旦那様が嫌いすぎて魔女に下剤を頼んだら、「好き」としか言えなくなる魔法をかけられた話
『君を愛することはない』
今日初めて会った旦那様こと黒髪紅眼、通称返り血侯爵は怖いほど無表情のまま、呟くようにそう仰った。あまりに突然すぎて、私は結婚式中だというのに固まってしまう。
まだベールアップもしていないのだから、私の顔が醜すぎて耐えられない、というのもありえないでしょうし……。
つまり他に愛している方がいらっしゃるということですか?
政略結婚とはいえ、まさか、初対面の結婚式中に堂々と愛人がいる宣言されるなんて思っても見なかったのだけれど。
『で、では、誓いのキスを……』
ほら、ギリギリ聞こえていたらしい神父様の顔が引き攣ってますよ?
驚きすぎた結果虚無になっていたとしても、時は待ってくれず。その言葉と共にベールがあげられた……けれど、旦那様はキスさえしなかった。酷く驚いた様子で、フリをしただけで。
『……すまない』
しかも教会を出てすぐに召集がかかり、二人きりで会話する暇もないまま旦那様は戦場に行ってしまった。ただ一言感情のこもっていない謝罪を残して。
そんな結婚式から半年間放置されている妻こと、マリー・オースティン元伯爵令嬢、現在侯爵夫人である私は、今日も執務室で羽ペンを走らせていた。
現在は侯爵邸で戦場に立っている旦那様の代わりに雑務をこなしつつ、使用人の方々と楽しく過ごしている……けれど。
「奥様、小包が届いております」
「! ……ありがとう」
旦那様への怒りは、ずっと溜まり続けているのでした。結局謎の愛人さんについては一切わからず、業務連絡以外一切なし。
……もう百歩譲って愛人さんがいらっしゃるのは結構ですよ。けれど、状況説明くらいするべきでは?
「ご実家からですか?」
「んー、正確には従姉妹からね」
……先月、そんな大嫌いな旦那様から、”戦線が落ち着いた為帰還する“とだけの、とても短い手紙をいただきまして。短いのはいつものことなので慣れましたが。
「お忙しいところ恐縮なのですが、そろそろお支度の時間が……」
「ああ、ごめんなさい。この小包は部屋のドレッサーの上に置いておいて。すぐにこの書類だけでも終わらせてしまうから」
手紙の内容に関しては凄く焦りました。結婚式後から一度も会っていないものですから。つまり帰ってくる日が初夜ということなのです。
メイドが準備のために執務室を出たところでぽつりと呟いた。
「……あんな旦那様と初夜なんて絶対に嫌よ。間に合ってよかった」
小包の中身は下剤。
従姉妹が惚れ薬を魔女に依頼した話を思い出し、仲介してもらった。流石に依頼内容が下剤とまでは話していないけれど。
作戦としては簡単で、共にベッドを共にすることになれば何食わぬ顔で食事やら飲み物に混ぜ、腹を壊してもらうというもの。
「フフ……」
そもそも手紙が届くのが遅く、期間も短かったのもあって、一か八かの賭けだったけれど……どうやら勝利の女神は私に微笑んだようで。
サインを書き終え、今日の仕事を片付けたと同時に、私はほくそ笑んだ。
*
「「おかえりなさいませ、旦那様」」
メイドたちにすっかり磨かれ、内臓が飛び出るんじゃないかしらと思うほどコルセットを絞められ、髪を艶々にされた状態で、旦那様を出迎える。こめかみに青筋が立ちそうになるのを必死に我慢しながら。
「……ああ。エドワード、報告を」
ピッシリと一列に並んだ使用人の列の一番前にいる執事長がスッと前に出て報告をする。
……ええと、使用人は見回して確認したくせに私とは意図的に目を合わせていないように思えるのですが?
