は今は私の部下だ。番号呼ばわりは許さん」
イリーナがバタリングの発言に語気強めに反応する、リーチは無言だ。言い放った当の本人は両手を肩の高さまで上げてやれやれと言った顔をする。
「これは失礼。で、引き渡しの方は?」
「…残念だが、無理だ」
ぴしゃりと断言したイリーナにバタリングが思わず「はぁ!?」と声を上げた。
「引き連れてる職員たちだが、ずいぶんと個性豊かのようで。人手不足でかき集めたといったところか」
「何の話です? 関係ないでしょう?」
ピンと来ていないのか訝し気にしているバタリングをイリーナが見据える。
「いえ、職員の中に身分の不確かな人間が紛れ込んでると言いたいのです。それも一人二人じゃない。そんな状態で、彼女…、いえアイシャを預けるなんて出来かねます」
「まさか、この部下達は身分は確かですよ? 清廉潔白、逮捕どころか個人間のトラブルさえ起こしたこともない者ばかりです。―もっとマシな言いがかりは思いつかなかったんですか?」
決め顔で挑発ともとれる言葉を吐き笑みを浮かべるバタリング、一方のイリーナはそれに応じる素振りも見せない。
「言いがかり? いいや違う。お前たちは本当に研究所の職員なのか怪しくなってきたと言ってるんだ」
イリーナが語気を強め、圧まで飛ばし始めた。
「職員の中に転移物の収奪の常習犯が多数いる、そもそも書類なんていくらでも偽造できるしな。それに博士、あなたも『本物』かどうかすら疑わしい。転移物を使えば容姿を偽ることなんて…」
「ちょ、ちょっと…!? 何を言って…」
その場の空気が変わり狼狽し始めるバタリング、職員たちもざわつき始めていた。イリーナの背後の警備隊の面々も息をのむ。
「残念だが証拠は掴んでる、お前の手下の一人が身分証を落としていったからな。ロジャー・フレンチってコソ泥だ、警察も探し回ってる」
名前を上げられた瞬間、バタリングが思わず背後へ振り返る。彼女の目に飛び込んできたのは集団の最後尾でフレンチ本人があたふたし始める姿だった。今頃になって財布を掏られたことに気づいたようである。その様子にバタリングが焦りの表情を浮かべ舌打ちする。
「どうする? 例え知らなかったとしても犯罪者を軍施設に入れたなんて知れたら、立場がまずくならないか?
「…やってくれたわね」
体勢を戻したバタリングは立場が入れ替わってしまったことを悟って焦りを隠す様子もなく、イリーナを睨みつけたまま文字通り歯ぎしりしてみせた。一方のイリーナはリーチから耳打ちされ、目くばせすると口を開く。
「だが我々にとっても喧嘩別れは避けたい。彼女の身柄の移送以外なら協力できるかもしれないが、どうだ? そちらの失態の『手打ち』も含めて」
手打ちという言葉を強調するイリーナ、それを聞いてバタリングの後ろに一人の職員が出てきた、その表情はとても硬い。
「博士、これ以上は無理です。どうかご決断を…、ぐぇ!?」
「うるさい!」
意見具申しに来た職員の方を見向きもしないまま、その腹部にバタリングが一発肘打ちを見舞った。上半身を屈めて悶絶しながら職員が集団の中に戻っていく。そして右手の指で眼鏡のブリッジの部分を持ち上げてずれを直してみせた。
「…では後日必要な検体のリストをお送りししますので、それに沿って採取していただければ」
「もちろん、すぐに届けさせよう」
用件を聞きいれたイリーナが微かに口端を緩める、バタリングは彼女を睨みつけて一瞥するとくるりと呆然としている職員たちの方へ正対した。
「何ぼさっとしてる! 撤収だ撤収!!」
バタリングの大声に職員たちが蜘蛛の子を散らすようにバラバラになり、慌てて白色のバンに乗り込んでいく。バタリングもその中の一台に乗り込むとタイヤを鳴らしながらバンの車列がゲートから基地の外に飛び出していった。車列が上げる土埃を見据えてイリーナが呟く。
「みんなにビールの一杯でもおごらないとダメだな」
―少し時は戻ってイリーナとバタリングが話し合いを始めた頃、ビアンコは憲兵の背後をすり抜けてオリファとリーチに合流していた。
「まずいね…」
「ああ」
イリーナとバタリングのやり取りを見ていたオリファが呟くと、それに同調してリーチが頷く。その横ではビアンコが青い顔をしながらなんとか立っていて、それをオリファが首を動かし盗み見た。
