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第三話 前途多難 3

 そこからしばらくは、文字通り目が回るほどの忙しさだった。合間に通常の業務もこなしながらアイシャのためにリーチが用意した部屋の掃除に始まり、毎朝彼女を起こして朝食を食べさせたり、オリファが先生替わりになってこちらの世界での一般常識を教える授業のサポートをしたりした。仕事が何倍にも増えているが、ビアンコ自身が言い出した故に投げだすわけにもいかず淡々と日々をこなすしかなかった。


 そんなあくる日の夕方に、ビアンコは自室の鏡の前に立っていた。その姿はいつもの戦闘服ではなく、黒のブーツに紺色のスラックス、グレーのワイシャツに身を包み小型拳銃を収納したホルスターをベルトに通して腰の下あたりに下げ、紺色のネクタイを締めていた。ベットの上にはスラックスと同じ色のジャケットと制帽が整えておいてあり、久々に凛々しい制服に袖を通した彼は幾つかポーズを取っておかしな部分がないか確かめている。ただその表情は憂いを含んだものだった。今日は夜から政治家や財界の大物が集うパーティがあり、そこにイリーナも招かれていたからだ。それに伴ってキマイラの面々も護衛として同伴することになっていた。


「ビアンコ」


 開けっ放しになっている部屋のドアからアイシャがビアンコを覗き込んでいる、白のワイシャツ、深緑のスカート、白のハイソックス、黒パンプスといういで立ちは完全に制服を着た小学生か中学生だ。「どうした?」とビアンコが鏡を見つめ片耳に透明素材のイヤホンを差しこみネクタイを触りながら返事をする。


「見て、半分できるようになったの」


 アイシャがおずおずと一枚のプリントを差し出す、そこには一面それなりの密度で小学生低学年が習う文字がぐにゃぐやと崩れた形で何個も書かれおり、それぞれに赤ペンで〇と×がつけられていた。アイシャの言う通り〇の数は丁度半分づつといった感じである。


「…おっ、やるじゃないか。すごいな」


 アイシャの目の前でしゃがみ込んで受け取ったプリントに目を通し、ぎこちない笑顔で褒めるビアンコ。「えへへ」とアイシャが恥ずかしそうに破顔して見せ、ビアンコも釣られて笑みを浮かべた。


「ねぇ…、聞いてもいい?」


「どうした?


「まだ少佐に謝ってないの?」


「えっ…」


 アイシャから思いがけない言葉が飛び出し、ビアンコが目を泳がせる。アイシャの保護の話し合いの時の問題発言を謝罪していないのが気がかりだったのだが、他の面々も問題と思っているらしい。特にイリーナ自身から催促の一つもないことも手伝ってズルズルと先延ばしにしてしまっていた。


「謝ってないんだ」


「それは…、こっちにも色々あるんだよ…」


「イエニス先生が言ってた、チームなんだから蟠りはなくさないとダメだって」


「アイツ…」


 図星からかムッとしつつ言い返せなくなるビアンコ、アイシャが更に真剣な表情で追撃をかける。


「ちゃんと謝らなきゃ」


「―わかった、わかったって!」


 アイシャが青い瞳で見つめてくるのを、最初はムッとしたまま目を反らしていたビアンコだったがなぜかすぐに根を上げてしまった。


「約束」


「約束」


 ビアンコが口を尖らせ目は反らしたまま、アイシャと約束してしまった。すると次にリーチがドアから顔をのぞかせる。しっかり装備品を身に着けていたが、いつもの緑の迷彩柄ではなく、全身黒を基調とした服装に変わっている。もちろん頭の被り物も黒色だ。


「なにやってるんだ?


「あっ、リーチおじさん。見て見て」


 現れたリーチに反応したアイシャがパッとビアンコからプリントを奪い取ると自身の頭より高く掲げて見せようとした。片膝を付きプリントを手に取るリーチ。


「ほほう、前より点数を上げたのか。それは良いが、書き順もおさらいした方がいいかもな」


「むっ!


 字の汚さを指摘されたアイシャが不満そうに頬を膨らませる。リーチが「ハハハ」と悪気無さそうに笑った。


「それと、ビアンコのことはフランシスお兄さんって呼ぶように言われなかったか?」


「あっ、いけない。そうだった…」


 そう言いながらリーチがプリントを持っていない方の手で天井を指さすポーズをしてみせる、アイシャがハッとして目を伏せる。


「なに、次から気を付ければいい。―さ、リーさんが来たからもう行くんだ」


「むー…」


 夜にはキマイラの全員が出払うためアイシャはカウンセラーの元に預けられることになっていた、事前に説明した本人も納得させたはずだが不安からかリーチとビアンコを交互に見る。


「約束したろ、さぁ行って…」


「…はーい」


 ビアンコに諭されて眉を顰めながらプリントを受け取り、てとてととその場を離れるアイシャ。「忘れ物するなよ」というビアンコの声には答えなかった。


「準備できてるか?」


「ああ、もちろん」


「行くぞ」


 残った二人が短く言葉を交わし、ビアンコがジャケットと制帽と手に取って外に出る。既に宿舎の目の前の道に黒塗りSUVとセダン車が一台づつ待機していた、SUVの周りに三名の車と同じく黒色のフル装備の護衛隊員がおりその後ろのクラウンの脇にビアンコと同じく紺色の制服姿のオリファが立っていた。制帽を左の脇に挟み、やや憂いを帯びたような顔をしている。その姿だけみてもスーツの着こなしに慣れているのが分かった。タバコの一本でも一服していればステレオタイプな軍人のイメージとして紹介できそうなくらいだ。


「お、来た来た」


 近づいてくるビアンコとリーチに気づいたオリファがパッと笑顔を作り、話しかける。


「少佐は?」


「すぐ来ると思うよ」


 リーチの問いかけにちらりと腕時計を見るオリファ、間もなく出発の時刻だ。


「おまたせ」


 カツカツという足音がする方向から声がした、ビアンコがそちらに視線を送ると思わず釘付けになる。黒のハイヒールにストッキング、ボディラインを強調しそれなりに胸元が開いた紺色のドレスで着飾ったイリーナが立っていた。普段よりしっかり化粧がなされた顔からは普段の力強さよりも煌びやかさが勝っている。ただしその表情は少し気だるげだ。


「似合ってますよ」


 見とれているビアンコをしり目に、オリファが第一声を上げた。三人のいるセダン車へ向かいながらイリーナが「ありがとう」と抑揚なく返事をした。


「さて、私はあれに釘でも差してくる」


 リーチがSUVの方へ向かっていく。SUVの周りでは護衛達がイリーナを見て口笛を吹いたりお互い肘で突きあいながらこそこそ何か話しているのが見えた。


「二人とももばっちり決まってるな、やはり似合うもんだ」


 イリーナがはにかみながらビアンコとオリファの制服姿を褒める。


「それはもちろん、仕事ですから」


「ハハハ…」


 ビアンコの引きつった笑顔とオリファの満面の笑み、それぞれ経験の場数を如実に表している。


「―留守の引継ぎも終えたし、出発しよう」


「では、どうぞ」


 イリーナが動き出すより早く、オリファがセダン車の後部ドアを開けて恭しく片手で指し示した。「ありがとう」と笑顔で感謝しながらイリーナが車に乗り込んだ。


「…で、俺が運転手か?


 ドアを閉めるのを眺めながらビアンコが言った。


「お、わかってきたじゃない。よろしく」


 そう言ってオリファから車の鍵を渡され不満げな顔になるビアンコ、太陽はかなり西に傾き周りもすっかり暗くなっていた。



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