「〜以上です」
「……なるほど。細かい点については、明日執務室で聞く」
「御意」
旦那様の目線だけでエドワードは下がり、今度はメイド長が使用人達に通常業務に取り掛かるよう指示を出した。
仕事ぶりは変わらずとも、いつもあんなにもほんわかで優しい彼らが凄い緊張しているのが目に見えてわかる。……そういえば、この半年間、旦那様の話題が出たことはほぼなかった。これはもしや、旦那様って凄く怖いのかしら。
「……っ」
「!」
旦那様とほんの一瞬目が合った。けれど、お互いフイッと顔を背けてしまう。
「奥様、食堂へ……」
「へ、あ、ああ……一度部屋に寄ってからでもいいかしら?」
「っ勿論でございます」
どうやら私が傷ついているように見えたらしく、ハンカチを貸してくれた。まったく傷ついてなんていなくて、むしろ怒りが増しているのだけれど……まあ勘違いしてくれている方が都合がいいわね。
「ありがとうアンナ」
それに、優しい心遣いに少し溜飲が下がった。
部屋に戻って、小包を開く。瓶を常備しておくことで心の安定を図ろうとしただけ……だけだったのに。
開いた途端、魔法陣が浮き上がり、ボワっと青いような赤いような怪しげな煙が顔にかかる。
「!? けほっ、けほっ……う゛ぅ」
「お、奥様、大丈夫ですか!?」
部屋の前で待っているアンナの心配する声が聞こえる。怪しまれてはいけない、早く大丈夫なことを言わなければ。
「大丈……え??」
ど、どうして。私は今、確かに大丈夫と言おうとしたのに。口が勝手に……。
バッと小包を見ると、魔法陣は消え、代わりに小包には文字が現れていた。
【魔女に下剤を頼むなんていい根性してるじゃないか。恥を知りな。私は薬剤師じゃないんだよ? ロマンにかけるものを依頼しおって。手紙を読んだ瞬間に私は頭痛を覚えたよ。
まったく、馬鹿な娘っ子にはお仕置きが必要だ。どうせ痴情だろう? 無味無臭な下剤なんて。素直になっちまいな。どんな魔法かは自分でかんがえることだね。
とまあ、この文章が読めるってことは古代語がわからないほど馬鹿じゃないんだろう。“良き”魔女のお情けだ。効果はその日の終わりまで続くよ】
読み終えると、小包は塵になって消えた。
「なんてこと……」
思わずそう溢したところで、最悪なことに気づいた。どうやら言葉が増えれば主語も増えるらしい。
「お、奥様?」
心配そうにおずおずと聞くアンナの声で我に帰る。いけない、夕食に遅れてしまう。せっかくの美味しいお料理を冷ましてまっては……。
「奥様、大丈夫ですか?」
こうなったら、無言を貫くしかないわ。
部屋を出て、余裕の笑みでコクリと頷いた。アンナの顔がパァッと明るくなる。
淑女教育ってこういう時のためにあったのね。……違うとはわかっているけれど、心の中で冗談でも言っていないとやっていられない。
「…………」
「…………」
そう、覚悟して食堂に入ったはいいものの、……気まずい静寂。旦那様の紅い目と私の青い目が交差してはまた離れ、気まずさはどんどん増していく。
話さなくていいのは凄くありがたいけれど……これもこれで嫌ね。居心地が悪すぎるわ。
「…………貴、君は息災だったか?」
「え、」
絞り出されたような声でそう言われ、思わず返しそうになりながらもどうにか抑え、愛想笑いしながら頷く。
「…………そうか」
そして、また静寂。気まずさは最大に達し、いつも美味しいご飯の味がわからない。
ああ、なんてこと。ごめんなさい、リブロースステーキ。料理人達に申し訳ないわ。
「ア……」
「かしこまりました」
料理人達に今日も美味しいご飯をありがとうと伝えておいてと言おうとして口を開いてすんでのところで止めた。けれどアンナはこれだけでわかってくれたようで、嬉しそうに引き受けてくれる。
察しが良くてありがたいわ。
最悪な食事は、最悪なまま終わり、私はまたもや綺麗に磨かれることになった。旦那様は報告を受けてから、先に寝室で待っているらしい。メイド達が同情の眼差しでネグリジェを着せてくれる。
「いくら侯爵様がかっこよくても……あの表情と顔じゃ怖いわよねぇ。奥様が可哀想」
「シッ。聞こえるわよ。気持ちはわかるけれど」
なんて会話が廊下の奥から聞こえる。ごめんなさい、私凄く耳がいいの。
