第一話 嫌われ者 1
早朝のピューソン基地の食堂はいつものように勤務している兵士たちで込み合っていた、まさに騒がしいという言葉が似合う。夜のシフトを終えた者と昼間のシフトに入る者が同時に利用するのだから当たり前である。その服装は暗い緑を基調とした迷彩柄の戦闘服を着た者がほとんどで、クリーム色で統一された内壁の食堂いっぱいにずらりと並べられてた長椅子が備え付けられた簡素なテーブルに着き食事と会話を楽しむ者もいれば、銀色の配膳プレートを手に配膳カウンターに列をなし食事を今か今かと待ち望む兵士たちの姿があった。
等間隔に並んだ四角い太い柱のやや上方にはには大型の液晶テレビが取り付けられ、それなりの音量で朝の情報番組を流していて、騒がしさに輪をかけている。全員性別や年齢、顔つきのなどの違いはあれど男性は皆髪を短く刈り上げており、女性も髪を短くもしくは後頭部に綺麗に丸めてまとめている。古今東西、軍隊というのは基本的に頭の先から足の先まで身だしなみのルールが決まっているものだ。兵士一人ひとりが整然としている姿で訓練が行き届いているがわかるとも言われている。
その中で一か所、明らかに目立つ白髪を揺らしている兵士がいた、整った顔立ちだが右目が緑、左目は青と瞳の色が違う。髪はくせ毛がなくまとまっていて全体的に短いものの耳を半分ほど覆っている長さはあり、一見すると人形ような印象がある。服装も他の兵士と同じく磨かれたブーツ、緑系の迷彩色のズボンだが、上着は腕と肩の部分は迷彩色であるものの左右均等に二の腕辺りにポケットがついており、胴体の腹部と背中部分は濃緑の通気性を重視した素材でできている、所謂コンバットシャツを着ていた。
そんな彼、ビアンコ・フランシス・カーネはテーブルの端に座っているのだが、テーブルを挟んだ正面や隣には誰もいない。混雑時は相席がルールとされているうえ、他のテーブルはほぼ人で埋まっているにも関わらずだ。食事が乗った金属トレーを机に置き、長椅子に座ってパンをかじっている。
「…」
ふと何かを感じたようにビアンコがやつれた顔を上げると、向かいのテーブルに座っている視線に入った兵士のグループが一斉に顔を反らす。いつものひそひそ話、陰口を叩いているのだろう。そう思いながら睨みつけるようにビアンコが一瞥をくれてやると、そのまま柱にかかっている液晶テレビが目についた。
『―セントピューソンの惨劇から今年で十年目が経過しようとしていますが、未だに政府は有効な対策を見いだせていません。犠牲者の遺体収容や行方不明者の捜索も満足に行われておらず、挙句に封鎖された旧市街地沿いに建てられた防護壁から時折異世界からのモンスターが飛び出してくるなど、周辺住民の安全が脅かされいている状況です』
ロケ取材だろうか、高台から崩れたビルが立ち並ぶ封鎖された旧市街を見下ろすようなカメラ配置で女性アナウンサーがありがちなコメントを伝えている。かつてのセントピューソンはこの辺りでは一番に発展しており、立派な高層ビルを擁したオフィス街、市議会議事堂や市役所などの行政機関機関、ショッピングモールも有した一大都市だった。それが十年前、突如として現れた異世界の軍隊の襲撃に遭い、すぐに軍が動員され殲滅された。
しかしそれ以降中心地には低頻度ながら異世界からのモンスターが徘徊するようになってしまい、住民や企業などを強制退去させたうえでそれらの拡散を防ぐために防護壁で覆ったのだ。その壁の内側をいつしか閉鎖地区と呼ぶようになっていた。
「何もしらないくせに、相変わらず暢気なもんだ」
いつの間にか映像がスタジオに戻り、司会者とゲストができもしない机上の空論をあたかも実現可能かのように語っているのを見てビアンコがつぶやく。当時の犠牲者の遺体が放置され行方不明者も多数いるのは事実だ、しかし安全性の確保―なぜ異世界とつながってしまったのか―が特定されないことには危険すぎて遺体収容も不明者捜索もできない。先ほどの女性アナウンサーの言葉がサービストークだと分かっていても、心穏やかに、ではいられなかった。
それと共に呆れにもにた感情がわいてきて、次の食べ物を口に運ぼうとトレーに視線を落とす。と同時に金属トレーがガシャンと音を立てて床に落ちた。横を通りかかった男性兵士がわざと引っかけたのだ。トレーは完全に床上に逆さまになって、ひっくり返った方向に乗っていたであろう食べ物が床に散らばる。手を出した男性兵士は軽く振り返るも、あからさまな舌打ちをして立ち去ろうとする。階級は軍曹辺りだろうか、悪意があるのは明らかだ。
「お前…!」
抗議のために慌てて立ち上がるビアンコ、しかしすぐに言葉が詰まり、閉口してしまった。
「何か問題でも?」
一方の茶髪の軍曹は彼と正対し、静かに口を開く。表情は無表情に近く、冷たい視線を向けている。そこに本来あるべきはずの敬意はなく軽蔑と拒絶を強く含んだ目だ。その間にも周囲では何事かと食事と会話が中断され、テレビの音声をBGMに渦中の二人へ野次馬の視線が集まっていく。奇妙だったのは外野からどちらかを煽る言葉が飛び出さなかったことだ、ただひたすら両者の出方を伺っている。
一方のビアンコは落ち着いた様子の軍曹を睨みつけているものの、拳を握りしめた両手が微かに震わせている。皆の視線が冷たい、軽蔑と拒絶。何度も繰り返されてきたそれは心身に刷り込まれ、例え落ち度がなくとも悪いのは自分だと錯覚させるには十分だった。
「…さっさと行け」
「では失礼します、少尉殿」
やっとのことで言葉を吐き出したビアンコに対し、軍曹はわざとらしく一言付け加え、その場を立ち去る。それを合図に野次馬たちも視線を外し食堂に再び活気が戻った。ビアンコはすぐにしゃがみ込んで床に散らばった食べ物をトレーにかき集めると、素早く調理カウンター脇の残飯用ごみ箱にそれを片づけ足早に食堂を飛び出す。そのすぐ後先ほどの軍曹含めた三人組が談笑しながらビアンコが座っていた席に収まったのだった。