「ちょっと、大丈夫かい? 見てるこっちがハラハラするんだけど」
「…苦手なんだよ、医者とか看護師とか」
余裕がないのか珍しく素直に答えたビアンコを見て、オリファが興味深そうに一瞬眉を上げる。
「ってそれより、アイシャは?」
「取り決め通り本部の奥に隠れてる」
「なら良かった」
リーチの言葉に安堵するビアンコ、それを見ていたオリファが笑みを零す。
「ちゃんと心配するようになったんだね」
「…当たり前だろ、言わせんな」
体調不良も相まってビアンコがいつも以上に虫の居所が悪そうな顔をして見せた。
「職員たちから目を反らすのはまずい。できる限り遠くを見ろ、彼らの頭をかすめる感じでな」
リーチのアドバイスに従って、ビアンコが職員たちの頭髪を掠めるように視線を泳がせる。職員たち色こそ黒など地味であるがスキンヘッドから長髪まで髪型自体はなかなかバリエーション豊かで、素人であるビアンコから見ても果たして正規の職員なのか疑問を抱くほどだった。そんな中、一人の職員が右手で頭をかいている。目を凝らしてみると、その手の甲に派手なタトゥーが刻まれているのが見えた。それに反応してビアンコが口を開く。
「なあ、あいつらって曲がりなりにも医療関係者だよな…?」
「そのはずだ」
「それにしては髪型が派手だったり、すぐ見える部分までタトゥー入れてる奴が多い気がするんだけど…」
「まあ、言われてみれば…」
オリファが目の上に右手をかざして職員たちを見渡す仕草をする。とビアンコのズボンが何かに引っ張られる感覚を覚えた。引っ張られる強さと高さが覚えのあるもので、一気に頭が冴えるような感覚になり目を見開く。そして慌てて引っ張られた箇所へ顔を向けると、隠れているはずのアイシャが右手に財布を持って立っていた。
「ちょっ…、何やってるんだよ」
「な…!?」
オリファとリーチもアイシャの存在に気づき、バタリングたちから自分たちが盾になるように素早く彼らに背を向けアイシャ中心に三方を囲んだ。
「これ、あいつらから盗ってきた」
アイシャが真顔で持っている財布を差し出す。差し出されたビアンコは困惑しながらしゃがんで目線の高さを合わせた。
「盗ってきた、じゃないって。隠れてなきゃダメだろ」
声の大きさに気を使いながらも、ビアンコが困った顔をした。一方のアイシャは表情を変えない。
「私だって、役に立ちたいの」
そう言ってアイシャが財布をビアンコの胸に押し付ける。受け取ろうか躊躇っていると、オリファがひょいと財布を取り上げた。そして慣れた手つきで中身をあさり始める。
「おい!?」
「バレなきゃ大丈夫だって」
楽しそうに次々と財布の中身を見ていくオリファにビアンコが呆気に取られ、リーチも同じく呆れたようにため息をつく。と顔写真つき身分証を見てオリファの動きが止まった。身分証にはロジャー・フレンチと書かれていて、若い金髪の男性の写真が付いている。
「こいつ知ってる、むかし行ってたバイクレースに顔を出してるギャングの下っ端だ」
「バイクレース?」
しゃがんでいたビアンコが立ち上がって身分証を覗き込む。その隙にアイシャがビアンコに抱き着き、オリファの手元を見上げた。
「ああ、要はバイクのストリートレースなんだけどこいつも出てたんだ。レーサーとしての腕はないのに態度はでかくってさ」
きょとんとした顔でビアンコが質問すると、オリファが小ばかにしたような口ぶりで答える。
「もしかしてこいつ、手の甲にタトゥーがある?」
「ああ、なんで知ってるの?
「…この場にいる、バタリングってやつの取り巻きの中に」
「本当に?」
深刻そうな顔するビアンコにオリファが目を見開いた。そこにリーチが割って入る。
「フレンチなら知ってる、転移物窃盗の常習犯だ。こんなやつが研究所の職員などありえんな…。―よし」
リーチが少し間を開け、何か決意したようにうなずく。
「紙とペンはないか? 少佐にこのことを伝えねば」
「な、なんだよ急に…」
「重要な情報だ、口頭で伝えるのはリスクが大きい」
狼狽えるビアンコにリーチが説明していると、低い位置から「はい」と明るい声でメモ帳とペンが差しだされる。アイシャだ。
「おお、ありがとう。助かった」
リーチが親指を上に向け、アイシャからメモ帳とペンを受け取る。そして文字を書きながら歩くという人間離れした技を披露しながらイリーナの元へ向かっていた。