そして怖いとかではなくて……。どうしましょう。初夜よりも待ち受けている無言の方が嫌だなんて。
「では、奥様。失礼します」
「……」
貼り付けたような笑みで頷いて寝室に入る。いつもは一言かけているのに無言だったからか、ざわついているのがわかる。奥様も緊張しているのよ……などなど。
「…………」
「…………」
旦那様はベッドに腰掛けた状態で俯いていた。何も言われないので何もできず。私は入り口でぼぅっと立っていることしかできない。
食事の時と変わらない無言が長く続いた。
「……い、いつまでそこで立っているつもりだ。どこか適当なところにでも座ればいい」
そう言われ、人一人分ほど開けて隣に腰掛ける。こんなものは初夜の空気ではない。絶対に。会談中に呼ばれ、当の呼んだ本人が用事で離席してしまった時のような空気しかない。好都合だけれど不都合。
「……そんなに距離を置かなくてもいいだろう」
ほんの少し近寄られただけだった。それでも何をするつもりなのかと警戒心が先に出てしまって。
「ち、近づかないでくださっ……ハッ!」
や、やってしまったわ……。
そう気づいた時には時すでに遅し。恐る恐る顔を上げると……。
気まずそうな顔だった旦那様は、あどけない顔でぽとぽと涙を溢していた。
「!?」
その姿にギョッとしている間に力強く引き寄せられた。
ど、どうして私は『君を愛することはない』と結婚式で言い放ってきた人に抱きしめられているの?
「……すまな……かった。俺が悪いのはわかっている。でも、もう、あんなことは、二度としないでくれ」
????????
どなたの声ですか? そんな幼くて優しくも後悔の滲み出るような情けない声に聞き覚えなんてないのですが。
「ああ、同じだ。この、星のような髪も、青空を写したような瞳も……」
髪を優しく梳いて、額をくっつけて……えぇ?
「また、会えて、嬉しい。今世こそ、幸せにする」
ちょっと待ってください。
あんなこと、二度と、同じ、また会えて、今世……はい?
「貴女も……覚えていたのか」
「何をよ」
キスをされそうになり、咄嗟に旦那様の口を押さえる。
この状況、どうすれば……と目を回していたちょうどその時、振り子時計がボーンと鳴り、0時を伝えた。
「マリア?」
「っや、やっと話せる」
大きく息を吐いて安堵した。
このままだったらどうなっていたことか。
「あのですね……」
周りくどいことはやめ、全部話してしまうことにした。
下剤の件で処罰を受けたとしても……書類上は妻で命に関わるものではないから死罪は免れるでしょうし。
「なる……ほど? いや、貴女ならまったく不思議じゃないな。そもそも今まで何もない方がおかしかった」
「……ごめんなさい。そしてこちらも聞きたいことがあるのですが」
そう申し上げると、旦那様は一瞬躊躇した後、ぽつりぽつりと教えてくださった。
「俺には、生まれた時から前世の記憶があった」
まさか、『君を愛することはない』って愛人じゃなくて……。
「前世での妻が、君だ」
前世で私は王太子の婚約者で、旦那様は学園での後輩だったらしい。王太子が聖女と結婚するために私との婚約を破棄したことで、紆余曲折ありながらも結ばれ幸せに暮らしていたらしい……けれど。
「当時も隣国と戦争をしていて、俺も行かなければいけなかった。そこで重症を負い、戦死の誤報が流れてしまった」
戦争が終わりなんとか家に帰った時、家督はすでに奪われ、私は追って自死していたらしい。
「絶望だったよ。貴女の自死を聞かされた時は」
そうして気力で持ち堪えていた体は、限界を迎え、旦那様も亡くなってしまった、と。
「……そうか、君は、覚えていないんだな」
そう呟いて、旦那様は悲しそうに笑った。最初にみた笑顔がこんなのだなんて……そんなの。
「私が前世の妻というのなら、もう一度惚れさせてみせればいいじゃない!」
口からそう飛び出てきて、少し驚いた。こんな、私らしくない。でも、寂しさを滲ませた紅い瞳にどうも弱くて。
「っ! ……ああ、そうだな」
魔女に下剤なんて、もう二度と頼まない。
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